❏私は昭和を前期(昭和30年迄)、後期をそれ以後と分けると後期世代。
ちなみに坂口祐三郎は前期(昭和16年生まれ)、この世代間を色分けすると、家庭にある前期はラジオ、後期はテレビ、しかもカラーテレビ世代と又色分けされる世代になると思う。

私自身遠い記憶に白黒テレビが存在し、ある意味仕方なく鑑賞した世代。
それほどカラーテレビの出現は、凄かった記憶が残る。

 ■赤影公式第1話■

❏恐らくカラーテレビの出現は、それまで電気紙芝居と揶揄されたテレビメディアの成長を助け数多くの名作が世に出る事になった。




▓坂口祐三郎さん、黒部進さん、森次晃嗣さん御三方にお会いした事が子供心を思い出す。

▓カラーテレビの本格的出現から60年近くが過ぎた現在、更に新しいネットSNSがテレビに代わりつつある中テレビ側も配信サービスとカップリングした大型番組を放送スタートした。


❏豪華出演陣に注目の番組VIVANTである。

続編、スペシャル、はたまた映画等へ展開するかな?ですね。

赤影を彷彿するワンダーな世界観を見せるCMも面白い。
 ■丸菱では無く丸紅の豪華CM







✨大きな反響を頂いた『西城秀樹さんの思い出』は、今後も続けていきます。


✨西城秀樹さんの数多くのヒット曲。

そのほとんどをリアルタイムで聴いていたので懐かしく思う。


サザエさんのお父さん、波平さんは54歳。



いつの間にか追い抜いているが…。



10歳の時はカツオと同じ年と思っていた頃を思うと、時の流れの早さに驚かされる。



老け役の白影さんの牧さんは30代。

渋いキリヤマ隊長の中山さんも39歳。


❑子供の頃の思い出と言えば、50年以上前の1960年代後半頃が、もっとも古い記憶なのかも知れない。


❏世の中がラジオからテレビに変わり、カラーテレビが少しずつ現れた頃と私の世代は記憶が重なる。




お茶の間の空間には、すでにテレビがあった。


坂口さんの赤影は再放送が多く、初見がぶれてしまうが、恐らく、幼稚園の年長の頃、アポロ11号の月面着陸と重なるものの遠い記憶に違いないと思う。



特にテレビに魅せられた時期であり、まるで日本中を旅してるような気分と物語や音楽に吸い寄せられ、私と同じ幼少期を送った世代が多いので無いかと思う。

■小学生の頃、巨人軍の帽子をかぶり、『赤影参上!』のポーズをとる私。
記憶には無いもののテレビの世界に魅せられる最初の頃の写真。

■記憶に残る当時のテレビのイメージ。


❑時代は昭和。


❏当時の1000円は大金であった(笑)。
 

❏昭和40年代の中盤から後半の頃、私は幼稚園、小学校の中学年になり、様々な情報収集を始めた頃を懐かしく思うのだ。

今思うと、それは現在の作家活動に通じる取材的な意気込みを持って興味ある世界へ探求していたようでもある。

■ザ・ガードマン(宇津井健主演)



刑事ドラマ、アクションドラマ等、家族と観た思い出がある中で、物語の深い部分は読み解けないものの正義と悪の構図は良くわかった気分であった。

■アクションドラマ『キイハンター』(東映)

 ❑東映公式動画第1話❑


dvd発売の購入者特典として、『Gメン75』オリジナルロゴ入りジャンパーを発売。

多くのファンのメッセージを頂いた。


■学園ドラマにも興味を持った。

■大きなブームになった『ザ・ベストテン』

それまでのスポンサー絡みの楽曲をランキング形式で紹介。
久米さんの「追いかけますお出かけならばどこまでも。」今も忘れられない言葉。
❏他局もTBSに対抗して、歌番組をスタートするものの、追い付かなかったテンポの良い番組だった。
■写真は、西城秀樹さん、番組の第1回目から出演。「ブーツを脱いで朝食を」。

以降、数多くのヒット曲を連発して登場する。

「ヤングマン」のスーパーヒットの思い出も、私と仕事でお会いした時に語って頂いた事も懐かしく思う。

■他に、郷ひろみさんの出演も初期は多くみられる。


新御三家の野口五郎さんとは西城秀樹さんも家族ぐるみの付き合いもあったと言う。

❏当時テレビは『魔法の箱』と呼ばれ、現在とは異なる存在だったような気分だった。



お茶の間にテレビと言う言葉がどんどん出て来るそんな昭和の時代。

■トムとジェリーは全話再放送で鑑賞した。

 ❑天国と地獄❑


■テレビ時代劇『銭形平次』(東映)を家族と観ながら、主演の大川橋蔵さんが二枚目で格好良い事を良く覚えている。


新聞のテレビ欄の枠に、銭形平次の大川橋蔵さん出演を見つけて、その番組を観た事を良く覚えている。

■大川橋蔵さん主演『銭形平次』(フジテレビ/東映)

恐らく、土曜日の午前中、フジテレビ系の情報番組の中で、司会の人と着物の男性が出て話ながら、いつ銭形平次が出るのか?


観ながら待ち続け、番組の終盤、クレジットが流れ、何だ出ないと思った瞬間。

■ご本人には大変失礼だが、銭形平次?と理解出来ない子供時代であった(笑)


真ん中の男性が、顔の雰囲気が、見た事のある感じと思い、家族に聴いた所、銭形平次よ…と返されたのだ。


つまり、番組に銭形平次が扮装して出ると信じていた事と、テレビの男性が銭形平次で無い驚きを何故か今も覚えているのだ。

■今と違うブラウン管のテレビ。

きっと、その頃の私は、銭形平次は実在していて、テレビの中で生きていて、大人が観ていると信じていたのだと思う。


❏余談だが、後に坂口さんにその話をした時、大笑いされたのを覚えている。


こんな感じの大笑いだった。

■坂口さん主演の赤影も繰り返し放送を観た事を覚えている。

何故なら、坂口さんはその頃、すでに東映(ニューフェイス8期生出身)の俳優で、大川橋蔵さんは大先輩。



上記映画にも私が生まれた頃、出演。
大川橋蔵さんと共演している。

特に『銭形平次』は888回の長寿番組として放送、坂口さん自身、ゲストとして数多く出演してたと言う。




ゲスト出演の坂口祐三郎。
この撮影後、赤影に挑む事になる。

またゲスト出演回にも数多く出る事になる。






■東映の新人俳優の頃の坂口さんが活躍した時点では、トップスターとして映画界を沸かしていた頃の大川橋蔵さん。


これからも私目線の色々なエピソードを語っていこうと思う。






❏魔法の箱テレビの物語である。


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