光があるから影がある。


んー、たしかに。




黒があるから白がある。


敵がいるから、仲間がいる。



良いところがあるから悪いところがある。


他人と身内。


善と悪?



なんでもいんですけど。


相対するものであふれているこの世の中ですよね。


光がなかったら、影という存在はなくなる。


だって影しかなくなるわけだから、

それが当然になってしまう。



不自由の中にこそ、自由がある。



自由だけだったら、

それは自由という本来の開放的な感じはなくなってただの暇になってしまうんでない。



それぞれの概念は相対しているようで、

互いの存在を支えあってる感じ。




嫌いな人が居るから、

好きな人もいる。




もちろんみんなが好きって言うのが一番いいけど。



それでも、

そうじゃなきゃいけないなんてことはない。



あるままに。



ダメならダメでいい。



自然のままに。



とかっつって。




ね。


過去はなかったことに出来る。


こうやって言い切ってしまうと、

少々語弊を生みそうですが。


なかったことに出来ると思います。



「人のうわさも七日間」だっけ


正しくは覚えてないけど、

そんな感じのことも行った気がします。



でも、

事実は事実です。


事実を消すことはできません。



かといって過去という時に囚われていることは、

今という時を犠牲にしている気がします。



ここで言う過去はなかったことに出来るというのは、

過去は乗り越えることができるというニュアンスに近い気がします。



とかって、

さも一般論見たく言ってるけど、

完全に個人的な見解でしかありえませんが。



たとえ恥かこうと、大失敗しようと、

そんなことを気にして臆病になるのは時間の無駄です。


ただし、

失敗だけでなく、

過去の栄光もそうですよね。



いつまでも余韻に浸っていれば、

あっという間に自分が風化していくだけです。



過去にこうだったからこうしよう。


過去に依存して未来を意思を決定するのは、

一歩間違えば二度と新しい一歩を踏み出せなくなります。







気にしているのは自分だけです。



他人は思ったよりも自分のことに興味がないものです。



囚われているのは自分だけです。



そして気にするかどうかは自分で決めることができます。




過去を踏み越えていくということが

新しい自分への「初めの一歩」になるのかと思います。




もしかしたら大局を俯瞰した時には「運命」というような

大きな流れがあるのかもしれません。


それでも、

今を選択するのは自分です。


未来は自分の力で創ることができます。



過去は過去です。



今とは関係がありません。



たぶん。

セルフイメージが大切。

自分はできるんだと信じることが大切。


そんなこんなことをたまに聞きます。


確かに大切なことなんでしょう。


自分を信じると書いて、自信。


でも最近の自分には、

過信と自信の区別が出来ていないように感じます。


過信は信じすぎることです。


大切な謙虚さをどこかに置き去りにしています。



だからというわけではありませんが、


出来ない自分。


へたくそな自分というのもありなんじゃないかと思います。



できなくていいじゃないですか。

へたくそでいいじゃないですか。

不器用万歳じゃないでしょうか。


だからこそ人一倍努力するってもんでしょう。



だからこそだれの言葉にも耳を傾けることもできるんでしょう。



だからこそ本当に大切なことを無理なく見分けることができるんでしょう。



できる自分を飾って、自分を外側を飾ることに精いっぱいになっても、

どんどん目の前のものが見えにくくなっていくだけでしょう。



出来ない自分。

どうしようもない自分。


そんな自分を受け入れてしまえば、

後は真っすぐな道が目の前に伸びているんでしょうね。



とか思って



しまった夜でした。