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昭和の暦で数えると今年は昭和100年になる。

私が幼少期初めてカラーテレビに映る坂口祐三郎の赤影を観た日の記憶はあるものの日付の記憶は無い。

繰り返しの再放送のどれか!?それが最初の彼との出会いかも知れない。


彼と後年仕事をはじめ赤影の番組のエンディングの話しになった。日本中の子供達が彼のファンになり魅了されたひとコマである。

彼は笑顔で語ってくれた、1966年12月撮影所の最終日、昭和41年であると。

翌春から放送決定の番組のエンディングの撮影を最終日の午前中に無事収録。

東映撮影所にサイレンが鳴る、昭和41年の12月本日で仕事納めになります。
アナウンスが流れ、まだ世の中の人も知らない赤影の大成功夜明けの前でもある。

当然私はリアルタイム等知らない。

何年遅れの再放送のエンディングを想い小学校の全校集会時に校長の話しも聴かず空を見上げ、この空の向こうから見下ろす撮影所で赤影が仕事してると信じていた。



2025年昭和100年。
59年前東映京都撮影所で放送前の赤影役に挑んだ坂口祐三郎の思い出を将来、こうして私が多くの人へ向けて書くとは誰も知らなかったと思う。

坂口祐三郎は今も私を含め多くの人の心に赤影として生き続けている。




彼は日本初のカラーテレビ『元祖』
等身大ヒーロー第1号の赤影である。

彼の演じる赤影の大成功がカラーテレビの躍進を押し上げ後に続く等身大ヒーローの出発点となった。
その中でも最も話題になり赤影のテイストを受け継いだ作品が仮面ライダーシリーズと思う。
赤影のプロデューサー平山亨さんがカラーテレビの初登場に合わせて坂口君の赤影がセンセーショナルに現れたお陰で東映は映画とカラーテレビ制作の2枚看板が出来たと話して頂いた。




 

 

 

 

 

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