女の子の幸せと健やかな成長を願うお雛様ですが、アメリカではそう簡単には手に入りません。
両親が亜美(娘)のお雛様を買うと言ってくれたので、
1992年2月、お雛様を買いに一時帰国をしました。
何故なら、お人形大好きの私は、どうしても自分でお雛様を選びたかったからです。
姉に車を出して貰って、浅草橋の問屋街に行きました。
なんと言っても、アメリカに持って帰るお雛様ですからね、
両親は私が『親王飾り』を買ってくるものだと思い込んでいた様で、
『7段飾りのフルセット』を買って帰って来た時はびっくりしてました。
生後9ヶ月の亜美を連れて、このお雛様を私一人でアメリカに持って帰るのは、
至難の業でした
でも、亜美の荷物を日本から初めて持ち帰ったと言う事で、課税もされず、
その後、8年間、当時経営していた和食レストランの畳のお部屋の一つを潰して、
お雛様を飾り、お客さまも一緒に喜んでいただきました。
何だか、福助みたいですね〜。
2年目からは亜美のお雛様だけでは無く、
姉が作ってくれた掛け軸のお雛様、
私の木目込み人形お雛様と叔母から受け継いだ大正時代のお雛様、
父が亜美のために作った折り紙のお雛様も飾る様になりました。
「雛人形をしまい忘れると婚期が遅れる」というジンクスが有りますが、
2月下旬から3月中旬はお店に飾り。
それから、4月3日までは家に持って帰って飾り直していました。
因みに母の実家では、4月の3日にお雛様のお祝いをしていましたし、
可愛い亜美が早くに嫁になど行かなくても良いと思っていたのです。
オレゴンに移って来てからは、お雛様を出さない年も何回かありました。
だって、我が家はいつも貧乏暇無し、
特にこの時期は亜美のバスケットやクラブのバレーボールがあり、
大掃除をして家具を動かしてお雛様を飾るなんて、無理、無理
そこで出て来た名案が、、、
『お掃除の行き届いたお友達の家にお雛様を飾る』です。
お友達のお孫さん達を呼んで、『お雛祭り』をして、一石二鳥でした〜。
亜美が居なくても、お友達の家でお雛祭りをしましたよ。
コロナの最中は流石にお友達の家と言う訳にもいかず、
親王飾りだけ出して、む〜ちゃんに着物を着せてお祝いもしました。
そして、去年から一年中飾る選択をしました。
お家の守り神(?)と言うか、インテリアとして雛人形を飾っています。
チョット窮屈ですけれど、折角の美しいお人形を数年に一度づつしか出さないなんて、
とても残念な気がするからです。
亜美が子供の頃は、オットと二人で
『急いでお嫁になんか行かなくて良いよ〜』と思っていたのですけれど、、、
『男性は世話が焼けるから面倒』なんて言っている亜美を見ると、
やっぱり、一度は結婚してみるのも良いのでは無いかと、心配になります。
それを言うと『お雛様の祟りだ〜』って、亜美に言われちゃいます。
でもね、何で婚期が遅れるなんて言うのかなあと思って検索したら、
『片付けを後まわしにするような女の子は、素敵な大人の女性になれませんよ!という教育的な意味が込められている』って言うんですけどね、メッチャ不納得です。
だって、亜美が手伝った事は何度もありますけれど
お雛様の出し入れは本人では無く、母親の私ですもの。
皆さんのお宅ではご本人が出し入れするのですか???