なんだか、今までのブログと違って「暗い」ブログになっておりますが(苦笑)、そのうちあがっていきますので(^-^)



母が亡くなり、ブラジルに戻ってきて、旦那に「1週間後に引越しする」と告げられました。



引越しするかもしれないとは聞いていましたが、1週間後?!?!

そりゃまぁびびりましたよ・・。



大好きだったご近所さん達にろくに挨拶もできないまま、引越し。


また引越しですよ。ブラジルに来てから4回目。


このあたりの物価がたいそう上がったようで、それにあわせて家賃が大幅に上がりました。
プラス給料もあまりよろしくなく・・。





というわけで、レベルダウン。ガーン




ま、ダウンとは言えども新築マンションですので文句は言えませんが、おうちの大きさが半分くらいに。



今までの経験で行くと、大体大きな家に住んだ後は小さな家にというグラフになるので、きっと次はまた大きな家にいけるのではないかとwww。




でも、なにより辛いのは、お友達と離れた事。
前のおうちからはかなり近いところにあるのですが、やっぱりお友達と別れるのは淋しい。
専業主婦の私は毎日しゃべる相手がいましたから。
今いるところは、ようやっと1人お友達が出来たくらいで・・・
(やっぱり暗い・・)



うぅぅぅ。
私だって、セレブみたいなブログがかきた~~~い!


〇〇っていうレストランのご飯最高!

とか、

〇〇へ行きました!

とか






そのうちブラジルセレブブログ書くぞーー!!




ドラマで聞いた言葉。



「どちらが前かもわからないけど、とりあえず自分で前だと思うほうでも向いておけば何かみつかるんじゃないか」




後ろ向きになってる私にぴったりの言葉でした。
書いたら思い出して、全部思い出して悲しくなるのになんで書いてるんだろう・・。


みんなに知ってもらってかわいそうだって思って欲しいのかな・・・。


わかんないや。



とにかく、人生で一番辛い日が来てしまった。


母には何もできなくてごめんなさいという言葉しかかけられなかった。

自分が生き続けても心配かけるだけだからと思って、さっさと逝っちゃったみたい。
なので私は予定通り9月10日ブラジルに戻った。




そして今、半年が経った。

親がいなくなるということは、想像をはるかに超えて私に影響を与えている。

日本という遠い場所にいて存在を直接感じることはない。
ただ、本当に存在が無くなったときにその人の存在がどれだけのものだったかを知った。


そして朝があけ、土曜日だったから遠くに住む弟、親戚の人もみんな来てくれて。

母は安定していた。

母方の親戚は青森県にいるので、電話で伝えたら日曜日に行くと。


父にも、少し休んだ方がいいと言った。


夕方には個室でみんなでコンビニのお弁当まで食べた。


男性人はビールも飲んだ。


看護婦さんに「患者さんはもってのほかですが、ここは病院ですよ!」と注意されつつ・・苦笑。




母はまだ安定している。


峠なんていわれたけど、なんだ。


大丈夫じゃん。




鎮痛剤のせいで話はできないけど、声は聞こえてるっていうから、弟が置いてきた子供(5歳)を電話で呼び、母に話しかけさせた。


私もスカイプでぐーちゃんを呼んで、母に話しかけさせた。



そしたらお母さん逝っちゃった・・・。
特に母に変わった様子もありませんでした。


8月末に、体内で出血していて輸血が必要だと言われました。
(白血球が少なく、血管が弱くなっているため。)


ちょうどそういわれた日に、父が母を個室に移しました。
個室のほうがやっぱり気を使わなくていいですもんね。


個室に移動したから、その日私は母と一緒に寝ることにしました。


輸血も終わった頃から、母の体調が優れず、その日の夜は眠ることも出来ず吐いてばかり。
どうにかして欲しいと頼んでも、なんのお薬もききませんでした。
麻薬を使うということで、麻薬をつかうと楽になりました。
プラス、鎮静剤のようなものも。これを使うと意識が朦朧としてしゃべられなくなるみたいですが、痛みはなくなると。


次の日は父が一緒に寝ることに。


そして「今夜が峠です」と言われました・・・。

私達凡人にとってはなんだかわからない数値が上がったり下がったり。

夜中に電話がなるのが怖かった。


鳴らないな・・・って思ってたら、電話が鳴っちゃった・・。
夜中の3時妹と二人の甥っ子をかかえて病院へ。




行ったけど、特に母の病状に変化は見られなかったのでひとまず安心。