十一月二十日・・・私の親友の「輝穂さん」のお父さんがご逝去されました。
私は手を合わせ輝穂さんを守って下さい。どうぞお安らかに・・とお祈りを致しました。
「お父ちゃん」輝穂さんがこう呼ぶので私も「お父ちゃん」と呼ばせてもらってました。
輝穂さんは私と同じで厳しい母親に育てられました。ところが厳格なお母さんとは正反対でお父ちゃんは優しくて、穏やかで、お花を育てるのが大好き、特に百合の花が大好きでした。ひょうきんで・・朗らかで、私たちがまだ十代の頃はお父ちゃんの「おもしろ話」で大笑いしたのが昨日の事のように思い出されます。
人様のご逝去をブログでお話する事は無かったと思うのですが、
「素晴らしい父の姿」をぜひお話させて頂きたくて輝穂さんにお願いをしましたら快く承諾下さったのでお話させて頂きます。
お父ちゃんは昨年・・丁度一年前に肺癌の宣告を受けました。当時は驚いて輝穂さんと「大丈夫?大丈夫?」と電話を常にしていました。
ところが、更に輝穂さんのお兄さんが大病をして入院、手術をしなければならなくなりました。私はお父ちゃんの看病と・・・お兄さんの看病となると大変だと・・・事なかれ・・・静まれと祈る事しかできませんでした。
ところが・・・お父ちゃんの肺癌が小さくなったとの連絡。私はとても驚きました。
その後、輝穂さんが普通の自転車で転んではいけないと、三輪車をお父ちゃんにプレゼントしたらとても喜んで、あっちにこっちにと出かけられたそうです。そしてなにより凄いのが癌の宣告を受けていろんなところに転移していると言うのに入院もしないでお元気で、更に入院中のお兄ちゃんの荷物を往復で運んだり看病もしていらっしゃいました。私が「ほんまに?」と伺うと、輝穂さんも「あんじゅちゃん・・・お父ちゃん凄いわ」と二人でびっくりしてました。
お兄ちゃんが長い闘病を終えなんとか無事退院され、家での生活が始まりやっと慣れてきた頃からお父ちゃんの様子が少し変わって来ました。
「胃が痛い」としきりにおっしゃるようになったんです。
「あんじゅちゃん・・・・お父ちゃん胃が痛いと言い出したよ」
「病院に入院しないとあかんのんと違うの?」
お父ちゃんは「もう・・この年やからチューブで繋がれたり、お腹切ったり、
長い間入院はいやや」とおっしゃってガンとして入院を拒まれました。
ご自分も末期の癌である事を解っていらしたのだと思います。
ところが11月の初めごろから胃の痛みが激しくなって病院に点滴に通われてました。でも・・誰の付き添いもなく輝穂さんがプレゼントした三輪車で通われていました。
でも・・・徐々に胃の痛みが激しくなり18日についに入院をされたんです。
前日に苦しんでいるお父ちゃんの背中をさすりながら「お願いやから・・・お父ちゃん・・・入院して・・・苦しんでるの見るのが辛いよ」
お父ちゃんは誰の言う事も聞かなかったけれど輝穂さんの涙を見て入院を決心されたのだと思います。
18日の夜に輝穂さんと電話でお話をしました。お父ちゃんの様子を伺うと肺癌で亡くなった舅の事を思い出し「モルヒネを打たれると・・・もう意識が混濁して何も解らなくなってしまうから・・・輝穂さん。お父ちゃんと必ず話しときや。いろんな事聞いておいた方がいいよ。今日明日って事は無いかも知れんけど・・・やっぱり覚悟がいるよ」
「あんじゅちゃん・・・明日お父ちゃんに会っていっぱい話して来る」
19日の夜・・・輝穂さんから電話がありました。
「あんじゅちゃん・・・・お父ちゃんといっぱい話したよ。お父ちゃん・・・いっぱい私に話したいことが有ってんて。全部話したよ。涙がいっぱい出た。
私・・・・お父ちゃんの手を握ってな・・・。痛がってるお父ちゃんの背中をさすってな。お父ちゃん今までありがとう。
お父ちゃんと暮らせた事が楽しくて幸せやったよ・・・・
来世・・・絶対にまた会おうな。お父ちゃんに絶対にまた会いたい。お父ちゃん・・お父ちゃん・・どうぞ痛みが消えますように・・って祈ったよ」
輝穂さんはお父ちゃんにもっと早くにお礼とお父ちゃんの子供に生まれた事の感謝を言いたかったのですが・・・もし言ってしまったら、お父ちゃんが死んでしまうのではないか?と怖くてずっと言えなかったんです。
でも・・・・彼女もお父さんの様子を目の当たりに見て・・・「早く言っておかなければ後悔する・・」と勇気を出して言ったのだと思います。
お父ちゃんがそんな輝穂さんの手を、痩せてしまった手でぐっと握り返してきて「うん・・・絶対に会おうな・・」と、痛みを堪えながら、にこやかに微笑まれそうです。輝穂さんが体をずっとさすっていると薬が効いてきたのか痛みが薄れて来たので「お父ちゃん・・・寝た方が良いから帰るね。また明日来るからちゃんと寝ときや」と後ろ髪を引かれながら部屋から出ようとすると
「輝穂・・・・」お父ちゃんが呼び止めました。輝穂さんが振り向くと・・・
「ばいばい~~~~ばいばいな~~」
お父ちゃんが良い笑顔でずっと手を振って輝穂さんを見送っていたそうです。思えばその時にお父さんは最愛の娘に「最期のお別れ」をされたんだと思います。
その夜の輝穂さんの電話では、叔母さんが急死をされ19日にお葬式に行くと言うのです。私は自分の父の無くなった時の事を思い出しました。父が亡くなって葬式の最中に危篤だった親戚の人、入院していてもう永くないと言われていた身内がが二人も「亡くなった」と連絡が入ったのです。
私は幼かったですが「黄泉への道すがらを寂しくないように共に逝かれるのか?」と思った事を思い出しました。
「輝穂さん・・・覚悟をね」「うん・・・・・」
20日・・・・突然のメール「あんじゅちゃん・・・お父ちゃん今亡くなってん。
私は今叔母の葬儀で池田に居るねん・・・今から帰る・・・お父ちゃんの死に目に会えんかったよ~~」
私は彼女に絶対に慌てないで・・・・と言いました。
「あんじゅちゃん心配かけてごめんね・・・今お父ちゃんと一緒にいるよ。
綺麗な穏やかな顔してやんねん。今から連れて帰ります」
22日・・・お父ちゃんの葬儀・告別式がしめやかに行われました。
祭壇にはお父ちゃんが大好きだった百合の花が飾られていました。輝穂さんが、自転車に乗るのに寒いといけないと編んであげたニット帽がお父ちゃんのお気に入りで、いつもいつも被っておられたので遺影の前にそっと置かれていました。
輝穂さんと私とは幼馴染なんで、早くに結婚した私の主人とも仲良しで良く三人で食事をしたりしました。主人にお父ちゃんの事を話すと
「葬儀が23日やったら大阪まで車で連れて行くけどどうや?」
「22日やって連絡来たから・・・」
「そうか・・・・18日に入院して、自分の足で歩いて行きはってんやろ?
たった2日か・・・・凄い親父さんやな。子供に一切の世話にならんとな・・・生きてはる時にいっぱい良い事しはったんやな」
本当に素晴らしい最期だったと思います。お兄さんが入院した時に
自分も倒れたら・・・輝穂が困るだろう・・・と思い、肺癌を小さくするほどの執念で病魔を退散させました。
家で療養中も一切家族の手を煩わせる事が無かったと伺いました。
娘を悲しませないように笑って手を振る姿・・
強く、かっこいい父親の・・昭和を生きた精鋭の最期だと頭が下がりました。
輝穂さんが「傍に居れずに・・死に目に会えなかった」と悔やんでいましたが、ある本に書かれていましたので私は輝穂さんに伝えました。
「お父ちゃんは苦しんでる姿を見せたくなかった・・・心配を掛けたくないと思ったから、輝穂さんが居ない時にそっと旅立ちはってん。そして前夜に輝穂さんといっぱい話せたから・・もう思い残す事が無かったんやね・・」
「あんじゅちゃん・・・本当?それやったら良かった。寂しかったやろうと・・思うと心残りやったから・・」
「来世・・・きっとまた会える・・・。」
お父ちゃんが亡くなってから不思議な事が次々に起こりました。
お父ちゃんに輝穂さんがプレゼントした阿朱庵の念珠が見つからなかったり、遺品の中から見た事もない水晶の珠が出て来たり。
平成29年から(来年から)新聞を入れてくれるように契約している契約書が出てきたり・・お父ちゃんは亡くなってからも冗談ばっかりで輝穂さんを笑わせたり驚かせたりしています。
極めつけは・・・葬儀の時のお坊さんは葬儀場の契約の方に来て頂いたのですが・・・家に来て頂くのは近所のお坊さんに来てもらおう・・と言う事でネットで調べて輝穂さんが電話をされたら快く来て下さるとの事・・・・。
でも後で聞くとそのお寺はお父ちゃんがいつもお参りしていたお寺だったそうです。私は「自分が死んだ後にお寺に困らないように・・」と
お父ちゃんが導いてくれたんだと思いました。
「昭和の精鋭のご逝去を悼み
慎んでご冥福をお祈り致します」
お父ちゃん・・・安らかにお休みください。