一人暮らしの父はもうじき92歳になる


要支援も介護も何もついてなく

毎日1時間近く自力歩行で散歩をする

耳がかなり遠いけど、補聴器はみっともないといい使わない


最初の妻(私の母)を胃癌で早くに亡くし

その後に再婚した女性(私の継母)は若年性アルツハイマーとなり、通院後グループホームを転々とし特養で15年前に遂に亡くなった


葬儀後、やっと1人になれた‥‥と呟く顔が忘れられない





娘は大学の4年間、父の家に住まわせてもらい1年間は往復4時間かけて通い2年から卒業までは往復2時間の通学時間の生活をしてもらった


70才の父をアッシーに随分使ってた爆笑


娘を同居させた頃には継母はとっくに施設にいたから、何かにつけて私自身も実家に泊まり、私自身のリフレッシュの場としても好都合だった


娘が就職してからも、週1で父のとこに泊まり

食事をしながら思い出話や世間話をするのが日課で


父は‥今が一番幸せだと言っていた


そう‥


仙骨嚢腫を発症するまでは‥‥



痛みと思うように動けない悔しさと悲しさで毎晩泣いて


父ちゃんごめんね

行けなくてごめんね


そう電話をすると


わしのことは心配せんでもええ‥

お前は頑張り過ぎたんじゃ、しっかり安まんにゃのお


いつもこうやって励まされ



手術後し退院後に旦那に連れてってもらった時に


お前、痩せたのぉ

ちゃんと食べんといけんど


父さんこそ、ちゃんとした物食べてるの?

そう言いたかったけど何にもしてあげられない自分が余計情けなくなり言えなかった




一昨年の夏にやっと運転が可能になり身軽に1人で移動できるように回復して


やっと、父のとこにも通えるようになった


玄関には私のスリッパが並べておいてある

お風呂の用意は父の仕事で

私が入る時間に合わせて脱衣場の温風ヒーターのスイッチを入れてくれる



娘のとこに行き、父のとこに帰るのが19時近くなるのだが

少し遅くなると電話がかかってくる


事故でもしとるんじゃないかとおもーたいや‥と



居間に入ると

お酒を呑み、真っ赤な顔をして

持ってったおかずのタッパーを並べて嬉しそうに微笑んでいる



父さん

あとどの位、こうやって同じ時間が過ごせるかな



時々、行くのが億劫になったり

おかず作るのが面倒だと思ったりするが



今、私に出来ること

後悔のないように全力でやらなきゃね


フェントステープやめて、痛いところが明確になった

でも、トアラセット飲めば大丈夫動ける


1錠が2.3錠に増えても

やりたいことが出来るという幸運に感謝ですドキドキ