坂口祐三郎の代表作品は、日本初の特撮時代劇カラーテレビ『仮面の忍者赤影』。


もはや、伝説の金字塔作品として日本中で知らない人が居ない程の知名度を誇っている。



その『赤影』を演じカラーテレビのスターとして飛び出したのが『坂口祐三郎』なのです。


✨もしも彼があと少し早くデビューしていれば、銀幕の映画スターとして後世に名を遺していたと言われる程のテレビスターだったのです。



何故なら『赤影』の放送は、今から58年前、昭和42年、最初の東京オリンピックから3年後。




モノクロテレビが、中心の時代に、来るべき、カラーテレビの時代を睨み、大手家電メーカー『三洋電機』と、大手映画会社『東映』が、手を組んで制作した『赤影』で、まさに、『キラリと光る涼しい目』で、主演を獲得したのが『坂口祐三郎』その人だったのです。


私と彼は、後年、仕事で意気投合して、二人三脚で、エンターテイメントの世界を駆け巡る事になり、彼がこの世を去った2003年以降、彼の人生の語り部として、作家活動に従事しているのです。


私にとっても、坂口の『赤影』は、幼少期より、憧れの強い作品として心に残っている


坂口は『赤影』以降、余りにヒットした『赤影』のイメージにとらわれる事を嫌い、何度も要請される『赤影』を、拒み続けるのです。




そんな中、彼が『赤影』を、任せたいと私に伝えた俳優がいたのです。




今から38年前の1987年。



その俳優は『真田広之さん』。


❏真田広之さんCM❏



今や日本国内を離れ、拠点を海外に置いてハリウッドで活躍する、言わずと知れた大スター。





実は、坂口と『真田広之さん』は1970年代後半に、テレビドラマで共演。





その頃から、密かに、『赤影』を任せるなら、『真田広之君』しか、居ないと思っていたのです。

しかし、中々、簡単に物事が進まない世界でもあるのです。

いつしか、その希望も無くなり、最早『赤影』は、自分一代限りと思っていた。


坂口は自らの事を美男であるという意識はあまり無く、赤影で世間を魅了したのも『時の運』と思っているほど自分自身への客観性が無かった。



でも、私は間違いなく赤影の成功は坂口あってこそだと思っているし、彼は紛れもなく美男であると思う。


そして、坂口は、『彼なら(真田広之さん)、きっと素晴らしい仕事が出来るかも。』と私に言ったのです。





坂口には、そうなる未来は見えていたのかもしれない。



俳優にしか分からない勘とも言えようか。





もしかすると、撮影で、真田広之さんの若き姿を見たとき、自分を越える姿を、見たのかもしれない。








後年坂口は『赤影』に囚われ、方向転換に苦悩したが、真田広之さんの、アイドルという敷居を越えて、ハリウッド俳優としても幅広い活躍をする姿に、どこか羨ましさも感じていたのかもしれない。



坂口祐三郎のキラリと光る涼しい目も、見守っているように思える。






 































 

 

 

 

 

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