❑『赤影』坂口祐三郎。
テレビ映画のエンディングにクレジットされている彼の名前である。
坂口祐三郎の本名は『中村徹』。
当時、東映の撮影所配属の時、中村の本名を希望したと言う。
ところが当時の時代劇トップスターは『中村錦之助』。
格が違うと経営陣に蹴られ、芸名が中ぶらりんの時、『牧口』の名前が授けられ『牧口徹』としてクレジットする事になる。
❑そして彼自身、テレビドラマに起用される頃、『坂口祐三郎』を授けられたと私に語った。
⭐映画業界は当時、夢と希望に溢れた人々が集まり大きな独立国のようだったと語っていた。
私と親交のあった『平山亨さん』も毎日が喧嘩の様な撮影所独特な雰囲気だったと語っていたのだ。
後に『赤影』のプロデューサーになる平山さんは撮影所に魔物が居て怖い所と言っていた。
映画監督の経験より助監督の時間が多く、坂口含め多くの映画スター候補を眺めていたと言う。
坂口祐三郎の名で活動する中で赤影の主演が決まる。
過酷極まり無い撮影の中で赤影は東映初のカラーテレビ放送と言う事もあり大ヒットする。
東京の大手プロダクションからも誘いがかかるものの気乗りせず今後の作品を待ってた時期。
彼の中で心の変化が現れる。
赤影に対する異常な抵抗感である。
当時の映画業界は時代劇から任侠路線に舵切りを始めた頃。
大型予算の時代劇が回収困難の中、低予算の映画製作に乗り出すのだ。
当初、坂口の元に赤影のヒットをキッカケに坂口主演映画の企画が複数存在していたと言う。
ところが製作費の圧縮とリストラの影響でスタッフが入れ替わり、予想に反する問題に苦悩する事になったのだ。
彼の中で唯一の抵抗は『赤影』と言う役を絶縁して愛着のある『坂口祐三郎』の名を棄てる事。
こうして彼は私と二人三脚の赤影復活を目指す迄、愛着のある『赤影と坂口祐三郎』を封印する事になった。
皮肉にも、彼の芸名をその封印から解いた私が話を語って貰うのはずっと後の事になる。