今週は忌まわしい原子力爆弾が、

広島と長崎に投下された週だ。

広島、長崎の資料館には、

どちらも訪れた事があるが、

どちらの展示もその悲惨さを

語るのには、事足りなく、

控えめな展示だと感じた。

二度とそのような事が

起きてはならない。

が、今起きている事は、

形を変えただけではないか?

戦前の新聞が調べられるサイトがある。

そこでは、原子力という技術が、

石油、石炭に変わるエネルギー利用や、

医学の分野でも、

注目されていた事が分かる。

そして、当時のSFの巨人と言われる

小説家(H.Gウェルズ)は、

核戦争の危険性を予測していたのだ!

大正時代に読まれた小説の中に、

「新世界秩序」という言葉が

出て来るのには、驚きだ!

それでは、古い順に、

「原子力」について書かれた
戦前の新聞を
閲覧してもらいたい。

時計右下矢印 

大東亜戦争

(戦後、太平洋戦争と名称を変えられた)

1941年12月8日~1945年8月15日

(昭和16年~20年)

(語句を入力して検索)

1921年8月22日(大正10年)

大阪毎日新聞〈102年前の新聞〉

 

 

戦敗の結果アルサスの炭域を

失いシレシアの炭鉱区域の帰属も

問題にされている独逸では
産業の回復に全力を挙げている。

併し何分諸産業の原動力となる

石炭が不足の為に思うように

産業政策を樹てる事が出来ぬ。

石炭はエネルギーの源泉として

最も得易きものであり
人間生活に最重要なものは

エネルギーであることは
云うまでもない。

故に独逸では石炭に代わるに

熱と光とを発せしむる他の方法の

研究に余念がない面して最近、
最も着目されて居るのは、
ラジューム原子の応用である
大戦勃発当時

エッチ・ジー・ウエルズ氏が
「自由になった世界」と云う

科学小説を著し
ラジュームの破壊力を説いたが、

コハ一編の酔狂なローマンスとしか
一般読者から考えられなかった。

併し今ではラジュームの力が

科学的に証明されウエルズ氏の

妄想的予言を実現しそうになって来た
と云うのは原子は恰も宇宙に

於ける太陽系のようなもので

之が分解の際非常な熱と光を
発散することが発見されたからである。

此大発見によって今まで

全く閑却されて居たものも
非常に有効に利用される見込が付いた。
元来原子と原子とが密着するには、
非常な力が必要であって

それが分裂すれば、
それだけの力が発散し

熱と光とになって現れて来る。


故に此原子分解方法にさえ成功すれば
いいのである之を戦時に応用したら
痛快な活劇が見られる。

即ちラジオ・アクチヴィチーを応用した
爆弾を破裂せしめたら其無限の力が
非常な破壊力を生ずるウエルズ氏

に云わせると
此爆性ラジュームを飛行機上から
伯林市に投下すると殆ど全市を
丸焼にして全く人が
住まわれなくなって了うだけの
燃焼力を有って居る。

之は単り伯林だけでなく
巴里でも倫敦でも同様であるから
世界人類は宜しく共同一致して
此爆弾を取締り人類の絶滅を
避けるようにしなければならぬと

こんな話は話上手な科学小説家

の狂的夢想として

一笑に附せられて居たが、
今回のラジオ・アクチビチー

の発見によって
其可能性が認められて来たから
将来の重大問題となるだろう。

兎もあれ独逸では一箇月二百万噸の

石炭さえあれば産業回復には

十分であるから、

ラジオ・アクチビチーの応用によって

活路を開かんとするのであろう

面してラジュームの一グレン

(〇、〇一七三匁)

が分解する時は石炭三千噸と

同じ力を発するものもと云われて居る。

若しも人類が如何なる種類の原子を

分解する事が出来るようになると

莫大なエネルギーを使用する事が

出来るようになり其力が

全人類のエネルギーよりも

大なるものがあると云われている。

故に原子分解方法さえ発見されたら

産業界は云うに及ばず、

人間生活の凡ゆる方面に

一大革命を見るような事になるであろう。

 

 

1936年(昭和11年)9月1日

東京朝日新聞〈87年前の新聞〉

人類に大きな貢献をなしている

ラジウムが僅か一グラム二十万円

という高価であることは

その産出量が極めて微量で

あるということで

これは人類の大きな悩みでもあるが、

絶えざる科学の躍進は

遂にこの悩みを解消して

ラジウムと同様な性能をもつ

「人工ラジウム」

の発見に成功、

理化学研究所がそのラジウムを

無限的に作る機械を設置して

更に研究を進めることになり

目下芝浦製作所で完成を急いでいるが

遅くも十月までには完成。

 

研究の結果によっては、

高価な天然ラジウムに代って

安価な「人工ラジウム」時代?来

する可能性を予約する画期的な成果が

齎らされるものとして学界に

非常な注目を与えている。

 

その機械は三百万ボルトの

高速度イオンを

発生しその名を

「理研サイクロトロン」

という。

人工ラジウムはラジウムの発見者

キューリー婦人の

娘ジョリオ夫人がその夫と協力して

人工放射発見の画期的研究を発表

したのがきっかけとなって

米国では既に発生器を完成、

実用化されようとしているのに

わが国では経費等の関係で

実現出来ず学者達に脾肉の嘆を

与えていた。

 

ところが三井報恩会東京電燈

このことが伝わり、両者協同で

二十五万円を理研に投げ出した

それに勇躍した理研の仁科芳雄博士

直ちに計画をすすめまず

矢崎為一学士を渡米せしめて

先進のカリフォルニア大学其他で

実際的調査を行い本年三月帰朝更に

研究のうえ米国の

ローレンス式イオン発生器に

独特の改良を加えて、

遂いにこの理研サイクロトロンの

誕生をみたのである。
この機械は一口にいうと

原子破壊に必要なヘリウムなどの

軽い元素イオンに三百万ボルトの

電気エネルギーを与え更らに

電気的操作を経て

人工ラジウムの生成に誘導する

といった複雑なものだが、

これに使用する強磁石は、

既に芝浦製作所で完成、

付属品は理研で製作中で理研敷地内に

建築中の発生室、

実験室(計九十余坪)の落成を

待って十月までには総ての設備を

終ることとなっている。

 

サイクロトロンを担当するスタッフは

仁科博士ほか物理学の西川正治教授

化学の飯盛里安博士

医学の中泉正徳教授矢崎為一

渡辺扶生氏

わが学界の権威を網羅している

 

この研究が予期通りに成功の暁には

多量の「人工ラジウム」

の供給によって

臨床医学にはもちろん、

強烈な透徹力により軍艦用材、

鋼鉄板等の打診にも応用され

その用途は無限に拡大され

大きな福音が齎されるであろう。

 

仁科博士は語る

「天然ラジウムの寿命は

二千年もあるが人工ラジウムは

数十日間で消えてしまう。

人工ラジウム並に中性子の発生

及びその性能の実験をやって

見んことには果して医学的に

効果があるかどうかは確言できないが

米国では最早医療を目的として

大規模の計画が実現されようとしている

今度の機械の完成を待って

その有効なことが判れば

更に大規模の装置が

作られることになってをり阪大でも

既にサイクロトロンの製作に着手した

ということである」

 

 

1941年(昭和16年)3月27日 
日本工業新聞
〈77年前の新聞〉

(広島発)素粒子の存在を実証する

中間子(一名湯川雪子)の発見で名高い

原子核研究の世界的権威

京大理学部教授湯川秀樹理学博士は、

来る四月二日広島文理科大学に於ける

日本数学、物理学会に

「素粒子間の相互作用に関する研究」

と題して嘗て博士が発表した学説に

権威ある解説を加え、

併せてその後の研究を報告する事となったが

同博士の説明こそ自然現象の矛盾を

決定的に明らかにされるものとして

世界物理学界の注視の的となっているが

これに先だち同博士は次の如く語った

 

湯川博士

 

物質は多数の原子の集りであり、

原子は更に原子核とその周囲にある

幾つかの電子から成る、

その中電子に関する研究は既に

一段落を告げたので、

約十年前より原子核の研究が

物理学の中心題目となった。

処で原子核は多数の中性子と陽子が

何等かの力によって強く

結合されて出来た集合体である

考えられて居るが、

この結合力の本性を明かにすることが

原子核構造論の根本問題であった。

ハイゼンベルクは化学的結合力との

類推により中性子と陽子とが、

電子を交換することに基因する

所謂位置交換力なるものを想定した。

然るに原子核中には中性子陽子の如き

所謂重粒子のみが存在すると

仮定せる場合、放射性、原子核より

陰電子又は陽電子が放出される。

所謂ビーター放射能の現象を

如何に解釈すべきかが、

これ又極めて重要な問題であった。

 

フェルミは例えば中性子が、

陽子に転化する際に電子と中性微子とが

創生さるとの仮定から出発し

ビーター放射能の実験と満足すべき

一致を示した。

その後多くの学者がこれ等の二大問題は

無関係でなく中子と陽子とが始終電子と

中性微子の授受を行うことが、

即ち位置交換力其ものであろう

と考えたが、研究の結果かかる

仮定の下に理論的に

得られる結合力は実験から

推定されるものに

比して遙に小さかった。

 

この欠陥を補わんとする目的を以て

私は昭和十年

日本数学物理学会記事 二月号

「素粒子間の相互作用に就て」

題して次の如き仮説を提出した。

 

即ち帯電粒子間の相互作用が

電磁陽によって記述されることより

類推して、中性子陽子間の相互作用も

亦ある種の新しき場に依て

表現し得ると考え、

原子核に関する諸種の実験事実を

説明する為には、この陽が

如何なる条件を満すべきかを講じた。

 

しかるに電子諭によれば、

この新らしき場には必ず、

新らしき粒子を伴う筈である。

而してこの粒子は正又は

負の電気素量を有し、

電子の約二百倍の質量を有すべき

ことが推定された当時かかる粒子は

まだ発見されて居なかったが、

私は現在の設備を以てしては

地上の実験室内でこの種の粒子を

創り出し得ざるは当然であり、

宇宙線中にのみ存在する

可能性ある事を論じた。

その後昭和十二年に至り

アンダーソン、ストリート、

仁科芳雄博士等

の実験により、宇宙線中には、

実際この種の粒子が存在し然も

其質量は理論より予期せられた如く、

電子の約二百倍なる事が確かめられた。

 

この新粒子は今日一般に

中間子(メソトロン又はメソン)

と呼ばれ、

宇宙線中の硬成分は

殆ど全部中間子である事が

明かになった。

更に私の理論に依れば中間子は、

それ自身不安定であって

電子と中性微子とに転化して了う

可能性があり其為めに極めて

短い寿命しか持たぬことになる。

この仮定はビーター放射能の説明に

必要であったのであるが、

他方に於て宇宙線硬成分に関する

種種の異常なる現象の解明に

非常に役立つのである。

最近に至ってウイリアムス等は、

中間子が電子と中性微子に

転化することの実験的確証を得た。

斯の如くして私の理論は原子核及び

宇宙線に関する多種多様なる現象を

統一的に記述する上に於て

甚だ有用であるので坂田昌一氏其他と

協力して理論の拡張及び改良に努めた。

この種の研究は最近諸外国に於ても

極めて盛んに行われて居るが、

尚今後の研究に持つべき処が

多いのである