『いまこそ振り返る「V12」のメリットと魅力とは?
最初に搭載したのはスーパーカーではなくパワーボートでした』
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* 最後の楽園と化したV型12気筒エンジン
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二酸化炭素排出量を低減させることが全世界的目標とされている昨今、自動車用のパワーユニットもダウンサイジングを経て、電動化へのかじ取りが否応なしに進められている。
この巨大なうねりの中、高級さや高性能のシンボルとして前世紀末から今世紀初頭に最盛期を迎えたV型12気筒エンジンも、その多くがV8ターボ(+ハイブリッド機構)に取って代わられ、今やV12は一部の高級スーパーカーないしはハイパーカーのみに許された「最後の楽園」と化しているといえるだろう。
この上なくロマンティック、そしていずれ伝説となってしまいそうなV12は、どのようにして誕生し、なにが優れていたのか……?
その謎を探ってみよう。
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* はじまりはスピードトライアル競技用ボートの原動機
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19世紀末に登場したガソリンエンジンは、第一次世界大戦中の航空機の進化とともに飛躍的に進化をとげた。
また第二次世界大戦中、欧米の軍用機では液冷V12エンジンの搭載例が多かったことから、V12エンジンのはじまりは航空機エンジンから……?
とも思われがちである。
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じつは筆者もそう想像していたのだが、調べてみるとV12エンジンを初めて搭載した乗り物は、1904年に英国ロンドンの「パットニー」社製のエンジンを載せた、スピード競技用のパワーボートだったことがわかった。
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パットニー社の創業パートナーの名から「クレイグ・ドルワルド(Craig-Dorwald)」エンジンとして知られたV12ユニットは、同社がすでに生産していたVツインをベースにしていたことから、Vバンク角は90度。
弁形式はサイドバルブで、排気量は18.4Lという巨大なものだった。V12エンジンの各バンクは、もとよりバランスに優れた直列6気筒エンジンとして機能し、それぞれプライマリーエンジンとセカンダリーエンジンとして振動を打ち消し合うことも可能なため、内燃機関としてはもっともスムーズかつ高回転化にも対応できるのが、最大のメリットとされている。
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1904年にパワーボート用として登場したV12エンジンが、真打ちともいうべき航空機に載せられたのは5年後のこと。
1909年に仏ルノーが航空機用として開発した空冷V12ユニットは、もっともバランスに優れた60度のVバンク角でFヘッド(吸気のみOHVのサイドバルブ)のバルブ機構を備えていた。
排気量は12.2L、1800rpmで138psを発生したといわれている。
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その後、第一次大戦中からV12は航空機エンジンとして欧米に伝播。
そして第二次世界大戦時には全盛期を迎えたものの、戦後になると重量が軽いわりに高出力、しかも構造が簡単なジェットエンジンやターボプロップエンジンの導入により、航空機の分野ではV12エンジンの時代が終わりをつげ、乗用車用のガソリンV12、鉄道・船舶用のディーゼルV12があとに残ることになった。
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* エンツォ・フェラーリも魅了したパッカード・ツインシックス
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はじめて自動車にV型12気筒エンジンを導入したモデルは、1916年モデルとして1915年5月に登場した「パッカード・ツインシックス」というのが定説になっている。
たしかに、市販乗用車としてはその認識で間違いないが、じつはスピードトライアル車両としては3年前、1913年9月に英国ブルックランズ・サーキット(1907年開設)に登場した英「サンビーム」自社開発のレーシングカーが、初めてV12を搭載した自動車とのことである。
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同社の主任設計者、名匠ルイ・コータレンが設計し、彼の妻の愛称から「Toodles(トゥードルズ) V」と名づけられたこのマシンには、排気量9.0Lの60度V12・L ヘッド(サイドバルブのまま吸排気レイアウトのみをクロスフローとしたもの)のエンジンが搭載され、1913~1914年にいくつかの速度記録を達成したという。
そして前述のごとく1916年モデルとしてデビューしたパッカード・ツインシックスには、バンク角60度LヘッドのV12ユニットが搭載された。
排気量は6950cc、2600rpmで88psを発生したといわれている。
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ツインシックスは1923年まで生産。
そののち10年のブランクを経て、1933年にはパッカード第2のV12モデル「トゥエルヴ」が誕生。
1939年まで生産された。
またアメリカでは、パッカードのほかにもキャデラックやリンカーン、オーバーン、ピアス・アローなどにもV12が搭載された。
さらにV12ムーヴメントはヨーロッパの高級車にも波及し、英国ではロールス・ロイスやラゴンダ、デイムラーなど、フランスではイスパノ・スイザやドライエなど、そしてドイツではマイバッハが最高級モデル用パワーユニットにV12を選んだ。
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ところが第二次大戦後になると、油圧で振動を抑えるエンジンマウントが普及したことで、エンジン自体が発する振動にあまり神経質になる必要性がなくなったため、アメリカではより効率に優れるV8に移行。
いっぽうヨーロッパでは、戦後復興のため超高級車の需要が大幅に減少していたことも合わせて、V12エンジンは欧米の自動車界からフェードアウトしてゆく。
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こうして乗用車の歴史から姿を消すかに思われたV12に、再びスポットライトを当てたのが、ご存知エンツォ・フェラーリであった。
エンツォは若き日に、彼のレーシングスポンサーである男爵夫人から提供された1916年型ツインシックスを走らせる機会があったことから、その素晴らしいスムーズさに感銘を受けたとのこと。
そして第二次大戦後、自身のブランドで作る初めてのレースカーは12気筒で行こうと決意し、ジョアッキーノ・コロンボ技師に1.5LのV12エンジンを設計させたといわれている。
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その成果として誕生したのが、1947年にレースデビューした「125S」だった。V12エンジンを得たフェラーリは、エンツォのもくろみどおりモータースポーツを席巻。
そのかたわら、セレブレティたちの間でもV12フェラーリは「ドルチェ・ヴィータ」の象徴として、特別な存在となっていく。
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そしてV12特有のカリスマ性に目をつけたフェルッチオ・ランボルギーニは、フェラーリに対抗するにはV12が必須と判断したことから、自社で開発する初のモデルにもV12エンジンを選択。
スーパーカーから高級車までおよぶ1990年代のV12全盛期へと繋がってゆくのだが、そのあたりはまたいつか、別の機会にお話しさせていただくことにしよう。
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(AMW)
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『アメリカではより効率に優れるV8に移行』
アメ車はV8が今でも主流だね。
エンジン大好きの私は2006年からアメ車のNAのV10に乗っている。
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『スーパーカーから高級車までおよぶ1990年代のV12全盛期』
私は子供のころからエンジン大好き。
小学生のころ、モーターマガジンのS20エンジンの写真を観てワクワクした。
2001年から2016年までBMWのNAのV12に乗っていた。
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どちらのビッグブロックもストレスなく走れるいいエンジン。
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追伸:
庭を散策して、西と東のビオトープ(メダカ・ミナミヌマエビ・タニシ・カワニナ)の水面の落ち葉をトングで挟んで庭に撒いた。
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元錦鯉(ヒメダカ・ヌマエビ)に水足しをした。
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水車池(マゴイ・ワキン・フナ・ウグイ・カワムツ・オイカワ・タナゴ・モツゴ・ドジョウ・メダカ・ザリガニ・カニ・エビ)に水を足した。
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追伸2:

妻とマム(スーパー)に行った。

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追伸3:
今日、風呂に入りながら聴いたアルバムは、
「ドリー・パートン ロックスター(2023)」DISC1(12~15)
1946年生まれテネシー州出身のカントリー・シンガー。
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追伸4:
2005年米映画「キング・コング」をまたまた…観た。
<映画プロデューサーのデナム(ジャック・ブラック)は、ニューヨークの街角でアン(ナオミ・ワッツ)というブロンド美女をスカウトし、絶海の孤島でのロケに連れ出す。
そこは海図にも載っていない秘島で、巨大怪物が生息しているとの伝聞情報もあるが、デナムは信じようとしない。
船旅の途中、アンはかねて尊敬していた同乗の脚本家ドリスコル(エイドリアン・ブロディ)に惹かれる。
やがて船は目的の秘島に到着。
デナム、アン、ドリスコルは上陸するが、そこで、先住民たちの生け贄の儀式に遭遇する。>
1968年生まれイングランド出身の女優ナオミ・ワッツ主演の怪獣映画だね。
1973年生まれニューヨーク州出身の俳優エイドリアン・ブロディも出ている。
1969年生まれカリフォルニア州出身の俳優ジャック・ブラックも出ている
1962年生まれドイツ出身の俳優トーマス・クレッチマンも出ている。
1977年生まれカリフォルニア州出身の俳優コリン・ハンクスも出ている
監督は、「ザ・ビートルズ Get Back」「第9地区」などのピーター・ジャクソン。
「ロード・オブ・ザ・リング」3部作のピーター・ジャクソン監督が、映画監督をめざす契機となった1933年の「キング・コング」をリメイク。
ジャック・ブラックは、好きな俳優の一人。
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