http://ameblo.jp/ikedatakamasa/entry-11382830594

いつも読ませてもらってる方のブログです。


とても心にとまったもので、

勝手にリンク。


させていただきました。



そうなんですよね。

本当に。


いや、もちろん自分なんかが同じ目線でものを語るにはあまりにペーペーすぎるとは思いますが。


他人を見て羨ましいと思っていても本当にキリがない。



そして、

人と同じものを手に入れたところで何もかわらない。



自分にとっての幸せみたいのはもっと別のところにあるような気がする。



「自分に本当に必要なものはすでにあなたの中にある」


みたいなことも聞いたことあるような気がします。



ないものを探し求めるよりも、

あるものの良さを味わっていくこととというのが結局は自分の幸せにつながっていくんですかね。


んー、不快。


もとい。


深い。




まあいいや。




楽しいから笑顔になるんでなく、

笑顔でいるから楽しくなる。


楽しいから明るくなるんでなく、

明るくあろうとするから楽しくなる。


良いことがあるから前向きになれるんでなく、

前向きにあるからいいことがある。



僕はわざとらしいのが嫌いです。


なんか上っ面臭くて。


そういう人見ると何してんだろって思っちゃいます。



だから自分に心底素直にあることのほうが大切だと思うようになりました。




どんなことにも自分の思った通りに、

感じたままに。


それはけして間違ってることではないと思います。


今でもそう思います。


それでも少し考えが変わりました。


それだけじゃだめだということに気付きました。



気分次第に任せてても、

良いときはいい。

悪い時は悪いにしかなりません。



そこにプラスアルファで自分でコントロールすべきところは自分でするということです。


これがとても大切になってくるんだと思います。



から元気だろうが、ウソだろうが、

日ごろから明るくある。


偽善でも、気持ちがなくても人にやさしくある。


嘘八百でいいから前向きな言葉を発する。



無理にでも笑う。



自分の気分に任せるんでなく、

自分でコントロールする。



わざとらしくてなんぼ。


だってわざとだもん。



それでも、

しないよりはよっぽどいい。



ついでに言うと、

人間の性格の9割は癖だそうです。



そう。



つまりわざとでも、

嘘八百でも常日頃からしていれば、

それがいつの間にか自分の性格になるということです。



何かがなくちゃ楽しくなれないよりも、

何もなくても自分の中から楽しくなれるほうが人生絶対得です。



信じてもらうよりも、まずは自分から信じる。



好きになってもらうよりも、まずは好きになる。







僕の理想像は、

なんかかっこいいと思ってしまう人というのは、

けして目立つわけではないけど、

ダサくて、泥臭くいことでも人目をはばからずに出来てしまう人です。



なんかうまく言えないけど。



はっきりしたらまたかこうかね。


気が付いたら久々の日記ですね。


基本的に日記を書くということは、

悩んでいることがあって

それに対するきづいたことを書くという感じが最近のスタンスなので

書くことがないということは平和に暮らしているという証拠でしょう。


同時に何かに対して想い入れないほど、

何に対しても努力をしていないということでもありますが。



にしても、

タイピングが恐ろしいほどぎこちない。



これはピアニストがしばらくピアノから離れた時の、

あの感じですね。



のだめかなんかで見た気がします。笑




僕は基本的に気い遣いな人間です。


基本的にというのは少し違いますね。


僕という人間のベースはそれなりに我が強い人間だと思います。


わかりやすく言えば

わがまま。


そんな人間ですが、

転校が多かったせいか

社会的な自分として成長してきたのはどこにでも適応できるような、

とげのない人間だと思います。


それが気い遣いだということです。


あ、一応ですけど仲のいい人間にはこれでもかってほど好き勝手します。



気い遣いということは、

そのもの、その人の主体性を崩したくないという考えが根本にあると思います。



嫌な思いもしてほしくないし、

その人のペースも崩したくない。


でも、

それがいつまでも続くとそのものとの距離がいつまでたっても縮まらないということになります。


人に限りません。


たとえば住んでいる街も、そうです。


何年住んでも「自分の街」という感じがない。


いつまでたっても町内会の問題は他人ごとです。


別に町内会に意欲を見せるということじゃありません。


たとえば、

自分の所有しているパソコン、家、教科書、

ここでいうのは思い入れの強いものであればいいのですが、

そういったものが傷つけられれば少なくとも普通の感覚を持っている人間であれば怒るはずです。


悲しくもなるし、

友達であれば助けたくもなる。


なんでか、

「自分の~」だからです。

「おれのもの」だし

「おれの友達」だし

「おれの街」だから。


意識してなくても、

そういう感覚があるからこそ自分以外のものなのに、

それに何かあると感情が起伏するんですよね。



もちろん見ず知らずの人間が目の前で傷つけられても、

それなりに感じるとは思いますが。


自分の関係するものという意識がそのものとの距離感を縮めてんですね。


何が言いたいかというと、

もう少し感覚的に「おれの~」という感じを持ってもいいのかなということです。


気をつかってばっかだといつまでたっても、

他人は他人。

人の物は人のもの。


自分どうだっていいものでしかありません。



友達が多い人や、すぐに人と仲良くなる人というのは、

他人に対してすぐに仲間意識を持てるのが特徴です。



別に自分のものという意識を持ったからって好き勝手するわけじゃありません。



要は、

距離感です。



そういう意味でもう少しずうずうしくなったほうがいいのかな


と思いました。


そうすればもう少しいろいろ濃くなるかなって。



たぶんね。