気が付いたら久々の日記ですね。
基本的に日記を書くということは、
悩んでいることがあって
それに対するきづいたことを書くという感じが最近のスタンスなので
書くことがないということは平和に暮らしているという証拠でしょう。
同時に何かに対して想い入れないほど、
何に対しても努力をしていないということでもありますが。
にしても、
タイピングが恐ろしいほどぎこちない。
これはピアニストがしばらくピアノから離れた時の、
あの感じですね。
のだめかなんかで見た気がします。笑
僕は基本的に気い遣いな人間です。
基本的にというのは少し違いますね。
僕という人間のベースはそれなりに我が強い人間だと思います。
わかりやすく言えば
わがまま。
そんな人間ですが、
転校が多かったせいか
社会的な自分として成長してきたのはどこにでも適応できるような、
とげのない人間だと思います。
それが気い遣いだということです。
あ、一応ですけど仲のいい人間にはこれでもかってほど好き勝手します。
気い遣いということは、
そのもの、その人の主体性を崩したくないという考えが根本にあると思います。
嫌な思いもしてほしくないし、
その人のペースも崩したくない。
でも、
それがいつまでも続くとそのものとの距離がいつまでたっても縮まらないということになります。
人に限りません。
たとえば住んでいる街も、そうです。
何年住んでも「自分の街」という感じがない。
いつまでたっても町内会の問題は他人ごとです。
別に町内会に意欲を見せるということじゃありません。
たとえば、
自分の所有しているパソコン、家、教科書、
ここでいうのは思い入れの強いものであればいいのですが、
そういったものが傷つけられれば少なくとも普通の感覚を持っている人間であれば怒るはずです。
悲しくもなるし、
友達であれば助けたくもなる。
なんでか、
「自分の~」だからです。
「おれのもの」だし
「おれの友達」だし
「おれの街」だから。
意識してなくても、
そういう感覚があるからこそ自分以外のものなのに、
それに何かあると感情が起伏するんですよね。
もちろん見ず知らずの人間が目の前で傷つけられても、
それなりに感じるとは思いますが。
自分の関係するものという意識がそのものとの距離感を縮めてんですね。
何が言いたいかというと、
もう少し感覚的に「おれの~」という感じを持ってもいいのかなということです。
気をつかってばっかだといつまでたっても、
他人は他人。
人の物は人のもの。
自分どうだっていいものでしかありません。
友達が多い人や、すぐに人と仲良くなる人というのは、
他人に対してすぐに仲間意識を持てるのが特徴です。
別に自分のものという意識を持ったからって好き勝手するわけじゃありません。
要は、
距離感です。
そういう意味でもう少しずうずうしくなったほうがいいのかな
と思いました。
そうすればもう少しいろいろ濃くなるかなって。
たぶんね。