西城秀樹さんの復刻アルバム発売のニュースが目に止まり、西城さんとの思い出が脳裏に蘇ってきたので、今日は少しだけ、その事をお話しします。




私と坂口さんは、仕事の関係から絆を築き上げ、その後は家族付き合いが始まるほど、信頼し合える間柄になっていきました。


しかし、どれだけ坂口さんと親しくなっても、私にとって彼は、幼い頃に憧れた「赤影さん」のイメージが強く焼き付いていた為、仕事やプライベートで一緒に過ごす時も、どこか、「赤影さん」と過ごしているという不思議な感覚がありました。



今、こうして書きながら思うのは、私がその感覚を持ち続けたことで、彼が一人の俳優であり、人々に希望を与えた存在であるという記憶を世に残すことが出来ているのだと感じるのです。


ただの仕事仲間、友人、そんな関係ではなく、常に彼の偉業への敬意を持ち続けることが、大切な事だと感じていました。もちろん今も。


その坂口さんが、突然亡くなりこの世を去った2003年7月13日。





そして、正確には7月15日に、訃報がテレビ、新聞、ラジオ等で取り上げられた日、同時に別の大きなニュースが駆け巡りました。


それが、西城秀樹さん2度目の脳梗塞のニュースです。



まだ若い西城さんが病気になったという事への驚きに加え、坂口さんは脳幹出血という病でこの世を去ったという不幸が相まって、その時の感情は、よく覚えているのです。


西城さんは当時無事復帰しました。


しかし、西城さんのニュースが流れる前に、坂口さんの密葬の日に、亡くなった彼の姿を目にした時、不思議な事に、西城さんの「ブルースカイブルー」が脳裏に流れたのです。



その後、西城さんの病気の報道があり、不思議な縁を感じたのです。


皆さんもご存知の赤影。




実はこの台詞、つまり脚本を書いた、伊上勝さんは阿久悠さんの師匠のような存在で、その阿久悠さんが書いた詞が「ブルースカイブルー」。


悲恋の唄ですが、どこか、人の別れにも起因する名曲だと私は思います。


またそれ以外にも、西城さんの唄の数々は当時、昭和歌謡の旗手として心に残っています。


ブルースカイブルーの歌詞「青空よ心を伝えてよ…悲しみは余りにも大きい。」

今でも、この詞を聴く度、胸に響いてくるのです。




後年、西城さんも2018年、63歳で、この世を去りますが、私は以前仕事で、西城さんに取材した事を思い出します。


当時、彼は、アイドルから大人の歌手に変わる事に悩んでいた事を率直に語って頂き、西城さんのような凄い実績の方でも、様々な悩みを抱え戦っているのだと知りました。



しかし、そんな中でも、沢山の枚数のサイン色紙を笑顔で書いて頂いた事。


優しく謙虚で、人に愛される方だと心から思った1日でした。


つい感傷的になり、長くなりましたが、色々織り交ぜた先輩諸氏の事を思い出した、そんな1日でした。

今年、坂口祐三郎さんの没後21年を迎えます。