先日ご依頼主からハムスターの赤ちゃんが生まれたとの事で一匹頂きました。我が家の可愛い子「苺ちゃん」です。
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可愛いですね~~。子供達が名前を決めました。
ゴロちゃんの時は、オスとメスを間違えて女の子なのに「ゴロちゃん」になってしまいましたが今回はちゃんと女の子なんで「苺ちゃん」になりました。おやつを上げると受け取って両手でしっかり握って食べています。
先日パイナップルをやったら「もっとくれ・・」と金網から手を出しておねだりしてました。可愛い。
主人がハムスターのハウスの前で何かやってる・・・・
「お父さん~~食べたらあかんで~~
「なんで食べるねん。あほか・・・
「ほな・・何やってるの?そんな処で・・
「いやな・・・オガクズがなかったら寒いかなと思って・・巣に入れたってんねん。見てみ・・・喜んでありがとう・・ありがとう言うてるで
家族全員「言うかい・・そんなもん」
と言う事でみんなが癒されています。
ゴロちゃんに苺ちゃんを紹介したところ・・微妙に美味しそうな顔をするので「家族を食べてはいけない事」が解るまで今しばらく時間がいるようです。
ハムスターの寿命は約3年と書かれていました。小動物は人間より寿命が短いのには意味があると私は思っています。
今の子供達が「命」の重さや尊さに無頓着になっていると思うのは私だけでしょうか?
いわゆる「意地悪な子」は居なくならないのですが、昔のように喧嘩になって一発叩いてしまったとかとは違い、今は異常なまで暴行を加えたり執拗に虐め抜いたりする行為を平気でする子が増え、結果相手を死に至らしめると言う悲惨な結果になる現状が増えました。
これは子供たちが相手の痛みを想像する事が出来なくなった
「想像力の欠如」が大きな原因と私は思っています。
「自分がこうしたら・・・・相手はこうなるかも知れない・・・」
1、自分が暴力を振るうと・・・相手は痛いに違いない
2、自分がこれ以上殴ると・・・・相手は死んでしまうかも知れない
3、自分が執拗に虐めたら・・・相手は苦しいに違いない
4、自分がこれ以上虐めたら・・・相手は自殺をしてしまうかも知れない
自分以外の「相手」の心の痛みや体の痛みが想像できなくなった子供達は途轍もなく残酷な行為を平気でしてしまうようになってしまう・・そんな気がしてなりません。
核家族化、人間の寿命が延びた事により身内の死を体験する事がなくなった事、自然に触れる機会の減少でどんな小さな生き物にも命が宿っていることが自覚できなくなったり、小さな命は人間(自分)が加えた力加減で簡単に命を失ってしまう体験をしなくなったり、その「死」によって生と死の違いを体験できなくなってしまいました。
生と死の違いと言うのは「生は肉体があり動く・死は肉体がなくなりもう二度と会えなくなる」と言う経験です。
テレビは笑いの質が著しく落ちて「他人を馬鹿にして」笑いを取ったり
「見た目の差別をオーバーにして」笑いを取ったりと他人の尊厳を無視して笑えばいい・・と言う番組も多く見られます。
アニメやゲームも相手を殴り続けて、血がドバっと出ても死なないし、
死んでもまた簡単に再生が何度でもできるものばかりが人気があります。
そのような環境の変化で子供達は生きるに絶対的に必要な「生死の想像力」が欠如し始めた結果が暴力的な犯罪の低年齢化を引き起こしていると私は思います。
私の父は私たち兄妹が「生死の神秘」を幼い時にたくさん経験させようと
した親でした。その経験が素晴らしい「人間力」となって私たち兄妹が
親を早くに亡くしても社会的に問題なく生きて来れた礎をなったと父にとても感謝をしています。
私は多くの記憶の中で鮮明に覚えている事があります。
幾つの時だったでしょうか?父が蛍をたくさん捕まえて来ました。
夜、電気を消すとその蛍達は幻想的に虫かごの中で光りました。
兄と私は「わ~~~」と感動していつまでも眺めてなかなか眠らなかった。父は「綺麗やな~~虫も一生懸命生きてる・・一生懸命やから綺麗・・・」と話してくれました。ところが次の朝・・・蛍は全部死んでしまっていました。私が虫かごを揺すっても足を延ばし切ったまま蛍は動きませんでした。父が来て言いました「可愛そうに・・・虫は命が短い。死んだらね・・・
もう二度と会えなくなるんやで・・・だから命のあるものは大切にしなあかんねんで」と・・・。
私はその父の顔をを今でもよく覚えています。「死んだらね・・・もう二度と会えなくなる・・」そう言った父の顔を。
幼い時に飼った虫・金魚・小鳥・・・みんな私より先に死にました。うっかり水を忘れたら死にました。壁にぶつかって死にました。どれだけ大切にしても寿命がくればあっけなく硬く動かなくなって死んで行きました。私はその度にいっぱい泣いて大切にしてやらなかった自分を責めて泣きました。寿命の儚さに泣きました。
大切な家族が先立つ「死」の悲しみに虚空になりました。その時に父は必ず私に言いました「みんな死ぬねん・・・もう会えないねん」と。
でも・・・その死を見せてくれた動物の存在は私に「生と死への想像力」を
逞しく培ってくれたのです。
人間と言う力が「ものの命を奪う事」なんて簡単なんだと言う事
大切にしないものは死ぬ事
命の明日は解らない事
生きると言う事は凄い事
死ぬともう二度と会えない・・命は戻らない事
私が飼った小さな生命達は「生と死への想像力」と共に人間にとって最も大切な「相手の苦しみや痛みを推し量れる思いやり」「生と死への想像力」を無言で私に教えてくれたのです。
私は育った環境は劣悪ではありましたが身についた「生と死への想像力」が身についていた事により社会的に他人を傷つけたり残酷な行為に出ることなく人の親となれました。
 
 
私は父との短い暮らしと、小動物との出会いの中から命に対して多くを学びましたので、この経験を自分の子供達にも余すところなく経験させようと思い、子供が小さい時から虫から始まりいろんな小動物を飼いました。
 
乳児や幼児の時代は誤ってぎゅっと金魚を潰してしまって殺してしまっても、決して叩いたり、発狂したりして親が感情的になってはいけません。私の父は何が起きようと発狂して私を叩いたり怒鳴ったりする事はありませんでした。
私が誤って金魚を死なせてしまった時も「あんちゃん・・・見てごらん。可愛そうに死んでもうたね・・・可愛そうに・・金魚痛かったね~~苦しかったやろうなぁ」と父は泣いて金魚を手のひらに乗せて私にその死骸を見せました。私は「酷い事をしてしまった」と後悔と悲しみの涙が流れました。
でも父は私が少し大きくなった時、小鳥の足に紐を付けて飛ばそうと振り回していると鬼の形相で言いました「お前も足を紐でくくって振り回してやろうか?自分より弱いものに酷い事をしたらお父ちゃんは許さんよ」と言いました。
父は私が小動物を誤って死なせてしまったのか?わざと面白がって酷い事をしているのかを瞬時に見分け諭したり、厳しく叱責したりして「命の尊さ」を教えてくれたのだと思います。
先日ユーチューブを観ていると
天皇陛下と秋篠宮様がお小さい頃のエピソードが紹介されていました。
秋篠宮様はお小さい頃から動物がお好きでハツカネズミか何かを飼われていらしたようです。ある冬の寒い日、秋篠宮様が少し深い冷たい水たまりに「ハツカネズミを入れたらどうか?」と思い、お入れになりました。するとネズミは死んでしまったのです。そこに
天皇陛下が通り掛かられ「何をしていますか?」と問われました。
秋篠宮様が「ネズミを水に入れたら死にました」と説明された途端
天皇陛下は秋篠宮様をその冷たい水たまりに突き落とされたのです。
天皇陛下は秋篠宮様に「この寒い冬に水にはめられる苦しさ」を身をもって体験させ「命の尊さ」を教えられた・・・とのエピソードでした。
私はとても感動しました。
子供は何も解らない状態で生まれてきます。体験を重ね苦しみや悲しみとして現れる試練を幾つも乗り越えそれが「経験」となりやがて「正しい思想」は芽生え「自信」に繋がっていきます。
「正しい思想と自信」がある人に成長した人間は無益な殺生をしないのです。ですから昨今の子供たちの殺人や虐めは経験不足により引き起こされた「生と死への想像力の欠如」と言えます。
私も子供二人「尊き命」をお預かりしましたので、二人には「人として」立派に社会に貢献して他人の命や尊厳を自分と同じくらい大切にできるようになって欲しいと願い続けています。
子供達が小さい時から、我が家に小動物を家族として多く迎え入れました。
虫、金魚、小鳥、小動物、犬・・・寿命が短い順に「命への責任期間」が徐々に長いものに移行して行きました。
お陰様で長男も次男も多くの「生と死」を体験する事ができて
命の重さと尊さを知ることができたと思います。
私はこの子供達が狂いつつある世の中で「子供に一番大切な生と死・命の尊厳を知ること」を身に着けさせる為に寿命が確実に短い動物を家族に迎える事をお勧めします。
息子達ははしきりにゴロちゃんの寿命を尋ねるようになりました。
次男「お母さん・・・ゴロちゃんは後どれくらい寿命があるかな?」
母「大体・・12年くらい生きるから、後7年位じゃないかな?」
次男「そうか・・・後7年くらいだね・・・。ゴロ・・・後7年家族で幸せに暮らそうね。病気とか事故とかに遭ったらあかんよ。楽しい事いっぱいして元気で長生きして・・」
長男「うん・・・ずっと一緒に暮らしたいね・・・」
 
飼ってやっているのではありません。
「生と死の神秘・命の尊厳」を教える為に私たちに命を預けてくれているのです。