白血病と戦った娘(51) 思い起こし”白血病と戦う娘(29)生着待ち、高まる期待” | アイドルは電気ヒツジの夢を見たか?

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他愛もない日々の記録です。
娘の闘病が終了し、新たな気持ちで前に向かってます。

上の娘が急性骨髄性白血病で亡くなってから、もうすぐ10カ月になります。

娘の生きていた証として、忘れないうちに記録を残しています。
気になる方はスルーして頂けると助かります。

 

 

さて、新年1発目の記事は娘の闘病を振り返る事から始める。

これからの振り返り記事は、本当なら思い返したくない物ばかりである。

しかしあえて辛い過去を思い返している。

何度も何度も・・。

 

さて本日で正月休みも終わり。

明日からまた仕事が始まる。

 

1年前の休みの最後の日。

娘は移植9日目を迎えていた。

 

記事にも書いてあるが、移植を行った後は

様々な副作用が発生するらしいのだが

なかなかそれと判る様な症状が発生しなかった。

特にデイナインフィーバーと言われる

9日目に発生する高熱を心待ちにしていた。

 

しかし出なかった。

 

当時は、出ないのなら

それはそれでありがたいと軽く考えていた。

代わりに、前処置で行われたダメージによる

口の中や喉の炎症や腫れが

キッチリ症状として表れた。

唇がタラコの様に腫れ上がり

見ていて痛々しかった。

食事は全く喉を通らず

唾を飲み込むのも辛そうだった。

 

しかし、この時はまだ楽観的だった。

辛い治療の1過程に過ぎないと考えていた。

 

実はこの後に中国出張を予定していた。

しかし、中国でコロナが流行り始めた時で

出張が中止となった。

そのおかげで、2月24日にタイに出張するまで

娘に会いに行く事が出来た。

 

この頃には病院でもコロナ騒ぎに対応する為

面会制限が始まった。

ただ、娘の様な長期入院者に対しては

あまり厳しい事は言われなかった。

次期がもう少し遅かったら

面会も出来なくなっていたかもしれない。

 

何れにしても、生着までの4週間、

とてもとても長い時間を

娘はたった一人で

狭い無菌室で待ち続けてくれた。