『いいよ、しよっか。セックス』
確かに彼からはそう聞こえた。そして嫌がる素振りも全くなかった。
『……え……?ほんとに?』
確かめるなんてダサい。そう思うのに、自分の言葉に彼が肯定の言葉をくれた事が信じられなくて、つい。
『男とやるの初めてだけど、いい?』
潤む目は酒のせい。そんな事は分かっている。それなのにその言葉の後すぐにオレの首に腕を回した彼がさらに目を潤ませ、ゆっくりと唇を近付けキスをするからもう堪らなくて即舌を絡めた。
『キスだけでイケそ』
本心が気付けば言葉になっていた。
『……わかる、俺も』
真っ赤な唇から発する言葉にすら興奮すると言うのに
『狡いって』
上目遣いは理性を飛ばす。
『やばいな、マジで』
ぶっ飛んだ理性は、目の前にいる美しいとしか形容のしようがない彼の着ていたTシャツを強引に脱がせた。
『言っておくけど、オレも男とするの初めてだから』
キスのせいにはしない。キスをされたからこの後の行為をした訳では無い。派手なホテルのせいでもなくでかいベッドのせいでもない。玩具を見たからでもく、鏡の多さがその理由でも無い。理由は他にある、絶対。そう思いたかった。
『だろうね』
そこからオレ達がした会話は少なかったと思う。俺に触れられて彼が喘ぐその声を聴き逃したくなかったから。白く透き通る滑らかな肌にずっとずっと触れていたかったから。
『男なのに綺麗ってあるんだね』
怖いくらい綺麗だった。怖くなるくらいに夢中になった。男の喘ぐ声を聞き、男の体に触れているのに。
『あ、……イイ』
彼に触れ彼の声を聞いてオレは、今迄の人生で経験した事の無いほど過剰なまでに身体を反応させていた。
「その人、どんな顔だった?身長はオレより少し低くなかった?目は?目が大きくてふわふわとした髪じゃなかった?」
掴んだ二宮君の肩を思い切り揺さぶっていた。記憶にある彼の容姿の全部を二宮君に言ったところで伝わる事なんて無いのに。
「……ちょ、先生??なに?どーしたのさ」
驚く二宮君がいつもより大きな声を出してオレを制すけど冷静になんてなれない。もしかしたら、二宮君にオレのことを聞いた男はあの時の彼かもしれないと思うとどうしても。
「少しなで肩で線が細くて、唇を触る癖無かった?あとは、手……。手が凄く綺麗で肌が透き通るように白くて……違う?」
何をこんなにも必死になっているんだろう。一晩一緒にいて知った彼の事を、彼かも分からないその男と少しだけ話をしただけの二宮君が分かるわけないのに。
「先生、ごめん、落ち着いて?あのね、その人ね、確かに綺麗な人だったよ?背はどうかな。おれよりは高かったかもしれないけど、あとは分からない」
「……ごめん、そうだよね」
「だけどね、コレ、渡されたんだ。先生に渡して欲しいって。でも先生嫌がるかと思ったから黙って処分しようかと思ってたんだけど、もしかしたら先生の知り合い?」
手が震えた。二宮君が自分に向けて差し出したのは一枚の名刺。震える手で受け取ったその名刺にある名前がこの長い月日ずっと考え想い続けた人のものかもしれないと思うと。
「……櫻井、翔」
「やっぱり知らない人?」
名刺には名前と会社名、会社の住所と電話番号が記されているだけ。個人的な情報も無ければ顔を知る術もない。だけど何故かすぐにわかった。この名刺の持ち主はあの時の彼だと直感的に思ったのはその綺麗な名前が彼に似合うと思ったからなのかもしれない。
「いや、知ってるひと」
「あ、ほんと?それなら良かった。怪しいとかじゃないけどさ、先生の事なんか凄い知ってるっぽくて。見た目とか性格とか。だけど名前知らないっぽいから新手のストーカーかと思ったり」
「あはは!ストーカー?オレに?ないない」
「分かってないな、先生めちゃくちゃモテるのに。若い看護師の噂の的だよ?それに今彼女いないんでしょ?」
彼女と呼べる人はいない。あの日から一度も誰とも付き合っていない。欲を処理するためだけの相手はいるけど男。その時以外思い出すこともないほどの相手。自分の立場のことなど一切話さず、だけど向こうの素性は把握している。もし自分の立場が知られてしまったとしても公にはしないであろう人間を選んでいる。そしてこちらからしか連絡はしない。それで向こうが納得してる様には思えないけれど、それ以上の関係を求められても応えることは出来ない。
「この会社、二宮君知ってる?」
「あ、話変えた。って、んー?どれ?って、めちゃくちゃ大企業じゃん」
「やっぱりそう?僕でも知ってるってことは相当?」
知らない人はいない。そんな会社名が書いてある名刺を見て、尚更にこの名詞の持ち主は彼だと確信する。オレが医者であると知った時の表情は、得体の知れない人間ではないという安堵からだったのかもしれないと今なら思う。
「相当だって、絶対。先生並の給料なんじゃないかな」
「……君はお金のことになると詳しいね」
「当たり前でしょ?」
そんな話をしながら確認した会社の住所は、ここから駅ひとつ離れただけの極々身近な場所だった。