▓平山亨氏が当時、仮面ライダー五人衆の企画で、固めた番組が『秘密戦隊ゴレンジャー』に変わり、色彩の強さが、坂口祐三郎の赤影を継承していると言われる。



そのゴレンジャーが登場する新番組『ザ・ハイスクールヒーローズ』の放送を記念して平山亨プロデューサーの『秘密戦隊ゴレンジャー』も特別放送。



▓いつの世も、変わらぬヒーローの活躍が、求められているようだ。



▓坂口がこの世を去って、暫くしてから東映プロデューサーで『赤影』『仮面ライダー』シリーズの平山亨氏と二人で食事をした時の事である。






当時『赤影』のカラーテレビ製作が決まってホッとした思い出を語った平山氏。



東映は他社に比べて、テレビ進出に出遅れたのでカラーテレビの受注で、巻き返す、そんな気分だったと。





『京都で映画監督になった途端に斜陽で、どうなるのか心配で、本社の企画部に所属して、やっと赤影で大きい番組が出来て生き返った感じだったね。』とも語って貰った。

□京都の仕事では映画監督して当時売り出し中の里見浩太朗さん主演の映画も撮った経験もあった。





■実は赤影のオープニングナレーション『豊臣秀吉が、まだ木下藤吉郎だった頃…』から始まるナレーションを書いたのは、平山氏と言う。



『赤影のオープニングナレーションは全篇書いて監督に渡したし脚本家の伊上さんとも色々坂口君の相談したよ』とも語って頂いた。






■映画スター候補の旗手と呼ばれた頃の坂口祐三郎。




映画スターの坂口君に『仮面を着ける事に』プロデューサーとして進めたい気持ちと自身のクリエイター魂が『俳優の顔は命』と言う葛藤があったと言う。


特に坂口は素顔はハンサムで大川橋蔵さん似だが仮面は更に合うと言う。









当時の秘話として平山氏曰く『私が原作を書いて東映で制作すれば『もう1つの仮面の忍者シリーズを坂口君で作る話』等に花を咲かせた。





もしも当時の平山氏が坂口の『仮面シリーズ』をプロデュースしていれば果たしてどんな物語なのか『もう1つの世界』だったかも知れない。



■赤影の製作発表は豪華絢爛。

■赤影放送前のプロモーションイベント。

赤影の放送当時の番組発表会は豪華で後にも先にも最初で最後の豪華絢爛だったと言う。



俳優が衣装を着て代理店主導の元ホテルを借りきってプロモーションをしたと言うのだ。





平山氏自身、赤影の製作発表会が余りにも凄く以降の作品も同じ規模と期待したものの赤影はカラーテレビの初作品で派手に仕掛け予算が天井知らずだった。


赤影以降の番組は逆に予算編成に組み込まれ苦労したエピソードを数多く伝えて頂いた懐かしい思い出である。


平山氏曰く坂口君の赤影の成功が変身ブームとして大ヒットした『仮面ライダー』に繋がったと良く語っていた。






❏死神博士で大人気を博した天本英世さん。
北九州市若松区のご出身。
後年その事を知った時も驚いたし平山さんと坂口さんそれぞれ天本英世さんのエピソードを聞いた頃も懐かしく思う。

▓今や東映はもちろん日本のヒーローとして活躍する仮面ライダーシリーズ。
平山さんが京都撮影所の監督から夜逃げ気分で本社のテレビ制作企画者へと移り当初机も無い部署に移動して来た時絶望の淵に立った気分と嘆いたと言う。

水木しげるの悪魔くんを初プロデュースして視聴率も申し分無いにも関わらず制作費の高さから社内で煙たがれ転職を考えた時、赤影の制作が決まり質量共に映画サイズのテレビ映画として空前のヒットを飛ばし仮面ライダーへと駒を進める。

今のエンターテイメント業界の礎を築いた貢献者の1人として改めて平山さんに感謝したい。



  ■『赤影』『仮面ライダー』プロデューサー平山亨氏と脚本家の伊上勝氏の思い出話。