❑私は現在、作家としてまた、プロデューサーとして活動している。

出身地の北九州市のPRにも力を注いでいます。


私が自身で独立してプロダクションを設立したのは24歳。



1987年昭和62年。



以降、独立プロダクションの代表として主にメディア関連のビジネスを中心に活動して来た。








30歳が見える頃、不思議な縁で赤影の坂口祐三郎さんと仕事をする事になる。


元々、赤影のファンであっただけに、二人で意気投合。


その後、彼の総合マネージメント業務を引き受ける事になった。






私にとって、テレビの大スターである坂口さんのビジネスには華やかで楽しいものであるという期待と逆にかなり大変なものになるかの、どちらかの様な予感はあったものの、子供の頃から惹き付けられた赤影の俳優と言うイメージに 魅せられ二人三脚のエンターテイメントビジネスがスタートした。


⭐彼が去った2003年以後は、赤影の原作者/横山光輝の著作権責任者としてクラシックコンテンツの新企画として『鉄人28号』『魔法使いサリー』等の企画プロデュースに取組んできた。






■左/神戸市長右/兵庫県知事・中央が私。
18メートルの鉄人28号モニュメントテープカット。
横山光輝の代理で参加。

■↓話題になったテレビCMのプロデュースも手掛ける。


⭐しかし私自身、坂口祐三郎の生きざまを後世に伝える必要に駆られ、小説『仮面と生きた男』に舵を切る。

彼の『軌跡を語る旅人』になった気分でもあった。


漫画家のコンテンツ責任者が更に高みに位置する、小説家に転身する。

これも坂口祐三郎の赤影の活躍が後押しをしたと信じている。







そして昨年9月3日82歳の誕生日を迎えた。



生前、私が彼に、きっとお元気で80歳、90歳になっても変わらず過ごしてますよ。


そう言うと笑顔で応えてくれた。


懐かしい思い出では、あるものの彼が赤影に扮した姿では更に存在を大きく、そして近くに感じる。


今を生きる私達と時の流れに流されず『時の旅人』の様に、いつ迄も心に生きつづけてる様である。
 


⭐2023年坂口祐三郎は没後20年を迎えた。
彼の証である仮面と生きた男/赤影は世代を越えて愛されている。



❑私にとっては、赤影、ウルトラマン、セブンと言う流れで幼少期に影響を受け、今尚追い求める気分である。
送り手側にいても、そのマインドは変わらない不変なものである。