あるセッションでのこと。 | 五行×五感  アモエニタス★スタイル

あるセッションでのこと。

この前、
ある人があるセッションを受けて
「初めて、あることを共感してくれた人がいた」
と甚く感動してメッセージをくれた。
それを読んで私も涙が止まらなかった。
このことで彼女がどれだけ癒されるだろうか、
自分の人生を肯定できるのだろうか、と思ったから。
 
先日、
ある人にあることを話した。
私は去年、
そのことでとても苦しい思いをしたし、
悲しい思いをしたし、
もう人なんて信じられない、って思った。
そしたら、「そういうことって結構あるんだよ」って言われた。
 
「えー、そんなこと、まずないけど」と
小さい私は反論しそうになったけど、
同時にとても救われる思いがした。
なんか、違うレベルで共感してくれてるのがわかったから。
 
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彼女は、去年、
(おそらく)とても苦しそうにしていて
彼女を知る人ほど、
彼女以外のものを否定することで、
彼女を肯定していた。
 
それは、周囲の人たちの
優しさであり、愛であり、
励ましであり、慰めであったと思う。
 
けれども、そのセッションで、
今までずっと「否定され続けてきたもの」が
肯定された。
 
それは、彼女を否定するための肯定ではなく、
彼女を肯定するための、
大いなる肯定だった。
 
それを聞いて、彼女は泣き崩れたという。
 
ずっと「それ」を聞きたかったから、と言っていた。
 
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私の、つい先日の出来事も
前述の彼女と同じような感じだろうか。
 
なんかうまく伝わらないかもだけど、
全面的に自分のことを肯定されてない感じが、
むしろ200%ぐらい自分を肯定してくれている感じがして。
そして、ほんとに大事なものに気づかせてくれる気がして。
そして、自分が応援されてる気がして。
 
こういう「応援」というのもあるのではないだろうか。
 
起こっていることすべてに「YES」という。
 
一見、肯定できないことにさえ、
ことだからこそ、
YESという。
 
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私がときどき相談する人は、
私が顔をしかめながら話していることを
時に泣きそうに話していることを
いつも嬉しそうに、楽しそうに聞いてる。
 
もう、この時点で、私は救われる。
 
一緒に泣かれたり、
一緒に悪口言われたら、
 
そんなことをしてほしいわけではない、
そんなことを言ってほしいわけではない、
 
と、勝手なことを思うから。
 
だから、
もう、全然違う場所から
期待していないボールを投げてくることに
いつもハッとする。
目が醒める。
悩んでいることさえ、アホらしく思えてくる。
 
そして、ようやく捉われていたことから解放されて
新たな一歩が進める。
 
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ちなみに、
2人とも、とてつもなくアタマがいい。
私が人生で出会った、アタマのいい人ベスト3のうちの2人が
その2人だ。
 
けれど、アタマがよいだけでは惹かれないわけで。