パパ、大阪出張中。

 

パパのお弁当と、朝食つくりのない朝。

 

のんびりブログを書けます(笑)

 

 

さて、昨日の続きになります↓↓

 

 

 

母、義妹、いつものご近所さんの事は

 

書いて、記録に残しておきたいという

 

欲求はあるものの

 

書いているうちに、気が滅入ってくるので

 

さっさと、書いてしまおうと思います(笑)

 

 

1番下の妹からもらった

 

母の日のプレゼントに、文句を言った母。

 

ほんと、私にも

 

母は、ずっと、こういう感じでした。

 

 

1番下の妹は、私や

 

私のすぐ下の妹(次女)とは

 

10歳位、年が離れて生まれた為

 

家族の皆から、かわいがられて育ちました。

 

 

それに反して

 

私は、幼い頃からずっと

 

母の気に障ることがあると

 

自分の手が痛いからと

 

長い物差しで、叩かれて育ちました。

 

 

当時は、学校の先生ですら

 

生徒に手をあげる時代だったので

 

そういう時代というのもあったとは

 

思いますが

 

今で言うなら、しつけという名の

 

虐待です。

 

 

特に、1番下の妹が

 

私が、小5の時に生まれてからは

 

母のストレスのはけ口に

 

なっていたような気がします。

 

 

1番下の妹が、幼稚園や

 

小学校に行きだしてからは

 

母は、毎日のように

 

習い事や、友達とのランチなどで出かけ

 

帰ってくると、私に

 

「洗濯物をしまっても、洗濯物がたためないのか」

 

「ご飯くらい、炊いておくのが普通」とか

 

「暗くなってきてるのに、雨戸が閉まってない」とか

 

「長女なのに」「お姉さんなのに」と、叱り

 

少しでも、言い訳すると

 

物差しで、何度もたたかれました。

 

 

ひどい時は、掃除機の吸い込み部分で

 

叩かれたり

 

Tシャツを引っ張られ、Tシャツが破れたことも

 

ありました。

 

 

だって、私だって

 

学校から帰ってきて、疲れているんですよ。

 

母は、専業主婦。

 

自分は、毎日遊び歩いて

 

自分の仕事である家事すら、しないで

 

私を怒るの?

 

私は、ずっとそう思っていました。

 

 

そして、そんな風に

 

母から怒られたこともなく

 

洗濯物1枚干したことも

 

茶碗1つ洗ったこともなく育った妹は

 

母に対して

 

私とは、全然違う感情を持っていたと

 

思います。父が亡くなるまでは。

 

 

 

 

 

亡くなった父は、鰻が好きでした。

生きていたら、贈ってあげられるのにな悲しい

 

 

 

 

 

AmebaNews記事レビュー