『ポルノがあなたや愛する人に与える影響を教えてくれる心理学の新たな研究』
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ポルノの話題は、個人や社会全体にとって良いか悪いかという論争を絶えず引き起こし両極化しやすい。
1つだけ確かなことは、ポルノがすぐにはなくならないということだ。
そこで必要なのは、ポルノを消費する正しい方法はあるのだろうかという問いかけだ。
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ポルノと人間の心理を研究している研究者は、さまざまな種類のポルノがさまざまな方法で消費され得ることを示唆している。
そしてそれらすべてが絶対的に、健全または不健全というわけではない。
新しい心理学の研究を参考に、ポルノ消費があなたや愛する人にどう関わるのかをみてみよう。
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ポルノは健全な人間関係を築くための隠し味になるかもしれない
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最近の研究では、ポルノをいっしょに楽しむことと関係の質との間に正の相関があることが示されている。
つまり、ポルノをいっしょに楽しむ頻度が高いカップルほど、その関係はより上手くいくように見えるのだ。
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心理学者のテイラー・コウトは「パートナーといっしょにポルノを楽しむことで、性的なコミュニケーションや性的な試行錯誤が促され、互いの性的な好き嫌いを知ることもでき、お互いの距離も縮まるかもしれません」と説明する。
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この正の相関関係には、多くの理由が考えられる。
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1. 配偶者と目新しくやエキサイティングな活動(たとえばポルノをいっしょに楽しむなど)を共有することで、関係の退屈さが解消され、互いの性的(ならびに非性的)な関心を再燃させることができるかもしれない
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2. また、より質の高い関係を築いている人たちほど、いっしょにポルノを楽しむことにオープンである可能性もある
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とはいえコウトは、単にポルノをいっしょに楽しむだけでは、関係の質を向上させるための万能薬にはならないことを注意深く指摘している。
もちろん、そうした経験に対する相手の欲望や欲求を汲み取る配慮が必要だ。
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コウトは「害となることは避けたいと心配するなら、ポルノが消費者である自分にどのような影響を与えるかを考えるだけでなく、自分がポルノを楽しむことにパートナーがどう感じているかも考える必要があります」と説明する。
「もし相手がそれを嫌い、あなたがそれを楽しむべきではないと思っているのなら、ポルノがあなたに直接的な客観的影響を与えるかどうかにかかわらず、パートナーとの関係は難しいものとなるでしょう」
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また、ポルノの楽しみ方の違いは、パートナーの持っている一般的な性についての考え方、性欲、性的欲求との違いを示すことがあるとコウトは語る。
ということは、そうしたことについてパートナーと率直に対話するためのきっかけとなるかもしれない。
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コウトは「結局のところ、大切なのは、あなたとパートナーが同じ考えを持っているかどうかです。
ポルノグラフィーの楽しみ方の違いは、それを示すはっきりとした指標です」と結論づけている。
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ポルノは極めて中毒性の高い「麻薬」になり得る
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ポルノは多くの人にとって強力な快楽の源であり、性的快楽は人間の脳にとって核となり得る刺激の1つだ。
そのため、ポルノへの無秩序なアクセスと止まることない耽溺は、依存症的な行動を引き起こす可能性がある。
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* ポルノの消費はより大きな問題の徴候の可能性がある
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心理学者のスティーブン・サマットは、私たちの脳はすべて即効性の報酬を得たがるようにできているため、ポルノ消費によって引き起こされる中毒性の影響を受けない人はいないと主張している。
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サマットによれば、ポルノグラフィー中毒は、不安症やうつ病など、精神的に幅広い影響を及ぼす可能性がある。
この他にも、ポルノ依存症が影響を与えるものには以下のようなものがある:
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1. 自分自身の捉え方(自尊心)
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2. 他者への認識。
もし他人が自分の楽しみのために存在すると考え始めると(つまり、他人をモノ扱いすると)、他の人をどのように扱えるか / 虐待できるかに対する限界がなくなってしまう
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3. 生活と現実の認識への影響。人は「非現実」の中で生きることに慣れてしまい、現実との付き合い方がわからなくなる。
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4. もし主たる衝動が自分を喜ばせること(快楽主義)ならば、この衝動は薬物乱用で観察されるものと変わらない。
薬物使用者は、通常の生活を送り日常業務をこなすことを犠牲にして、刺激を求めることに夢中になる
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サマットは、この強力な中毒に対抗する1つの方法として、信仰と道徳を自分の人生に徹底的に植えづけることを挙げている。
サマットによると、この問題を解決するために信仰と道徳がもたらすメリットは2つあるという。
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1. 信仰や道徳は、人をどのように見て、どのように扱うべきかという基準に加え、自分の成長や発達に挑むための一定の行動基準を人間に提供する
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2. 神経学的なレベルでは、信仰と道徳はともに上位脳の実行機能を駆動する。
  したがって、信仰と個人の動機づけが組み合わさることで、脳の焦点を衝動的な動きから遠ざけることができる。
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ポルノの消費はより大きな問題の徴候の可能性がある
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また別の新しい研究によると、ポルノの消費は性格の暗部を明らかにする可能性がある。
心理学者のミゲル・ディアスは、ポルノグラフィは、暗い性格や虐待的な性格の人のプロファイルに存在する、次のような一連の要素によって特徴づけられると説明する。
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1. ころころと変わるパートナー
2. 浮気
3. 性的関係における新しい感情の探求
4. 新しい体験への挑戦
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また、ほとんどの場合、ポルノグラフィーは女性を受動的な役割に置き、男性の快楽に応えるためだけに存在し、男性は女性を支配し苦痛を与えることに喜びを見出すように描かれている。
いずれもナルシスト的やサディスト的な性格に関連する傾向だ。
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別にポルノを楽しむ人全てが暗い性格の持ち主であると言っているのではない、ただし、ポルノの消費は、基底にある性格の何らかの傷を示す兆候かもしれない。
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ほとんどの行為と同様に、ポルノの消費とポルノに対する態度は、人間にとってより大きな人生の物語の一部なのだ。
それに甘んじるかどうかは別として、自分との関係を探り、理解することは価値があるだろう。
それは、新しいレベルの自己洞察に到達する助けになるかもしれない。
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(Forbes JAPAN)
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『ポルノは多くの人にとって強力な快楽の源であり、性的快楽は人間の脳にとって核となり得る刺激の1つだ。
そのため、ポルノへの無秩序なアクセスと止まることない耽溺は、依存症的な行動を引き起こす可能性がある。』
ポルノ依存症だね。
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『心理学者のスティーブン・サマットは、私たちの脳はすべて即効性の報酬を得たがるようにできているため、ポルノ消費によって引き起こされる中毒性の影響を受けない人はいないと主張している。』
ポルノグラフィー中毒は、不安症やうつ病など、精神的に幅広い影響を及ぼす可能性があるのだね。
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『心理学者のミゲル・ディアスは、ポルノグラフィは、暗い性格や虐待的な性格の人のプロファイルに存在する』
ころころと変わるパートナー、浮気、性的関係における新しい感情の探求、新しい体験への挑戦、などによって特徴づけられるのだね。
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追伸:
庭を散策して、西と東のビオトープ(メダカ・ヌマエビ・スジエビ・タニシ・カワニナ・ドブガイ・シジミ)の水面の落ち葉などゴミをゴミ拾いトング挟んで捨てた。
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屋根を取った元錦鯉池(ヒメダカ・ヌマエビ)に水を足した。
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水車池(ワキン・フナ・タナゴ・モツゴ・ドジョウ・メダカ・ザリガニ・カニ)に水を足した。
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亀小屋のカメ達(イシガメ・ウンキュウ・クサガメ・ペニンシュラクーター)の水足しをした。
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追伸2:

亀小屋で子亀を1匹見つけた。

子亀はバスタブに入れた。

これでバスタブの子亀は合計4匹となった。

亀小屋で親亀に食われた子亀は2匹。

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追伸3:
今日、風呂に入りながら聴いたアルバムは、
「アニタ・オデイ ジス・イズ・アニタ(1990)」(3~6)
1919年生まれイリノイ州出身のジャズ・シンガー。
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追伸4:
2019年米映画「ドリームランド 」を観た。
<1930年代テキサス。
砂嵐が頻発する田舎町に住む開拓民の息子ユージン(フィン・コール)は、小説を読みあさりながら退屈な毎日を送っていた。
そんなある日、アリソン(マーゴット・ロビー)という名の銀行強盗犯が指名手配されていることを知り、懸賞金目当てに彼女を捕まえようと考える。
その夜、ユージンが自宅の納屋に向かうと、そこには傷を負ったアリソンがいた。
彼女の手当てをしているうちにユージンの心境が変化し、メキシコへの逃亡計画に協力することになる。>
1995年生まれイングランド出身の俳優フィン・コール主演の犯罪ドラマ映画だね。
1990年生まれオーストラリア出身の女優マーゴット・ロビーも出ている。
1979年生まれオーストラリア出身の俳優トラビス・フィメルも出ている。
1983年生まれアイルランド出身の女優ケリー・コンドンも出ている。
1990年生まれイングランド出身の女優ローラ・カークも出ている。
監督は、マイルズ・ジョリス=ペイラフィット。
マーゴット・ロビーは、好きな女優の一人。
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