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さて西城秀樹さんの『ブルースカイブルー』の他にも私が個人的に好きな歌があるので、当時の思い出も合わせて伝えていきます。


阿久さんの作詞『炎』は、まだ中学生の頃の記憶と重なって良く聴いた事を覚えている。


当時は、西城秀樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さんの新御三家と沢田研二さんが男性アーティストの旗手を担い、次々に新曲がリリースされた事も懐かしく思う。



歌番組にスピードとテンポが重なり、鳴り物入りでスタートした『ザ・ベストテン』が高視聴率をマークして、学校での話題の中心に歌謡曲が流れていた時代だったと思う。



西城秀樹さんは、私が良く聴いてたラジオのランキングでも常に上位で、リスナーのリクエストハガキを番組で取り上げられ、凄いなと感心していた。



西城秀樹さんと郷ひろみさんが頭1つ抜けて、他の追随を許さないものの、賞レースには、沢田研二さん、山口百恵さんが軸にポップスは賑わい、演歌系が常に紅白でも影響力の強い時代、次々に歌手が変わっていく1970年代後半だったと思う。








ある時、仕事の移動中に坂口さんと話題になったのは、当時、国鉄だったJRのテーマソング。

アリスの谷村新司さん作詞・作曲の『いい日旅だち』が好きな歌で、自分のラジオ番組でもリクエストしたお気に入りであると言われた事がある。


山口百恵さんの話から西城秀樹さんに変わった時、彼は良いね。


坂口が語った言葉を良く覚えている。


『流れの速い世界なのに、続けてヒットするのは、本当に凄い。』

『自分も見習わないといけない』と笑顔で話した。


その時、ある唄が流れて来た。


西城秀樹さんのナンバーである。


坂口が一言。


『歌唱力が違う。』


特にバラードが良いと言っていた。

勿論、西城秀樹さん程の実績を上げた人を、簡単に評価出来ないものの、時を、越えても尚魅了する人にしか無い不思議な何かがあるのかも知れない。


その時の唄は『勇気があれば』である。



私が中学3年の頃、リリースされた。


後年、『勇気があれば』の話題を、西城秀樹さんに伝えて、彼が賞レースの思い出の1つと言った事を覚えている。



最初に聴いて、もう40年以上前の唄だが、今も当時と変わらぬ気持ちで心に染みて来る。

そんな感じだ。