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✡️私の好きなコンテンツを記憶順に並べてみた。
先ずは、遠い記憶の何処かで観る『赤影』坂口祐三郎の魅力に惹き付けられた。
その坂口祐三郎は2023年没後20年を迎え9月3日に生誕82年を迎えた。
小学生の頃、最初はアニメ、次は漫画本と興味を持った『巨人の星。』
原作の梶原一騎氏は、他に『あしたのジョー』『柔道一直線』『タイガーマスク』『愛と誠』と続く。
当時、西城秀樹さんは自身で映画主演を熱望する。
多忙な歌手活動の中、撮影に挑み映画も大ヒットする。
西城秀樹さんは生前、仕事でお会いしてエンターテインメントの業界話を多数語って頂いた。
✡️『赤影』坂口祐三郎の関係で交流の生まれた『平山亨さん』『赤影』『仮面ライダー』のプロデューサーで『柔道一直線』のプロデューサーでもあった。
梶原一騎氏のエピソードを山程聞かせて頂き楽しい思い出が増えていった事を良く覚えている。
私自身も『巨人の星』『タイガーマスク』『柔道一直線』等、アニメ、ドラマ化する事で漫画以上の影響を受けた。
✨私の故郷、北九州市は61年前に生まれた『政令指定都市』。
当時では珍しい5市対等合併で誕生した。
その中心が小倉市(現在は北九州市)である。
私は北九州市の『ひまわり大使』を拝命している。
その北九州市小倉北区に、当時、梶原一騎氏の母の実家があり、暴れん坊時代の梶原氏が短い期間とは言え身を寄せていたと言う。
不思議な気持ちと少し優越感に浸る気分でもあった。
特に『柔道一直線』は舞台が、そのまま、小倉である。
私が幼少期から家族と過ごした場所がドラマの舞台と聞いて喜んだ事も懐かしく思う。
つまり私自身、子供の頃からテレビ、漫画、小説に興味を持ち、小学生の頃、クラスで『野球漫画』を連載して、喝采を受けた、その変わり者的存在の代表の人気者『梶原一騎氏』が故郷が近いと言う半ば強引な納得をした気分であった。
ちなみに私が高校時代、担任が甥の手伝いをして欲しいと誘われた若き漫画家が、地元出身の『北条司氏』である。
その時は、まだ高校生と言う事もあり、アシスタントの道は繋がらず残念な気持ちになったものの後年、赤影の坂口祐三郎との二人三脚でスタートした、エンターテイメントビジネスを皮切りに、漫画家の横山光輝のビジネスライセンスを預り、今こうして、赤影の坂口祐三郎の語り部として小説『仮面と生きた男』の原作者として作家活動に従事していると、不思議な人生だと感じる事がある。
北九州市の隣に位置する中間市。
坂口さんの東映時代の先輩、高倉健さんの故郷である。また健さんは北九州市の進学校東筑高校から明治大学に進み東映の俳優になる。
当初は東京撮影所所属だったが任侠映画の台頭に合わせて京都撮影所へ。
時代劇中心の坂口さんと福岡県出身者として交流があったと言う。
私に自身の『作品』を出す必要性を説いてくれた、赤影の坂口祐三郎。
彼の赤影以外も交えた人生を本にして欲しいと言う願いと、その赤影のプロデューサーで仮面ライダー等、今日の特撮ブームの礎を創った、平山亨氏。
色々な関係性が私の現在の活動に影響している。
その中でも、梶原一騎氏のキャラクターは特別愛しく思う。
また何より幼少期に夢中になったヒーローと一緒に仕事が出来た事は人生の誇りである。
そして、いつか私の作品も多くの人の心に届く1つに成ればと心から願っている。
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