危険を感じたら、一目散に逃げよう!
第六感に従って!
「怖い」と思う感覚は、
我々人類が、命を繋いできた
サインです!!
私が2歳半か3歳くらいだった頃、
インフルか風邪をこじらせたか、
少し症状が重かったので、
両親が近くの診療所に
連れて行ってくれた。
お医者さんと親が何かを話していて、
その流れで
「じゃあ、お注射しましょう。」
ということになった。
ガーーーーン!!!!
恐怖を感じた幼い私は、
とっさに「お腹が痛い。」
「漏れそう!」と言って、
トイレに行く事を許してもらい
鍵をかけて立てこもった。
しばらくして母親が様子を見に来て、
「まだ?」と言ってドアをたたく。
返事をしないで、立てこもる私。
さて、どうしよう。さらにドンドンと
ドアを叩く音。小さな声で「うーん、まだ」
と答えて、立てこもりを続ける。
このまま時が経って諦めてくれる事を祈っていた。
しかし、甘かった。母親がクリニックから、
何か道具を借りて、
鍵をガチャガチャとこじ開けてる
ではないか?!ドアが開けられ、
私は、トイレから引きずり出されてしまった😨
そして・・・クリニックのベットに
逆さまにされ、お尻をまくられた。
イヤだ!!💦
泣いて抵抗して暴れたが、
両親に力ずくで抑えられ、
大きな注射器、太い注射針を
お尻にブッスリ刺された。
ギャー!!
刺されても抵抗して動くから、
さらに痛い!!
(昭和のお注射は、
注射針が太かった😨)
注射が済んだ後も、
大泣きして散々な思いで、
家に帰ってきた記憶がある。
その後の人生でも、
注射が大嫌いで、恐怖だった。
理由は、痛いからというか、
第六感的に血管に得体の知れない物質を
入れる事が恐ろしいと感じたのだ。
ああ、あの時の注射は幼い私に本当に
必要だったのだろうか?
でも、テレビや、学校で、お注射が、
とっても有難いものだと、
繰り返し言い伝えられると、
例え、接種者が倒れて痙攣して担架で
運ばれるのを見ても、逃げ出そうと思わなく
なるものなのか?
こんな動画を見つけました!
https://twitter.com/i/status/1430695943796449281
ワクチン接種の途方もないリスクについて、
何千もの証拠が存在するにも関わらず、
多くの人がその健康を如何に危険に晒すのかと言う
驚くべき事実も存在する。
それがロシアのワクチン接種センターで見られた。
ワクチン接種を待つ人々の列の中、
突然扉が開き、数人の医療従事者が現れ、
痙攣している男性を担架で運び出したのだ。
だが、何より驚かされる事に、
誰も動揺したり、
何が起こっているのかと、
疑問を抱いたりせず、
ただ静かに痙攣している男性を眺め、
その人が視界から消えると、
自分の番を待ち続けたのである。
次は自分であり得ることを気付かずに!
同じ事は、スペインのテネリフェの
ワクチン接種センターでも起こった。
そこでは、突然倒れた人に対応する為、
医療従事者らが担架を持って、走って入ってくる
様子が見られるが、残りの人々は、
その光景を動じることなく眺め、
誰もその場所から走って出て行く事はなかった。
これは、人類の大半がかけられている
【洗脳】の証拠である。
例え、自分の目で見ていようと、
誰も疑問を抱かないのだ。
何故なら、メディアやテレビが、
「何も起こる事はないから、
ワクチン接種をするように!」と
常に告げてきたからだ。
だが、乖離しており指令に従順であるから、
それ以上の情報を探そうとせず、
さらには驚きもしないのだ。
これが示しているのは、
区分化された心理を持つと
いうことあり、殺される家畜の
ように抵抗せずに、
おとなしく畜殺場へ向かうのだ。
周知のプランデミックが、
社会の不安定のもとで、
新たな統治形態と化けしており、
その中で、無一文になることへの
恐れや恐怖に乗じて、
人間の家畜化への
プロセスが生じつつある。
第六感とは・・・
何となく嫌だな。
何となく怖いな。
見たわけでも聞いたわけでもなく、
知識があるわけでもないし、
触れられる訳でもないけど、
直感で、逃げた方がいい!!
と感じたら、
逃げてくださーーーーい!!
みんながその場にとどまっても、
みんなが逃げなくても、
貴方が恐怖を感じたら、
逃げてくださーーーい!!
第六感が働かなかった種は、
次の世代へと命を繋げられず、
滅びているんです。
貴方の命は祖先が、
危険から逃げ延びて、
今ここに存在するんです!
第六感、直感、大切にしてください!
おや!ここに勘の良い人がいるよ。
やっぱり、逃げて正解だった!と
思えるロシアの公共放送を紹介した記事です。
病気って、つくられるものなんですね💦