このワクチンが始まってから、
ちょくちょく名前が出て来た人物が
亡くなりました。
人口削減説を唱えた
「キッシンジャーレポート」で有名な
ヘンリー・キッシンジャー氏が
2023年11月29日、
100歳で死去したとのニュースが
世界中で話題になっています。
100歳まで世界に影響を与えていた人物
ですが、経歴を振り返ると、
驚いた事に、大富豪の生まれではなく、
ドイツで、ユダヤ人の一般家庭で生まれ、
ナチスの迫害を逃れてアメリカに渡った
というのです。
噂では既に亡くなっていて別の人が
演じていたのでは?
という憶測もありますが、
私は、あの背格好は
他の人では真似できないと
思いました。
そして、プーチン大統領とも親交が深い
という事を知って、驚きました。
以下、転載文をご一読下さい。
(一部転載)
アメリカのニクソン政権と
フォード政権で
国務長官などを務め、
アメリカと中国の国交正常化に
大きな役割を果たした
ヘンリー・キッシンジャー氏が
自宅で亡くなりました。
100歳でした。
これはキッシンジャー氏が設立した
コンサルタント会社が発表したもので、
キッシンジャー氏は11月29日、
アメリカ東部コネティカット州
の自宅で死去しました。
キッシンジャー氏は
1923年にドイツで
ユダヤ人の家庭に生まれ、
ナチスの迫害を逃れるため、
1938年に家族とともに
アメリカに渡りました。
アメリカ国籍を得て、
第2次世界大戦では
アメリカ軍でドイツ語の通訳を務め、
戦後はハーバード大学で
国際関係学の博士号を取得しました。
そして、
国務省や国家安全保障会議を経て、
ニクソン大統領の安全保障担当の補佐官
となり、1973年に国務長官に
就任しました。
ニクソン大統領がいわゆる
ウォーターゲート事件で辞任し、
フォード政権にかわった後も
国務長官を務めました。
キッシンジャ-氏は
ソビエトとのデタント、
緊張緩和路線を推し進めたほか、
1971年、当時、国交がなかった
中国と秘密交渉に当たり、
翌年にニクソン大統領が
電撃的に中国を訪問する
調整を成し遂げ、
アメリカと中国の国交正常化に
大きな役割を果たしました。
また、
ベトナム戦争の
パリ和平協定をまとめ、
アメリカ軍のベトナムからの
完全撤退を実現したとして、
1973年にノーベル平和賞を
受賞しました。
キッシンジャー氏は最近まで
精力的に活動し、
今年7月には、米中の対立が続く中、
北京を訪問して習近平国家主席と会談し、
11月15日に行われた
米中首脳会談に向けた環境整備を進める
ねらいがあったと受け止められていました。
(中略)
国営の中国中央テレビは
「キッシンジャー氏は1971年に
初めて中国を訪問してから
100回以上訪中している」と伝え、
「中国人民の古くからの友人だ」
としています。
米有力紙
「最も力を持った国務長官」
キッシンジャー氏は、
およそ半世紀にわたり、
12人のアメリカ大統領に直接、
外交や安全保障上の助言を
してきたとされます。
有力紙、ニューヨーク・タイムズは、
「第2次世界大戦後、
最も力を持った国務長官であり、
キッシンジャー氏ほど著名で、
かつ悪口を言われた人物もいなかった」
と評しました。
キッシンジャー氏は、
複数の大国が均衡状態を
保つことによってこそ、
安定が保たれるという
「勢力均衡論」を掲げた1人で、
東西冷戦のただ中にあった
ニクソン政権当時、国交がなく、
敵対していた共産主義圏の中国を
極秘裏に訪問し、
国交正常化に道筋をつけました。
毛沢東氏から、
現在の習近平氏にいたるまで、
中国のすべての指導者と渡り合った
唯一のアメリカ人とされ、
ここ数年、米中関係が冷え込んでからも
中国に足を運び、中国共産党は
最大限の敬意をもって
キッシンジャー氏をもてなしてきました。
また、キッシンジャー氏は
ロシアのプーチン大統領とも長年、
親交があり「古くからの友人」
とも呼ばれていました。
大統領に就任する前の
プーチン氏へのインタビューを
中心にまとめられた書籍
「プーチン、自らを語る」によりますと、
1990年代、サンクトペテルブルクで
キッシンジャー氏を出迎えたプーチン氏が
かつて情報機関に所属し、
東ドイツで働いていたと伝えると、
キッシンジャー氏は
「まともな人間はみんな情報機関から
キャリアの一歩を踏み出しているよ。
私もそうだ」と答えたとされています。
さらに、この時キッシンジャー氏は、
1989年のベルリンの壁崩壊をめぐり
世界の勢力均衡が急激に
崩れるおそれがあるため、
ソビエトは勢力圏に置く東ヨーロッパを
性急に手放すべきではないと考えていたと
プーチン氏に明かしたとしています。
キッシンジャー氏は、
ことし1月にはスイスで開かれた
世界のリーダーが集まる
通称「ダボス会議」
にオンラインで参加しました。
この中で、ロシアによる
ウクライナ侵攻について、
ウクライナ政府のとるべき方針として
「戦闘は続けつつもロシアと対話を行い、
軍事侵攻前の境界線まで押し返したら
戦闘を停止すべきだと信じている。
これは戦闘の拡大を防ぐ方法だ」
と述べ、ロシアとの対話を重視すべきだ
との姿勢を示していました。
亡くなる約1か月前にも
米中関係の改善訴える
キッシンジャー氏は亡くなるおよそ
1か月前の10月24日、
ニューヨークで開かれた、
米中の関係者を集めた
パーティーで講演し、
両国関係を改善に向かわせること
の重要性を訴えていました。
■キッシンジャーレポート■
(以下転載)
アメリカでは
「キッシンジャー・レポート」
が国家安全チームによって
1974年に作成され、
機密扱いにされましたが、
1980年に公開になりました。
インターネットでダウンロードできます。
https://pdf.usaid.gov/pdf_docs/Pcaab500.pdf
全123ページ、斜め読みですが
全部目を通しました。
National Security Study Memorandum 200
で検索すればPDFが出てきます。
一言で言いますと、
このレポートは
世界の支配勢力が、
どれだけ世界人口
の急増に危機感を
抱いているかを表しており、
その対策はどうすればいいのか、
特に発展途上国の人口コントロールを
どうすればいいのか、
ということを学問的・統計学的な
側面から分析したものです。
当たり前の話ですが、
地球の資源は無尽蔵でありませんから、
人口急増すれば食糧不足、
天然資源不足、社会不安などに
つながります。
そして国家安全チームとすれば、
人口過密から生まれる
民族・国家対立などの戦争や
テロも懸念されるわけです。
このレポートには最初から
「ワクチン強制接種!」
とは書いてありません(笑)。
ただレポートの109ページ以降に、
結構過激な解決策が載っています。
この報告書が書かれたのは
前述の通り1974年頃ですが、
当時の世界人口は約39億でした。
推測として
2000年に世界人口は78億、
2075年には103億になる可能性を
述べています。
実際は
2000年の人口は約61億でしたから、
多少予測は外れています。
人口抑制の必要性が高いとされる国は
以下のようになっています。
インド、バングラデシュ、パキスタン、
ナイジェリア、メキシコ、インドネシア、
ブラジル、フィリピン、タイ、
エジプト、トルコ、エチオピア、
コロンビア (10ページ)
ここで中国が対象になっていないのは、
一人っ子政策を採用し始めたから
ではないかと思います。
貧困層が多い国では衛生状態もわるく、
乳幼児死亡率が高くなるため、
親としては保険として子供を多く生みます。
また農作業の機械化が進んでいないため、
労働力の確保も必要です。
日本などの先進国のような
福祉手当や年金が十分でない国では、
セーフティーネットがありませんから
家族や親せきによる援助だけが
頼りになるのです。
そのため、家族の人数が多い方
が働き手、つまり収入源が
確保されることになります。
出生率をどのようにコントロールするか、
を100ページに渡り提案をしています。
イルミナティ国連は
1974年に世界人口会議
(World Population Conference)
を開催し、「行動計画」を発表しています。
発展途上国での出生削減に
つながるための行動として
(11ページ)
女性の教育を高め、雇用につかせること、
乳幼児死亡率を低下させること、
最貧地域の収入を上げること、
が書いてあり、まあ常識的な論理です。
家族計画による人口抑制も言及しています。
アメリカと国連が主導で、
これらの政策を推進する
ということです。
https://pdf.usaid.gov/pdf_docs/Pcaab500.pdf
突撃インタビューをして、
人口削減について質問した
記者は、「消え失せろ!」
と罵られました。
Henry Kissinger, one of the world’s most notorious war criminals, has finally died. Let’s take a look back and remember him for all the things he did: 🧵👇 pic.twitter.com/HICRbMj95G
— red. (@redstreamnet) 2023年11月30日
