❏坂口祐三郎が、映画の世界に足を踏み入れてから六十五年。 



 この数字を、私は単なる「年月」だとは思っていない。 




 それは、日本の映像史が積み重ねてきた時間であり、同時に、ひとりの俳優が、生涯をかけて表現と向き合い続けた証だ。


 もし、あの病がなければ――彼はいま、八十四歳。



 間違いなく、現場に立ち、若い俳優たちと同じ空気を吸い、第一線で芝居を続けていたはずだと、私は確信している。 



 坂口祐三郎という俳優は、年齢によって価値が薄れる人ではなかった。


 むしろ歳月を重ねるほどに、言葉は少なくなり、動きは研ぎ澄まされ、存在そのものが「演技」になっていく人だった。



 だからこそ、まだ観ることができたはずの姿、まだ語られるべきだった役、まだ共に立てたはずの現場を思うと、無念という言葉では足りない想いが、胸に残る。


 赤影が今なお語り継がれる理由は、単なるヒーロー像ではない。



 そこに宿っていたのが、坂口祐三郎自身の正義であり、弱さであり、そして最後まで失われることのなかった、人としての品格だったからだ。



 私は、彼を「過去の人」として語る気はない。



 坂口祐三郎は、時代に消費される俳優ではなかった。


 時代が追いつくのを、静かに待っていた俳優だった。


 映画デビュー六十五周年。 



 この節目は、失われた時間を嘆くためだけのものではない。



 彼が生き抜いた表現の精神を、いまを生きる私たちが、どう受け取るのか――その問いが、ここにある。



 もし彼が今も生きていたなら、きっとこう言っただろう。 


 「まだ途中だ」と。



 その“途中”を、語り継ぐこと。


 それが、盟友として、私に残された役目だと思っている。


 心からの敬意と、尽きることのない感謝を込めて。


 ――瀬崎智文





 

 

 

 

 

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