経済学者、そして普通の人もバブルのことをしばしば話題にする。しかし、正確にいってバブルとは何なのだろうか。はじける前にバブルを見つける方法はあるのだろうか。
石鹸の泡は魅力的で美しいものだが一瞬の間に消えて無くなることがある。私たちは簡単に手を差し出し、それをつかむことが出来そうなのだが、それでいてほんの少し触れただけで、それを壊すのに十分なのである。経済のバブルはこれと同じくらい壊れやすいもので、目を覚ました時に消える夢のようなものなのだ。近代で最初の、そして最も有名なバブルの一つは約400年前のオランダで起きた。
チューリップは1559年ヨーロッパに持ち込まれ、大成功を収めた。チューリップの色には、その当時のヨーロッパで目新しかった激しさと力強さがあったのだ。ヨーロッパ人は東洋から来たこの美しく新しい花を好きになったのだ。
チューリップは新しく異国風だっただけでなく、珍しかったのである。チューリップを種から育てるのに7年かかるのだ。そして1個の球根は毎年2~3個の新しい球根を生むが、元の球根は、わずか数年後に死んでしまうのだ。高い需要と低い供給が合わさってチューリップをぜいたく品、つまり富の象徴であるステータスシンボルにしたのである。
おそらくその当時最も豊かなヨーロッパの国で資本主義経済を導入した最初の国はオランダだ。オランダはスペインの支配からの独立を求めて戦っていた。そして1630年までに戦争に勝利したのだ。新たに独立し平和だったので東インドへの航海が得た巨万の富がオランダに蓄積したのだ。アムステルダムはヨーロッパ全体の商業と取引の最大の都市になった。成功を収めた商人は大きな花壇のある壮大な屋敷を建てたのだ。このような人たちは最も珍しく美しい種類のチューリップのために多額のお金を支払う準備があったのである。
例えば永遠に祝福されたものという意味のセンペル・アウグストゥスというチューリップでは濃紺の花びらを持ち純白の輪によっててっぺんを覆われ、真っ赤な膨らみによって際立たせているのだ。1625年頃その当時手に入る全ての球根ちょうど12個を所有していたアムステルダムの男は、わずか1個の球根のために3000ギルダーの申し出を受けたのである。3000ギルダーが現代のお金でどれくらいになるのかは正確にはいえない。しかしそれは高額でおそらく約20万ドルくらいになるだろう。有名な画家レンブラントが夜警を描いた時、およそその半分の金額が支払われたのだ。1個のチューリップの球根が夜景2枚の価値があったのだろうか。球根の所有者はもっと価値があると思ったのである。彼は売るのを拒んだ。
そしておそらく彼は正しいことをしたのである。なぜなら1630年代を通してチューリップの価格は上がっていったからだ。1633年、1軒の農家と3個の珍しい球根が交換された。そしてさらに価格は上がった。あるアムステルダムの人で500ギルダーというかなりの年収の人が球根を買って値段が上がった時に再び売って4ヶ月で6万ギルダーを稼いだのである。おそらく彼は自分が売った球根の大半を決して見たことさえもなかっただろう。
センペルアウグストゥスの球根1個の値段は1625年の3000ギルダーから1633年の5000ギルダー、そして1636年には10000ギルダーまで上がったのである。その当時10000ギルダーあれば、アムステルダムの運河の近くに豪邸を買えるほどだったのだ。
1636年から37年の初頭、70個の上等なチューリップの競売が行われた。これらはある父親が7人の子供たちに残した全財産だったのである。2つに分かれようとしている1個の珍しい球根は5200ギルダーで売れた。全部のチューリップでは7人の幸運な子供たちに約52000ギルダーをもたらした。
しかしこの直後、バブルがはじけた。ハールレムで行われた小さなオークションで、求められた金額を進んで払おうとする人が誰もいないという事態が突然起きてしまい、パニックの波が国中に広まった。チューリップの販売業者はチューリップが相変わらず人気があるふりをしようとしたが、数週間以内に価格は以前の1%まで落ちてしまった。1000ギルダーで買われていた花は突然10ギルダーの価値しかなくなったのである。多くの普通の家庭の者たちは急激に上がる価格に興奮して、チューリップを売買するお金を手に入れるために家を抵当に入れた。数日間のうちに彼らは全てを失った。
もちろん値段はつねに変化しているというのは事実である。石油や土地、金の値段はつねに変わるのだ。物の値段が下がる時はいつでも、それを持っている人はお金を失うのだ。したがってバブルと、こういった価格の下落のどこが違うのだろうか。
バブルに関する重要な要素の一つは、急激な値段の下落である。もし価格の下落が緩やかならば、例えば金の価格が半年の間に50%下がるなら、これは深刻な価格崩壊といってもいいのだ。しかし、それをバブルの崩壊と呼ぶのは変なのである。したがって急激な下落は重要だが、それだけではバブルがはじけたことを保障するには不十分なのである。もし以前にまれであった物が突然増えるならば、その値段は急激に下がるのだ。しかし、もしダイヤが突然現在の価格の100分の1に下がることがあっても、例えばダイヤを人工的につくる新しい過程が誕生したため、わたしたちはおそらくそれをダイヤモンドバブルとは呼ばないだろう。
したがっておそらくバブルに関するもう一つの重要な要素は不合理性なのである。バブルがはじける前ですら、バブルに投資するのは不合理なのだ。
賭けが合理的であるかどうかを決定する単純な方法は、長期的な流れを見ることなのだ。仮に、あるインターネット会社に投資する機会があなたに与えられたとする。あなたがその会社について出来るだけ多くのことをつきとめ、その会社があなたの投資したお金を2倍にしてくれる可能性が50%、投資したお金を1.5倍にして返してくれる可能性が25%、投資したお金を失う可能性が25%あると信じるようになったとしてみよう。あなたは投資すべきなのだろうか。この会社に賭けるのは理にかなってるのだろうか。読み進めるまでに決めてみなさい。
その会社に100円を100回投資するとして、50回は100円をもうけ(合計5000円)、25回は50円をもうけ(合計1250円)、そして25回は元金の100円(合計2500円)を失うだろう。全体として見ると、あなたは3750円すなわち毎回100円の投資に対し、37.5円儲けることになるのである。したがって、別の会社でもっとよい投資がなければ、あるいは銀行の利率が実際それほど高くなければ、投資するほうがいいのです。
しかし100回に1回は投資した100円だけでなく持っている全てのお金も、例えば5000円を失う場合があると仮定してみよう。今や、その会社に投資するのは不合理なことになるのだ。残念なことに人々が次のように教えるのは極めて自然なことである。「破局になる可能性は100分の1だ。わたしは大丈夫だ。」
バブルの場合、破局があることを人々は知っているが、人々は理に逆らって次のように自分に言い聞かせる、「大丈夫、私は運がいいから」と。金利がとても低いので、おそらく人々はやむを得ず投資を行うのだろう。おそらく人々は過去に投資して成功した人々の富をうらやんでいるのだろう。理由が何であれ、沢山の人が理に逆らって投資を行い、破局がやってくる。それがバブルなのだ。
バブルで全てのお金を失うのを避ける簡単な方法はあるのだろうか。はい、あるのだ。ただ、理にかなった投資をすればいいのだ。それでもあなたは全てを失うかもしれない―しかしそれは深刻な価格崩壊であって、バブルではないのである。


この手紙はインドの政治家ジャワーハルラル・ネルーによって刑務所で書かれた一連の手紙の一つです。イギリスの支配から独立を求めてインドが闘ってる間、ネルーはしばしば逮捕された。彼は娘を励ますために、そして行動の背後にある考えを説明するために十代の娘インディラに手紙を書いたのだ。
*  *  *
1931年1月5日
愛するお前に何を書こうか。どこから始めようか。
過去について考えると非常に多くの情景が私の心をよぎるのだ。それらの中には他のものよりも長く心にとどまるものもある。それらは私の気に入ったものだ。そして私は注意深くそれらは検討しはじめ、そして私は過去の出来事と現在の出来事を比較し、それらの中にある私を助けてくれる教訓を見つけようとしている自分に気づくのだ。
しかし人間の心はなんと不思議なごちゃまぜになっているのだろうか。心はあらゆるものが混じりあった博物館のように様々な考えやイメージであふれているのです。それでもおそらく私たちがいつも悪いというわけだはないのだ。私たちの大半が進んで様々な出来事をきちんと心の中で整理しようとするのは間違いないのだ。しかし時には出来事そのものが奇妙でいかなる秩序にもおさまろうとしない場合があるのだ。
かつて私がお前に書いたように、いかにして世界がゆっくりだが確実に進歩したのか、いかにして最初の単純な動物がより複雑で進化した動物に取って代わられたのか。いかにして最後に賢い動物、つまり人間が登場したのか。その人間が従わなければならないのかを私たちに教えてくれるはずだ。どのようにして人間は文明化したのだろうか。これは歴史のテーマであるべきなのだ。
いくつかの私の手紙の中で協力あるいは共に働くという観念が、いかに成長したか、いかに我々の理想が公益のために力を合わせるべきであるかということを私はお前に教えようとしてきた。しかし人間の長い道のりを見ると、この理想が大いに進歩したとか、あるいは我々が本当に非常に文明化したとか向上したと信じるこが時々難しいことがあるのだ。というのは今日でさえ我々はいたる所で協力の欠如を目にしていないだろうか。ある国や民族が他者を自分本意に攻撃するのを私たちは見ていないだろうか。あるいはある人が別の人を最も恥ずべき方法で扱うのを見ていないだろうか。
何百万年もの進歩の後もし我々が依然として自分本意なら私たちが本当に進歩し文明人になるのにどのくらい時間がかかるのだろうか。私たちは他の時代の歴史に関する本を読む、それらの時代が我々の時代よりもすぐれていて、その時代の文化や文明が我々のものよりもはるかに進歩していたと考えることがあるのだ。そのような時には我々の世界が前進していることを私たちは疑うかもしれない。
かつてインドやエジプト、中国、ギリシャのような多くの国々ですばらしい時代があり、しかもそれらの国は再び後退してしまったのは本当だ。だがこんなことがあっても私たちはがっかりしてはいけないのだ。世界は大きな場所であり、ある国がしばらくの間栄えたり衰退することは世界全体にとってみると大して重要ではないのだ。
近頃多くの人々が我々の偉大な文明や科学の驚異について自慢しています。実際に科学は驚くべき成果をおさめ、偉大な科学者はあらゆる尊敬に値するのです。しかし高慢に見える人々が偉大な人であるのはめったにないのだ。そして多くの点で人間は他の動物よりもそれほど進化していないということを覚えておくのはよいことだ。



おそらくいくつかの点で動物の中には未だに人間よりも優れているものもいるのだ。そんなことを言うと馬鹿げているように思えるかもしれない。そして分別のない人は笑うかもしれない。しかしお前はメーテルリンクの「蜂の生活や白蟻の生活、蟻の生活」について読んだばかりで、お前はこれらの虫が自ら組織した高度な社会生活を営む方法に驚くに違いない。私たちは彼らを最下等の生き物として見下している。しかし彼らは小さいけれども、人間よりもはるかに協力する技術を習得しているのだ。仲間のために自分を犠牲にするシロアリについて読んで以来、私は小さなこの虫に対し、いつも親近感を抱いてきた。もし公益のために協力したり、犠牲を払うことが文明の基準ならば、シロアリや蟻のほうがこの点で人間よりも勝っていると言えるのだ。
我々の古いサンスクリット語の本の一つに次のことが書かれてる。家族のために個人を犠牲に、集団のために家族を、国のために集団を、そして神のために全世界を犠牲にしなさい。神が何であるか正確には誰も知らないのだ。そして私たちはそれぞれ自分なりに解釈すればよいのだ。しかしこの一説が私たちに教えてくれる教訓は、より大きな善なるもののために協力し、犠牲を払うのと同じものなのです。インドにおいて我々は真の偉大さに至るこの道のりを長い間忘れてしまった。そして私たちは堕落してしまったのだ。しかし私たちは今や再びそのことを理解し始め、国全体が目覚めつつあるのだ。
なんと素晴らしいことだろう。男も女も少年も少女も顔に微笑みを浮かべて、インドの大義のために前進しているのだ。彼らは自分自身が受けるいかなる痛みや苦しみを少しも気にしないのだ。彼らが微笑み喜ぶのは当然だ。というのは、偉大な目標のために奉仕するという喜びが彼らのものであるからだ。現在我々はインドを解放しようとしている。それは偉大なことだ。しかしさらに偉大なことは人間らしい生活自体を実現するという目標なのだ。我々の闘争は苦しみや不幸を終わらせる偉大な部分なのだ。したがって我々は世界の進歩を手伝いするために微力を尽くしていると感じているので嬉しいのだ。
今お前は幸福の家にいて、お前の母はマラッカ刑務所、そして私はここナイニ刑務所にいる。そして私たちは時には非常にさびしい思いをしている。そうじゃないかい?しかし私たち3人が再び会える日のことを考えよう。私はそれを楽しみにしている。そして、それを考えると励まされるのだ。

動物達は情報を送り、また受け取る必要がある。特に重要な4つの情報がある。
1.どうすると、つがいとなる相手が見つけられるか。(種の生存を確保するため)
2.どこで食べ物や水が見つけられるか
3.周り危険か
4.どうすれば縄張りに、その正当な所有権が他人に知られることができるように印がつけられるか

いくらかの動物は自分達でその情報を見つけるが、しかし、お互い助け合う協力の例がいくつもある。
たいてい、手助けは同種類の動物から来るが、違い種類のものから来ることも可能である。

“つがいとなる相手を見つける”

動物達にとって、視覚的情報はつがいとなる相手を見つける過程で、とても重要な役割を
果たすことができる。しばしば、オスがメスよりも色鮮やかで、メスに自分が彼女にふさわしいの
だと納得させるために、彼の印象的な外見を利用する。しかし、特に鳥や魚では、
その外見が複雑な踊りのような手の込んだ儀式によって補強されている。例えば、
カンムリカイツブリのつがいはお互い水上で顔を合わせると、トサカを持ち上げ、
上下左右に頭を動かす。
この種の行動は、一度つがいになる相手が突き止められてしまえば、完成する。
しかし、出会いが起こりうる前、パートナーは、あるいは鬱葱としたジャングルで、
あるいは熱帯雨林の天蓋のなかで、まず初めにお互いを見つけなくてはならない。
多くの生物にとって音は大きな役割を果たす。カエルや鳥は遠くまで届くとても大きな音を
出すことができる。多くの哺乳類は自らの存在を知らせる特別な鳴き声を持っている。
ふさわしい相手を見つけるためにオスは積極的にメスを探すが、メスはつがいになる準備が
できた時には、特別なにおいを放つことでオスが捜すのに協力するだろう。
そのにおいにはフェロモンと呼ばれる、相当の距離を越えてオスに見つけられることのできる
物質を含んでいる。この過程はガやアリのような虫を含め、多くの動物によって使われている。
これは、種の生存を確実にするために使われている、最も強力な技術である。
動物がつがいになって子孫を産む時、彼らは遺伝子情報を受け渡す。遺伝子は完全な生き物を
形作るための指令を伝達する、長い化学的な暗号の連なりである。生まれた子供は、
半分母親の、そして、半分父親の遺伝子を受け取る。動物がつがいになる時、最も生存率の高い
子孫を残せそうな特徴を持ったパートナーを持つことは、好都合なのである。

“植物が相手を求める”

植物は自らの種の存続を確かのものにするために繁殖しなくてはならないが、動物達と違い、
彼らは相手を見つけるために動くことはできない。この問題を解決するために、植物は、
オスの性細胞を含む花粉を、同種の他の植物に運ばせる、多くの巧妙な手段を発展させてきた。
そうして、メスの性細胞が受粉できるのだ。植物は自らの花粉を得る多くの手段を発展させてきた。
花粉はオスの性細胞に入っていて、同種の他の植物に運ばれると、メスの性細胞が受精させることが
できる。
いくらかの植物は、ある花のオスの個体から、別のメスの個体へ花粉を運ぶのに風を頼っている。
この仕事を虫たちが行うのを確実にするため、植物はいくつかの手段で自らの存在を知らしめ、
ある種の報酬を与えなくてはならない。
色彩は虫にとって、花の内側から採集するのに、甘くて美味しい飲み物が(外見上、無料に見え)
手に入る、という事実を宣伝するのによく使われる仕掛けのひとつである。
一度虫は花に降り立つと、自らの体へ花粉を拾い上げ、それを次に訪れた花へ渡す。
いくつかの花は紫外線に反射し、これはある種類のガにとって魅力的である。
においはもう一つの魅力を虫達に与えている。そのため、いくつかの花はとてもいいにおいがする。
花のにおいは人間に喜びを与えるよりも、虫を引きつけるように発達した可能性がはるかに高い。
もちろん、それは私達が享受するおこぼれでもあるのだが。

“食べ物を見つける”

ほとんどの動物は生き残るために食べ物を見つけなくてはならない。時には、彼らはそれを他者と
分けるのに避けるため、どんな努力も惜しまないだろう。しかし、動物の中には彼らが食べ物を
探す中で、協力して、情報を伝えようとするものもいる。
ハチ達は食べ物のある場所についての情報を伝達するとても精密な仕組みを発達させてきた。
群れの中で特定の方角で動いている間中、入念に指示された、自らの体をくねらせる踊りを彼らは見せる。
この踊りを使い、彼らは他のハチに対しえ太陽を基準として一定の方角の
ところに美味しい飲み物の豊富に供給される花があることを伝えられる。彼らの動きはまた、
どれだけ遠くに供給源があるのかという事も指示する。

“危険な周辺”

多くの動物は危険が訪れたとき、群れの他のメンバーに警告する特別な鳴き声を持っている。
これは特に鳥にあてはまり、彼らはとても大きな警戒音の声を発することが出来る。
飛行場の近くでは、録音した鳥の警戒音の声が、飛行機を邪魔する恐れのある鳥の群れを
追い払うために、よく再生されている。飛行場では、人は鳥を危険とみなす。しかし、
鳥にとって飛行機は脅威なのだ。
警告を与えるために、他の動物の警戒音に耳を澄ます動物もいれば、番人が危険を探して、
その群れの残りのメンバーに危険を知らせるものもいる。そんな風にして、他のメンバーは
安全に食べたり飲んだりすることが出来る。ミーアキャットはこんな感じだ。危険が近づくのを
発見するために、彼らはほぼ垂直に立ち上がって、幅広い視野で頭を回転させることが出来るのだ。

“印を残す”

動物は色や動きや音を駆使し、コミュニケーションしようとするかもしれないが、しかし、
彼らは時に、もう少し長く残る伝言を残す必要がある。
多くの生物は獰猛に縄張りを守ろうとし、そして、侵入者から自分の区域を守るためにどのような
ことでもしようとする。しかし、縄張りを示すために、彼らは何らかの手段でマーキングを
しなくてはならない。人はフェンスを設置し、看板をたてる。もちろん、他の動物は縄張りに
マーキングする違った方法を必要とする。群を抜いて最も共通しているのは、においによる
マーキングである。
人はキレイでいい匂いがするのを好む。それで、なぜそんなに多くの動物が最もにおいのするものを
見つけてごろごろ転がることを楽しんでいるように見えるのか、理解するのは難しい、
と彼らはしばしば気が付く。しかし、動物にとってにおいは、情報を運ぶ名刺の
ようなものなのである。
多くの動物は、においの印をつけるために、自分の尿か糞を使う。他のものは特別な腺を体の
様々な部分に持っている。鹿の中にはこれらの腺を目の近くに持っているものもいる。
彼らは自分の腺を小枝にこすりつけ、他の鹿にとらえられることの可能なにおいの印を残すことが
出来るのだ。トラやチーターのような大型のネコ科の動物は、木の幹に自分の尿を吹き付ける。
犬や同属の動物は、においを残す肛門腺を持っている。
ガスクロマトグラフィーという技術を使い、科学者は動物のにおいの原因になる化学物質を
分析してきた。12種類のそれらの化学物質があり、多岐に渡る情報を全て伝達することができる。
それら(の化学物質)は、他の動物に、仲間によって付けけられた印か、それとも、
適によるものなのかどうかという事、動物の性別、つがいになる準備ができているかという事、
群れの中での“ペッキングオーダー”での順位、そして、その縄張りの主なのか、または、
ただ訪れただけなのかという事を伝えることが出来る。