昨日の2022年10月13日は、

1985年の夏に起きた

日航ジャンボ機墜落事故の遺族による

ボイスレコーダー開示請求訴訟

結審の日でした。

(以下転載)

乗客乗員520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故を巡り、遺族が日航に機体のボイスレコーダー(音声記録装置)とフライトレコーダー(飛行記録装置)の生データの開示を求めた訴訟の判決で、東京地裁(加本牧子裁判長)は13日、遺族の請求を棄却した。

 

 遺族は乗客だった夫を亡くした大阪府箕面市の吉備素子さん(80)。訴訟では「ボイスレコーダーなどの記録は夫が死に至る状況を知ることができる個人情報で、プライバシー権に基づき開示請求できる」と主張。だが加本裁判長は、記録は吉備さんにとって秘匿性の高い情報ではないなどと指摘し、開示請求権は認められないとした。

この残念な判決。

誰もが、ボイスレコーダーを、

公開できない(隠したい)理由が

あるんじゃないのか?

と考えたに違いない。

事件を風化させては、

ならない!

しかし既にもう時は流れ、

遺族(原告)は高齢になり、

人々の関心も薄くなったのか?

前回の公判では、傍聴券が配布されず、

傍聴希望者が全員、裁判所の小さな部屋に

入れたくらいなのだ。

もう、この事故(事件)が遠い記憶の片隅に

ある事柄になってしまった人も多いだろう。

 

そんな中、この件を、ずーっと追っている

ユーチューバーがいる!!

 

これまでの定説が崩れる小幡氏の発掘資料

この墜落事故の大きな謎のひとつに、

墜落現場に駆け付けるまでに何故、

12時間以上も要したのか?

ということが、挙げられますが、

皆さんもご存知の通り、

墜落直後の現場上空には、

米軍輸送機や、自衛隊ファントムが飛来し、

山中で炎上している

123便を目視しています。

 

しかし、墜落したのが、夜になっていて

辺りが暗かった事、

そして、現場上空からの位置報告が、

地上との誤差を少なからず生む、

当時の距離測定装置TACANの性能に、

限界があった事などにより、

どうしても正確な墜落地点共有は、

難しかったとされてきました。

ところが、

このチャンネルの視聴者でもあり、

この事故についてあらゆる文献に目を通し、

埋もれていた記事を見つけ出して、

提供してくださっている小幡瞭介さんから、

このような情報が寄せられました。

 

事故当時、夜間に

墜落現場を特定する事は、

本当は可能だった。

とする説を裏付ける情報が、

「丸 平成8年4月号」

「自衛隊装備年間」

に載っていました。

 

ファントム偵察機は、装備面では、

航法機材が揃い、

困難な地点標定が、容易である。

●側方偵察レーダー、

●赤外線探知装置、

●低高度パノラマ・高々度パノラマ・フレーム

の三種カメラ、

●フラッシュ装置

がついているので、
雨中や夜間でも偵察出来る。

そしてその北方約六キロから八キロの地点に、

集落の灯のくねりがあらわれる。

写真には、撮影地点の経度、緯度も記録される。

 

このような赤外線写真を、

群馬・長野両県警、

推定地域の町村などに配布すれば、

地元の人々は、集落の灯が、

群馬県多野郡上野村楢原の神流川の上流に

沿ったものであることを、たやすく見分け、

そこから確実に、墜落現場を、

特定できたに違いない。

しかし、翌朝、

明るくなってから、

現場の航空写真を

撮影させた。

夜明けになれば、県警のヘリコプターでも容易に

現場を発見、特定できるので、

このようなファントム偵察機の使用は、

無意味なものであった。

夜間偵察能力を秘密にしたい為に、

ファントム偵察機の夜間投入を
避けたのだとしても、

誤差の大きいTACANに頼らずに、

位置を突き止める他の方法もあった。

海上自衛隊厚木基地から、

P3C対潜哨戒機を飛行させることである。

※P3Cは、ロランCを搭載している。

 

ロランCを使えば、

日航機墜落現場の位置は、

300メートル以内の測定誤差で、

捉える事ができた。

https://www.kaiho.mlit.go.jp/03kanku/14toudaibu/02mitisirube/02dennpa/roranc.html

しかし、防衛庁はそれもしなかった。

防衛庁、自衛隊は、

迅速に墜落現場を

位置標定する為に、

保有する最も有用な装備を、

使おうとしなかったのである。

という情報を小幡さんは、発見しています。

さらに、墜落現場が

御巣鷹山の尾根と特定できずに、

警察、自衛隊は、寄せられた

目撃者の情報などを無視。

周辺の御座山など、全く違う場所に捜索に入り、

どんどん時間だけ経過させて行き、

日付は翌日13日へと変わっていた。

 

ところが、小幡さんが見つけた

8月12日、信濃毎日新聞の号外には、

この記事は、皆が場所が分からないと

捜しまわっていた12日の夜には、

既に号外として発行されていたのです!

 

これは一体、どういう事でしょうか?

 

次に、このチャンネルで解説して頂いている

田中氏の指摘する

18時台後半に出されたとされる

「123便、レーダーから消える」という

テレビ速報テロップが、

無かった事にされている事実。

最初にテロップが出されたのは、

19時を回ってからという事に、されている件。

これは、各機関の不都合、

つまり隠蔽したい事実が

あったが為に、

時系列を操作した

のではないかと言われていますが、

 

これに関連し、今回、情報を提供してくださった

小幡さんが、発見した情報によると、

123便が、御巣鷹山に墜落直後、

たまたま近くを飛行中であり、

一番最初に墜落現場に上空に飛行し、

状況を報告した米軍C-130輸送機が、

墜落現場を確認した時刻、公式では、

当時19時15分とされています。

ところが、

実際には、公式発表の15分よりも前の、

18時59分以前に、既に現場上空に居た

という記事を、小幡さんは発見しています。

これは、「航空ふぉーらむ 85第27号」

の15ページに載っているもので、

この情報は、19時2分までに、
RCC中央救難調整所など、

関係機関に伝えられた。

18時59分、東京管制部に

横田から情報が入った。

と、書かれています。

そうなってくると、航空自衛隊のファントムが、

緊急発進して、現場到着した時刻も、

事故当初の発表19:47から、

いつの間にか、

19:21に変更されている

不可解とも符合する。

そうです!

C130輸送機の次に現場上空に飛来した

航空自衛隊ファントムの到着時間も、

当初の報告から、知らぬ間に

書き換えられているのです!

皆さんは、ご存知でしたか?

 

「航空情報 1985年11月号」69ページ

には、

「19時47分、百里基地を発進した

航空自衛隊RF‐4Eが炎上中の飛行機を確認。」

しかし、のちの発表だと、

19時21分と発表されています。

 

つまり公式発表と、

実際に対応に当たっていた時間に、

やはり疑惑のズレが存在する事、

一見、報告の誤差だと思われる

この時間のズレは、

ボイスレコーダーの中身、

ニュース速報や、墜落現場特定

などにかなり影響し、

のちに大きな疑惑に

繋がって行きます。

NHKが、【7時のニュース】

の終了直前の19時26分、
「ジャンボ機の機影が

レーダーから消えました。」

と松平アナが伝えたのが最も早く、

 

日本テレビは、(30分)

テレビ朝日とフジは(ともに31分)

の順にテロップが流れたと

記載されている。

 

ということは、テロップが日本テレビの

ダーティペア内で流れたにしろ、

テレビ朝日のコンポラキッド内で

流れたにしろ、

どちらにしても、

そのテロップは、

無かった事にされている!

何故、速報テロップを出した時間を、

無かった事に?そして時間を、

後ろにずらそうとしているのか?

東京羽田番の清水記者以外にも、

関係者機関に、情報を伝達する事が

出来た人間がいた可能性が出てきます。

 

速報テロップは、19時前に、

既に出ていた可能性も高くなり、

田中さんの事を、嘲笑い、

「そんなのあるわけない」と

否定していた人たちの根拠を、

打ち崩すスクープとなる可能性が、

高まります。

このユーチューバーのワタナベケンタロウ氏は、

シリーズで、数多くの検証動画を撮って

います。動画によって、様々な検証が

されています。

 

 

ご興味のある方は、是非、

ご覧ください。

 

また、別の方ですが、

この件について、

動画があります。

こちらも、ご覧ください!

生存者は、後ろの座席に座っていて、

山を滑り落ちたところで、発見された。

生存者を見つけたのは、

実は自衛隊員ではなく、

すべて地元の消防隊員だった。

この日航機123便には、

明石家さんまさんも、

乗る予定だったそうです。

さんまさんのような有名人が、

掘り下げてくれると、もっと

注目度が上がると思うのですが。

とにかく、この事故(事件)を

風化させてはなりません!