⭐西城秀樹さんの話を、伝えていきます。
西城秀樹さんが亡くなって5年。
早いものである。
今でも、西城秀樹さんにお会いして取材とは言え、色々な話をさせて頂いた事を昨日の様に覚えている。
特に『ブルースカイブルー』の話は、興味深く、阿久悠先生に感謝していると言う話であった。
私も数多くの歌手、俳優、その他、エンターテイメント業界の関係者と交流のあった中で、西城秀樹さんの対応は忘れられない思い出の1つになっている。
その阿久悠さんとは残念ながらお会いする機会が無かったものの、直接の関係者、元の関係者の方々とお会いした際も、人格者で人柄の良さを伝えて頂いている。
阿久悠さんも、元は広告代理店の企画プランナーであり、当時のテレビ番組、CMの企画等を手掛ける流れで作詞家の道が広がったと聞いている。
特に最初から作詞家の扉が開いている訳では無く、持ち前の企画力と行動力に努力が重なったものでは無いかと思うのだ。
思えば私自身、阿久悠さんとは直接の接点は無いものの、様々な活動が重なり、現在の作家活動に駒を進めたようである。
特にカラーテレビ初の特撮時代劇『赤影』で一世風靡した、坂口祐三郎との出会いと別れが今考えると大きく影響していると思う。
彼がこの世を去った2003年7月。
奇しくも、西城秀樹さんの病気のニュースも流れ、亡くなった坂口と、まだ若い西城秀樹さんが病に襲われた事が二重に重なり心に刻まれているからだ。
❑私はその後、漫画家/横山光輝氏のライセンス責任者として、主に『クラッシック・キャラクター』のプロデュースを展開する。
それは阿久悠さんが作詞家になる前の、『マルチプランナー』と同じような立場なのかも知れない。
私の場合、日本初の少女アニメ『魔法使いサリー』を軸に、テレビCM等を企画の最初から手掛け、オールドクラッシックキャラクター『鉄人28号』等のアレンジ企画を手掛けるのだ。
西城秀樹さんの話では、阿久悠先生と一緒に過ごした何気無い時間と空間の中で、君のバラードを考えようと言われ『ブルースカイブルー』『炎』等の名曲が生まれたと言う。
私と赤影の坂口の中にも深い絆が生まれ、ある時、バラバラで、アレンジに無理のある『クラッシック・キャラクター』より、もっと彼の為に取り組まなければと言う想いに従い、作家活動へと舵を切る事になる。
それは『ブルースカイブルー』の西城秀樹さんの歌声『青空よ心を伝えてよ』の様に、坂口の代表作である『赤影としてだけでは終われないと言う』俳優の心の叫びに近い『坂口の遺言』だったのかも知れない。
私は彼自身が作成した仮面を纏い、過酷極まり無いハードな撮影に全身全霊を注いだ、『その後を伝え無くてはと言う強い信念』に突き動かされたのである。
きっと西城秀樹さんも歌手の本分を生まれながらに備えたスーパースターでは無いかと思う。
その西城秀樹さんの未来をじっくり見つめ、彼の心の声を形にする阿久悠さん。
一方は稀代のエンターティナー、そしてもう一方は音楽と時代を見事に融合させた達人である。
互いが持ち味を磨き、多くの人達の心に伝えてる不思議な何かを運んでいこうと言う想いでは無いかと思うのだ。
勿論、私が西城秀樹さん、阿久悠さんと同じとは考えて無いものの、『赤影の坂口祐三郎の生きざまは私の責任』として多くの人々へ伝える使命と思う。
いつかきっと、坂口の人生を映像化する際は、西城秀樹さんと阿久悠さんの楽曲で多くの人へ贈りたいと願っている。
その時は私と二人三脚で活動した赤影の坂口祐三郎と言う俳優の生涯を西城秀樹さんの素晴らしい歌声で彩って欲しいと思う。