どこの新聞だか分からないが、

SNSで、こんな新聞記事の画像が

投稿されていた。

中学生の新聞への投稿

「万博はみんなが笑える時に」

 

本当にそう。

今、能登半島では、被災者が、

苦しい境遇に置かれている。

 

地形的にも、物資を届けるのが、

困難な場所とはいえ、

何もかも、政府の対応が、
遅すぎるのではないか?

物資を早く届ける為には、

道路の復旧が急務である。

その分、万博は中止でも

良いのではないか?

この中学生の投稿に、

深く頷く。

この新聞は、こちらになるが、

字が小さくて読みにくいと

思うので、書き写しました。

(イメージしやすいように

画像を追加しました。)

下矢印

1月1日、それは突然起きた。

震度7を観測し、

北陸の方々を悲劇に巻き込んだ。

全てが無残な姿に変わっていた。

僕は思った。

「自分も何かしなければ」と。

しかし、何も見つからなかった。

だが、1つの疑問になった。

「こんな中で、万博の工事をするのか」と。

大阪・関西万博はSDG

(持続可能な開発目標)

達成への貢献を掲げているようだ。

SDGsの目標には、

「すべての人に健康と福祉を」

「住み続けられるまちづくりを」

というものがある。

東日本大震災により、

今も住めない場所は、

残っている。

石川県も大きな被害を受け、

住めない地域は多数ある。

果たしてSDGsの目標達成に

取り組めない国が、

万博を開催すべきなのだろうか。

万博が開催される中で、

北陸に目をやると

無残な姿になっていたとする。

人々はどう思うだろう。

僕の場合、

「万博に参加したくても、

それどころではないだろう。」

と思い、何もできなかった。

という悔しさに包みこまれるだろう。

 


僕は万博というものは、

国民全員が笑うことが出来るときに

行なうものだと思う。

まだ人生が始まって十数年しか

経っていない中学生でも、

疑問に思うのだから、

大人達も疑問に思い、

声をあげるべきなのだと

思う。

優先順位は被災地復興!!

 

万博は、国民全員が、

笑う事が出来る時に、

開催すればいい!

 

今は、こんな時は、

笑顔にもなれない。

優先順位は、

被災地復興が先!!

 

以下、X(Twitter)

から画像を拝借しました。

下矢印

 

 

 

 

 

 

 

 

(以下転載)

【山本太郎代表に質問:

能登半島地震の現地に赴かれた、

感想や知見など教えてください】

 

能登半島地震、

本当にひどい状況だってことは、

皆さんご存じだと思うんですね。

残念ながら「政府はよくやってる」

とは私言いません。

どっちかって言ったら、

本格始動したのはお正月明けですよ。

もちろん救命救助っていう部分は、

1月、元日であったりとか、

そこから夜に繋がっていったんで、

なかなか入りづらかった部分あるでしょうけれど。

やっぱり遅かったですよ、動きは。

 

私は5日に訪れたんですけれど、

一番衝撃だったのは何かって言ったら、

珠洲市の突端くらいに、

三崎町っていうところがあって、

寺家(じけ)って言われる所ですね、

津波被害があったところ、

そこに入ったときに、

若い30代くらいの男性2人がいて、

話を聞いたんですよ。

「すいません、話、聞かせてください」って。

 

その地域入ったときに、

すごくびっくりしたのが、まずね、

いろんな道路が寸断されそうだったり、

ひび割れしてるところに、

大型の工事は始まってなくて、

地元の人たちがもう

自分たちで工事してるんです。

砂利だったり、

いろんなもの流し込んだりとか。

で、びっくりしたの、

これなんですよ。畳。

 

レンタカー借りてって、

グーっと行ってるから、

途中で「うおーっ なんやこれ」って、

びっくりするんですよ。

「畳敷いてあるわ」って思って。

「これ、畳に乗り上げていいんかな」

とか思ったりして。

 

この下は、彼らが土砂だったり、

砂利だったりっていうものを敷き詰めながら、

その上に畳を運んで舗装していったんですね。

 

その町の若い子たちが、

その町でユンボ持ってる、

重機持ってるっていうところで持ってきて、

みんなでやったんだ、って。

 

「早く道を作らないと 

物資届かないでしょ」

「だから俺たちは真っ先に

やったんだ、これを」

「未だに物資が届かないけどね、

アハハハハ」って。

 

すごいな、って思いました。

この地域の持ってる力っていうものって、

ものすごく重要なんだけれども、

逆に言ったらそこを支え合ったみたいな

美談にしちゃうとまずいんですよ、

政治としては。

逆に言ったら、

国の支援が行き届かないところを、

自分たちで賄った。

 

他にも、例えばですよ、

公的な避難所みたいなものがつくられない間に、

もう自分たちで食べ物だったり、

いろんなものを寄り集めて、

毎日、最初の夜から500人分の

炊き出し始めた町もあるんですよ。

町というか地区があるんですよ。

 

それは非常に素晴らしいことだけれど、

それ美談にしちゃダメなんですよ、

っきり言っちゃえば。

 

その人たちの持ってるリソース、

これ、すべての者が

持ち合わせてるわけじゃないから。

例えばですけれど、

この震災、首都圏直下が

もしも起こった場合に、

そんなことできる人、

ほとんどいませんよ。

 

外からの救助もなかなか入れないだろうし、

ってなったら食べ物も回らなくて、

奪い合いだったりとか、

餓死する人とか、とてつもない数に

なると思ってるんですね。

 

そう考えると、こういった、

ある意味での地域の力だったり、

それぞれの個の持ってる力が寄せ集めて、

乗り越えられるんだ、

というような力が、

全国的にあるわけじゃないんですね。

 

だから、こういったことを

様々美談にされがちなんだけれども、

率直にびっくりしたし、

すごいなと思ったし、尊敬したし、

それぞれが持っている、

こういう資本というものを、

みんなが持てるような社会に

していかなきゃダメだなっていう

意識もあるし、

そういうことをやっていかなきゃ

いけないとも思うんだけれど、

今、これを持っていない地域っていうのが

非常に多い中で、

これからいろんな大きな災害が

必ずやってくるっていうものに、

どう対応していくべきなのかってことを、

ちゃんと政府側と

話し合いを進めなきゃいけないな、

っていうような、

前からあった課題だけれども、

さらにそれを強くした、

意識したっていうところであります。

ありがとうございます。

2024128

長崎・佐世保おしゃべり会より