⭐不思議な事に西城秀樹さんの思い出を書いているとお会いした時は勿論、その前後の記憶や資料が次々に目の前に現れて来た。
加えて西城秀樹さんのデビューからの活躍時期と私の小学生の時期からの成長期も重なり、ある意味、溢れ出る情報を整理しながら書いているのだ。
私の人生と西城秀樹さんの思い出となれば、シンプルではあるものの、赤影の坂口祐三郎の思い出も重なり重複した物語テーラーの気分にもなってしまう。
特に西城秀樹さんの名曲の主な作詞である阿久悠さんの作詞家迄の人生にも興味深く、ある意味四方八方に広がる内容を上手くまとめて皆さんにお届けしたいと思う。
■私が小説『仮面と生きた男』(扶桑社刊)を、発表する経緯は、2003年7月13日に坂口祐三郎が突然この世を去る事からである。
私は彼の著作権等の権利管理者として活動する傍ら、赤影の原作者で漫画家の横山光輝氏の家族から熱烈なオファーを頂き、同氏のキャラクターの運営責任者となるのだ。
一方の坂口祐三郎、西城秀樹さん等は私自身のプロダクションのラインでお会いしてビジネスを広げる事になる。
詳しい件は小説『仮面と生きた男』にセミフィクションとして描いている。
▓さて、漫画家の横山光輝氏は1950年代にロボット漫画『鉄人28号』を発表。
当時大きな話題と人気を誇る。

漫画からラジオ、白黒テレビアニメで人気を博す。
▓『魔法使いサリー』等もある。

▓私はそういった『クラッシック・キャラクター』を現在にCM等も含めてアレンジする企画製作プロデュースのビジネスを生業としていた。

▓シンプルに現在ヒットしているキャラクターも元のオリジナルなのか、現在に現れた人気キャラクターと言う具合に二分されるのだ。
現在は『キャラクター』というと漫画、小説、アニメ、ゲーム、映画等広範囲に展開するが、当時はそれほど影響力の大きなキャラクターは少なく少しずつ成長させていく、そんな時代だった。
漫画原作は単純に一人の人間の頭のみに生れるため、連続でコンテンツを開発すると似た感じのキャラクターが現れ、次第に読者に飽きられて終ると言う感じと思う。
私が扱うキャラクターも概ね、『ピーク』を越えた『クラッシック・キャラクター』と言う事になる。
ところが歌手、俳優は複数の人間が数多く関わり、企画開発を進めていく。
■全て上手くいく訳では無いが、突出した才能、容姿、実力を兼ね備えたスターが現れると一般の人は、その圧倒的魅力に引き寄せられてしまう気がしてならない。
昔の漫画家を否定している訳では無いが、たった一人の人間の力と多くの人達の才能が重なり合う能力を引き出せば、差が歴然と現れると思うのだ。
▓赤影の坂口祐三郎は、カラーテレビの初進出の時期に劇場映画の製作クリエイターと大手家電メーカーの後押しの上で、スターになっていく。
西城秀樹さんは本人の圧倒的な歌唱力と時代を掴まえて離さない、阿久悠さんの千里眼が働き、スーパースターに成長していく。
坂口が赤影以前、時代劇映画のスター候補として活躍する。
1960年、東映で『美空ひばりさん』の映画企画が公開され大ヒットする。
若き坂口は、その映画の一つにキャストとして出演。
ひばりさんの歌声を絶賛する。
そして時が過ぎたある日の事。
西城秀樹さんの歌が聴こえて来ると、会った際の話を伝えた所、こう話したのだ。
▓『自分も西城秀樹さん程の大きな実績には及ばないものの、ある程度、名の知れた俳優と思う』
『少し前置きが長くなるが、その自分が見て西城秀樹さんは歌手のスーパースターと思うよ』
普通、人は慢心して油断してしまうと思う。
きっと彼は『歌手』に絶対に成るぞと言う力が強く働いたと思う。
ジャンルは違うが私は『美空ひばりさん』とも映画でご一緒したし、彼女が最高峰と思ってた。
しかし西城秀樹さんは流れの速い音楽の世界で連続して活躍を続けている。
そう言う点では、ひばりさんの域に唯一到達できる男性かも知れない。
笑顔で少しも動じず語ったのだ。
私がその時感じた事は、知名度を獲得して後世に残る『赤影』と言う代表作を遺した坂口だからこそ言える言葉と思う。
それは20年以上前のある日の夜だった。
