KANさんを知っていますか?
あの大ヒット曲の「愛は勝つ」
のKANさんです。
今回初めて、KANさんの
本名を知りました。
木村和(きむら かん)
と読むそうです。
(一部転載)
KANさんは今年3月、
日本では数十例ほどしか症例がない
「メッケル憩室がん」を公表し、
闘病していた。
昨年秋に数週間腹痛が継続したことから
検査をしたところ、病気が判明。
予定していたツアーを中止した。
今年4月に再入院、
5月に退院を報告していた。
悲しいお知らせを聞いて、
KANさんの本名を初めて知りました。
1962年(昭和37年)9月24日生まれ
本名:木村 和(きむら かん)
シンガーソングライター
幼稚園の時にYAMAHA音楽教室に通い、
その後、クラシックピアノを習い、
日曜日には教会で賛美歌を歌う日々だったそう。
老舗のメーカーのランドセルの
CMモデルも務めた事があるそうだ。
中学の時、独学でギターをはじめ、
ビートルズのコピーバンドを結成、
高校に入り、ピアノロックに目覚める。
大学時代にヤマハ「East West '84」決戦大会
「Sound Contest '84」で
ヤングジャンプ奨励賞を受賞する。
ずっと涙が止まんない😭
— やや ·͜·♡ Image (@anya3282) November 17, 2023
ライブでラジオでKANさん桜井さん
2人ホント楽しそうで、そんな姿を
見ると嬉しくて幸せな気持ちになり
桜井さんが気にいっていたと言う
世界で一番好きな人、私も大好き☺️
何の変哲もないラブソング♪
星屑の帰り道♪ よければ一緒に♪
KANさんホント沢山のありがとう😭 pic.twitter.com/iR1T9A1vf9
Wikipediaの経歴は、
ざっとこんな感じですが、
なんと、このKANさんは、
子供の頃、ASUKAさんと
遊んだことがあるという
のです!
近くに住んでいたのかな?!
(以下転載)
5歳の頃の「木村和」を知ってるのは、
業界では僕だけでしょう。
KANの奥様からも、
そのようなことを言われた。
KANが5歳と6歳の時、
2回「缶蹴り」して遊んだんだよな。
大人になってからは、
スタレビの要(カナメ)と僕で
「和蹴り」して遊んだ。
ステージ上でね。
子供の時に遊んだことのある
「木村和」と、
再会したのは「下北沢」のお店。
その時、KANは
「愛は勝つ」を大ヒットさせてた。
その直後にフジTVの
「101回目のプロポーズ」
の主題歌の話がC&Aに舞い込んできた。
プレッシャー?
ありましたね。
ものすごくあった。
当時「月9(月曜夜9時)」
と呼ばれていた、
その前のドラマ「東京ラブストリー」
の主題歌「ラブ・ストーリーは突然に」で、
小田和正さんが200万枚超えのいわゆる
「Wミリオン」を叩き出していたから。
今では「叩き出した」なんて
表現は使わないけど、
あの当時は最もCDが売れた時代。
ミリオン(100万枚)セールスする
楽曲がたくさんあった。
そんな時代だったから、
当然、メディアも世間もCDセールス
(売り上げ枚数)を、語りに語っていた。
「〇〇万枚を叩き出す!」
なんて、表現してましたね。
小田さんの後でしたから、
当然比べられる。
その時、KANの「『愛は勝つ』
のような曲を作りたい」で、
完成したのが「SAY YES」でした。
なので、KANがいなかったら
「SAY YES」は生まれてなかった。
そして、今度はKANが至る所で、
僕の「はじまりはいつも雨」
「SAY YES」のことを
語ってくれるわけです。
「SAY YES」が
「愛は勝つ」から
生まれたことを知らずに(笑)
それから、間も無くだな。
福岡の実家、斜め前の家の奥様から、
あの時、2回遊んであげたことのある子供が
「木村和」であったことを聞かされるわけです。
バタバタと記憶のページをめくりに捲って、
その時の光景にたどりついた。
「あ、あいつだ。
子供のくせにネクタイしめて
紺のカーデガン着てたやつだ」
大人になってからの付き合いは約30年。
先日、奥様とフランス旅行後、
僕が宿泊していたホテルに来てくれ、
お土産を「フロントにトン」してくれた。
チョコレートね。
いつも新譜が完成する度、
そのCDを僕の住んでいたマンションの
郵便受けに「ポストにポン」してくれた。
ネットには出回ってます。
「3回接種していた」と。
僕は、2回目直後、
「もうやめておけよ、
3回目は無しだぞ、
ガンになるからやめろよ」
こう強く伝えていただけに、
僕には「ステージ4」に
なったことは伝えづらかったみたい。
昨年、11月に
「ガンになっちゃいました」
って報告してきた。
因果関係はわからないですよ。
この国ではそれを認めないことが
前提ですから。
なので、わからない。
5歳の頃にネクタイを締めていた
おぼっちゃま木村和は、
僕たちアウトローとは違って、
オーケストラのスコアをも書ける
「音楽家」と呼べる存在だった。
天才ミュージシャンですよ。
「フロントにトン」の後、
病状が急変した。
連絡を受けて、
すぐに顔を見に行って来ました。
あいつは、
そんな音楽家でありながらも、
コントやギャグには厳しかった(笑)
「お前さ、こうまでなっちゃって。
な?もう誰もが、もう危ないと
思ってると思うんだよ。
この状態からギャグで
『戻って来ました』しないか?」
そう伝えたら、KANの目がキラリと光った。
ほんと、あんな状態になってでも
「ギャグ」という言葉に反応した(笑)
最後に電話でKANが僕に告げた言葉は、
「3回も約束を破ってごめんなさい」
だった。
その「3回」というのは、
ワクチンのことではありません。
一緒に乗り越えようとしたこと。
でも、無理もない。
僕がKANでもきっと無理だった。
いつだったかの12月24日。
KAN、要、そして僕の男3人の
クリスマス会、楽しかったなぁ。
そのクリスマス会直前に、
KANが未発表楽曲を
「メールでポン」して
来たことがあった。
あの楽曲に入っていたKANのボーカル
(部分的歌詞あり)を抜き出して、
オレと要で完成させるからね。
心配するな、レゲェにはしないから😀
KAN、ありがとう。
オレの前に現れてくれてありがとな。
KANさんの未発表曲を、
ASUKAさんと、
スターダストレビューの
ボーカルの根本要さんと
完成させるんですね!!
楽しみです!
スターダストレビューとの
コラボも見つけました。
素敵な楽曲を沢山、
我々に届けてくれて
ありがとう。
こんなにどうしようもない
時代に、聴いて、
元気をもらいたいですね!
「愛は勝つ!」
ホントですか?
勝つといいなぁ~。