人は生きていると、病気や災難に遭遇することがあります。


私も、過去を振り返って、よく生きてこれたなぁ💕と感じることもしばしば。


辛くて、自殺したい😢と思ったことも何度かありますよ。


でもね、その時、残された家族のことを思ったら、そんなことできない…😢と思ったり、私の苦悩を知って、自殺したいという思いを察してくれた人から、「死んだらだめだよ」の一言で思いとどまったり…


そんな経験をしながら、人生を歩んでいると、「下り坂」から「平坦な道」になって、「上り坂」になる時もあるんですね。


もし、あの時、自ら命を絶っていたら出会えなかったであろう人々や、素敵な体験&経験💗をすると、人生の中の荒波🌊は、一度や二度じゃないかもしれませんし、今度ばかりは無理だ!と感じることもあるかもしれませんが、人生って、最後まで生きてみないとわからない!とも思うのです。


もし、今、お辛い状況の方がいらして、このブログへご訪問してくださったのだとしたら、あなたも一歩踏みとどまって、生き続けることで、まだ見たことない景色の登場を待ってみませんか?


想いのままに綴ってみましたが、今回のタイトルは、「災難を逃れる妙法」です。


私が学生の頃かな?


【災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候 】

この言葉(⬆️)に出会いました。


私は、若かったこともあって、なぜ、災難に遭わないといけないの?😡災難は避けたいものじゃない?


などと感じたものです。


上記の一文は、1828年11月に起こった新潟県三条の大地震でお子様を亡くされた俳人の山田杜皐(やまだこう)様に宛てた良寛様からのお見舞い文の一文と言われています。


災難にあったら、動揺することなく、騒がず、災難を受け入れて、死ぬ時は死ぬしかないという意味です。災難が原因による死も宿命であり、突然やってくるものでも黙って受け入れるしかないのです。


と。


良寛様は、1758年(宝暦8年)11月2日に誕生し、1831年(天保2年)1月6日に他界。江戸時代後期、曹洞宗の僧侶であり、歌人、漢詩人、書家。


この時代に70代まで生きていらっしゃったというのは、長生きされたのだと思います。




良寛様は、乞食坊主とも呼ばれる程、質素に暮らし、ひとつのお鍋で洗顔し、手足も洗い、煮炊きしたとも言い伝えられています。


私、学生の頃、母の会社の旅行に同行させていただき、曹洞宗の大本山永平寺に宿坊(寺に泊まる)した経験があります。


ひとつの洗面器に入ったお水で手を洗い、洗顔をし、水を大切に使わせていただくことを体験しました。


新潟県三条の大地震でお子様を亡くされた俳人の山田杜皐(やまだこう)様に宛てたお見舞い状では、「地震はまこと(信)に大変に候。野や草庵は何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候。うちつけに、死なば死なずに永らえて、かかる憂き目を見るがわびしさ」という文章の後に、一番最初の文が続いたとのことです。


人は誰でも、病気や災難、困難な出来事を避けられるのであれば避けたいですよね。


私も、昨年(2023年)、突然の耳下腺腫瘍を自分で発見した時は、途方に暮れましたが、自分の体内にできた腫瘍です。私の細胞。


いろいろな情報を入手して、体験談を知り、少しずつ、受け入れていけるようになり、手術の日程調整を待っているところです。


良寛様は、災難も死も、ただ「ありのまま」静かに受け入れることが、「災難を逃るるたったひとつの妙法」とおっしゃっています。


これまでの私の経験から、困難や災難に対して、逃げ腰でいると、なかなか良い結果に結びつかないようにも感じています。また、いつまでも愚痴を言ったり、マイナス思考過ぎると、それも思わぬ結果を招くようにも思います。


淡々と、私にきた病気や災難なら、それが私の宿命なのであれば、静かに受け入れ、細かい感情は少し横に置いて、


腫瘍があります。

⬇️


手術して摘出します。



私自身は、手術では「まな板の鯉」なので、執刀医や看護師さん達にお任せして、私ができること(手術まで体調を整える)に専念したいなぁ😊と思っています。


このブログへご訪問された方々の中で、今、ご病気を患っていらっしゃる方や、苦悩している状況の方がいらしたら、病気や困難に逃げ腰にならず、自分の宿命と静かに受け入れ、自分が出来ることに専念できるようになると良いですね。💕