前回から続く
次は人材面での研究凋落を見てみよう。(博士取得者の減少、若手研究者割合の減少)
前回の引用文書には博士号取得者数の影響も考察している。
博士号取得者は、日本は減少傾向、米、中、韓、英は増加傾向であり、特に米、中の増加幅は大きい。なぜ、博士号取得者を重視するかというと、研究者として認められるのは、この肩書きが重要であるからである。島津製作所の田中さんがノーベル賞を授与されたが、博士号を持っていなかった。このような例は相当まれである。
報告では、研究者に占める若手人材の割合が低下して、平均年齢が上がっていることも指摘している。実のところ、論文を自分で書いて投稿できるのはせいぜい40歳代までで、特に先端分野はその傾向が強い。従って、高齢化に伴い論文が減っていくのは当然流れであろう。
博士課程に行かない理由は昔から変わっていない。博士号を取っても報われないからで、逆に学費、生活費で数百万円以上かかる。修士を出て働いていれば給与が入るわけだから、博士課程に入ると修士卒と比べて1500万円くらいの損失になる。この差は、企業に入っても取り返すことができない(個人の能力差は考えないとして)。
また、博士を採用する企業は未だ少数である。
私が大学生だった頃、学科は1学年30人位だったが、博士課程に進んだのは3人だった。1割程度であるが、彼らの就職先は大学か公的機関であった。昔の徒弟制度みたいに、同じ研究室で助教、准教授、教授に上がっていくというのは今は少ない。大学に就職できたとしても任期付きがほとんどで、数年後には出て行かなければならない場合が多い。
就職もままならないうえ待遇も悪く、お金を費やすだけとしたら、博士課程に誰が進むだろうか。研究が好きでたまらないとか、金に不自由していないとかでないと、博士課程に進学する積極的理由がない。
もちろん、能力があれば学振の補助を受けたりはできるが、ごく一部である。
国外の博士の就職状況については詳しいことは分からないが、米国では優遇されるようなことを聞いているが、もちろん実力社会なので駄目な研究者はドロップアウトしていくだろう。ただ、就職先が心配で博士課程に行かないというのは少なく、また学費については奨学金があり、後々取り戻せるような高収入が期待できるので経済面での障壁は低いのではないかと思う。
なお、私が勤めていた国の研究機関では、広く研究職員を応募しているが、いわゆる東南アジア、東欧などからの応募はあるが、技術先進国からの応募はかなり少ない。応募者も学位を持っているか取得見込みであるが、発展途上国では高度人材の就職先が余りないのであろう。日本も、高度人材の受け入れ先が少ないという点で、発展途上国並みである。
内外の研究環境について
私はヨーロッパの研究機関に1年間留学していた。その経験から言えば、日本の研究環境は圧倒的に悪い。予算の面と言うよりも、研究に割ける時間が圧倒的に少ないのである。多くの内外の会議、学会の仕事(編集委員など)、予算関係の仕事(複数のプロジェクトがあるので報告書などの対応)、物品購入手続き、等々。公的機関では、高額物品の購入などは入札制のため、買いたい機種が決まっていても、わざわざ他社が入札できるような仕様書を作る。調べるのだけでも時間がかかる。
予算面が面倒なのは会計検査があるからで、会計検査員にとっては、成果よりも予算の使われ方の方が問題であるからである。
私が最も研究できた時期は、この1年の留学時である。日本との差は、研究者も研究するのが楽しそうであったことである。日本では求道者のように研究を進めているが、それは困難が多いためである。
ヨーロッパには新しい知見を尊ぶという科学の精神がある。一方、日本は知見よりも、それが何の役に立つのかの実用性が重視される。
日本は、研究道を作ってそこで精神修養をしているようである。若い人が博士課程に進まないのも道理である。