ブラジルなら治療法があるんじゃないか?
東京になら治療法があるんじゃないか?


色々模索しました。

でも結局大阪にいるのが体力も消耗しないし良いんだろうという事に。


私も帰国する日が近づいて来ていました。
ぐーちゃんも、スカイプとか電話でしゃべっていますが淋しいといいます。


子供と離れ離れになったら淋しくなるってみんないいます。
でも、その時の私はぐーちゃんと離れている淋しさより母の事が心配でたまらなかった。

母抜きでお医者さんとしゃべったときに「年をこせるかどうかわかりません」って。

だからブラジルに戻っても心配は増えるばかりだなぁって思ってた。
年を越せるかわからない。
ぐーちゃんにあわせてあげたいって思った。



父が「ブラジルに戻って、また何かあったら戻ってこればいい。お母さんの最後のお正月になるかもしれないからぐーちゃんも一緒につれてもう一回戻って来い」と。


母が年を越せる事を願って、年末の日本ブラジルチケットを2枚購入してもらいました。
チケットがあれば、もし何かあっても日にちを変えて飛んでいけばいいだけ。
関電の先生のところへ行く時1日だけ外泊許可がでました。


その時母に「ちょっと外にでたいからつきあって」といわれました。


歩くのもままならない母。

母は銀行へ行きたいと。

普通なら、3分もあればつく場所に、3回ほど休憩しながら15分かけて銀行へ到着。



なぜそんなに銀行へ行きたかったのか。





「ほら、お金ないんでしょ。ぐーちゃんになんか買ってあげなさい。」と私にお金をくれました。




言葉がでませんでした。
病院では何もできなくても、栄養補給だけはしてもらえる。
今の母にはそれが必要です。

そこから、家族はインターネットで癌に良いというものを探し、癌が治ったという人と話をし、模索の日々が続きます。

癌と戦うには食事が大切だと聞いて、色々してみるものの、母はとにかく食べられません。


水を飲むのもノドにつかえてしんどいようで。
その時、癌によいという水が九州にあり、妹の旦那家族がそれを愛飲しているということで注文したら、その水だけはノドにつかえなくするっと飲めると。

(ノドにも癌が転移。)


自分達なりに、色々探しました。


8月に入ってようやく何の癌かわかりました。

神経内分泌癌。


ま、わかったって言っても私にはよくわからない癌ですが。


そして先生から母・父・私にこのように告げられました。


「肝臓がやられていて、薬も使えない。手術も出来ない。何もできない。もって1年ですね。うちの病院でできることは、栄養補給だけ。」と。






頭の中が真っ白になりました。
家族の誰もが、手術して、治療すれば治ると思っていた。
それが何もできないと。





「関西にこの癌で有名な先生がいるから、セカンドオピニオンを聞きに行ってもいいですよ」と。



関電大学の先生の所へ行きました。



先生は


「(神経内分泌癌)ですね。まぁ、好きなもの食べて精をつけなさい。今年は暑いから、まず夏を乗り切りましょう」とだけ。

私が「癌ってステージとかあるんですよね?そういうのってないんですか?」って聞いたら、先生にはぐらかされた。





腹水がたまっていて苦しい母はほぼ食べることができませんでした。
なので、病院で24時間の点滴生活がはじまりました。


2013年7月末。
子供が生まれてから初めて一人で日本へ。
9月10日までの滞在予定。
母が手術して、回復するまで位いられたらいいなぁって思って。


いや~~~、一人で飛行機って楽だわ~~~!
子供がいると何かと心配事があるし、寝たい時間に寝られないし。
おまけに、今回カナダ経由で、待ち時間なんと7時間!!!ひゃ~~!
でも今のご時世、インターネットなんてものがあるから楽~~!
Wifi使って、日本のドラマ見まくってたら時間なんてあっというま~!



さて、大阪へ。
っていうか、日本、あっち~~~~~~~~~!!!


妹に、両親はどこにいるのかを確認して病院へ。



まぁ母の驚いた事。


人間が驚いて「ぽかぁぁん」となるときってあんな顔になるんだなぁってのを見させてもらいました笑。



母が自分で言っていた通り、手と足は飢餓状態の子供のように細く、おなかだけは臨月の妊婦さんのようでした。やせ細って、声に力が入らない。


この時点でも何の癌なのかわからず、まだ検査ばかりしていて治療方針も決まっていませんでした。