ときどき、
自慢げに、嬉しそうに
「わたし、繊細なんです」という人がいます。
「繊細」という言葉は、言われて嬉しい言葉でしょうか、
それとも逆でしょうか。
多くの場合、
「私、繊細なんです」というと
自分が傷つくことには繊細ですが、
人を傷つけることには鈍感だったりします。
自分が傷つくことにはとても敏感ですが、
そういう人に限って
誰かを傷つけていたりするし、
「私、傷つきやすいから、あなた気を遣ってね」オーラを
全開にしていたりします。
ああ、面倒くさい。
人は、
誰かにしたことは忘れていても
誰かにされたことは忘れない。
誰かにしてもらったことは憶えていなくても
誰かにしてあげたことは憶えているのではないかと思います。
私は、常々言っておりますが
「自分のことを繊細という人ほど、鈍感な人はいない」
と思っています。
このことは、
いつぞやのblog、
おそらく10年ぐらい前に書いた記憶があります。
ある人(まったく会ったことないblogを読んでいる方)に
「私はとても繊細なので
あなたみたいな鈍感なことを言う人が信じられません」
とメッセージが来ました。
そのとき
「あなたほど繊細な人が、いきなり知らない人に
こうして『あなたは鈍感だ』と言い切ってしまうその鈍感さが
とても信じられません」と思った記憶があります。
まず、名を名乗れ。
![image](https://stat.ameba.jp/user_images/20170120/16/amoenitas/8e/e5/j/o0480032013849781415.jpg?caw=800)
「繊細さ」とは
色でいったら「コーラル」、
四柱推命でいったら「辛」にあたるのではないかなと思います。
珊瑚の繊細さ、
宝石の繊細さ。
でも、
「繊細さ」って
なんだか違うように捉えられているようにも思います。
自分が傷つくことだけに繊細なのだとしたら
それほど身勝手なことはないし、
私は傷つきやすいから
あなた気を遣ってくださいね、と周りに気を遣わせるほど
幼稚なことはない。
本当に繊細なのだとしたら
周りに一切気を遣わせない繊細さ、
自分がそんな風にふるまうことによって周りがどんな想いをしているかに
想いを至らせるほどの繊細さ、を
発揮されたらよいのではないかな、と思います。
そして、
「私、こんなに気を遣ってます」というのを
周りに感じさせるほど繊細さから遠ざかる行為はありません。
よく、前述の「辛」の特徴を
・群れるのが嫌い
・傷つきやすさ
・辛辣さ
と表したりしますが、
群れるのが嫌いなのと協調性がないのとは違う
自分が傷つかないようにふるまう(周りに気を遣わせる)繊細さと
自分が傷ついてもそれを見せない周りをくみ取る繊細さは違う
ウィットに富んだユニークさと
ただただ批判的な愚痴は違う
オトナの抑制のきいた自己コントロールと
犠牲的な我慢は違う。
そう思います。
繊細な人に鈍感になれというのはおそらく無理なコトなので
その繊細さ、
その感性の鋭さ、
その感受性の豊さ、を美しい方向に活かす。
何かを生み出すエネルギーに使う。
それこそが、
その人にしかできないモノではないかなと思います。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20170102/18/amoenitas/75/6a/j/o0640042713836257038.jpg?caw=800)
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