乳がん10年生。 -2ページ目

乳がん10年生。

乳がんを発症して10年。
今できることってなんだろうと考えたときに、みんなにこの情報を発信しなきゃと思い立った私。
自分の覚書でもあるので適度にお付き合いください!

 

2019年10月

入院した時のお話です。

 

 

10月4日

 

10月1日に死ぬ予定だったのに

予定外に日にちが進んでしまい

パニック状態の私。

 

夢も現実も

分からなくなっています。

 

そして何度も繰り返し

同じような夢を見るようになります。

 

夢と現実が分からなくなっているので

ベッドの上でも動いていたそうで…

はたから見たらかなりヤバい人です…

自分では見ていないので

他人事のように思っていますが

 

いろんな夢を見ていても

ふと気づくと目覚めて

病室に戻ってしまいます。

 

起きちゃうから

いつまでたっても

死ねないんだおーっ!

 

という結論に勝手にたどり着き

起きるのをやめることに

しようと決めました。

 

名付けて

オバケ死んだフリ作戦オバケ

です(笑)

 

勘のいい方はすでに

お気づきかもしれませんが

積極的に死んだフリを

している人間が

本当に死ぬわけありません…

それなのに死にそうだった

超本人が一生懸命

死んだフリをしているのです。

今思うと笑うしかない

なんともバカげた状況です

でもこの時の私は

真剣でした。

 

夢から覚めそうになっても

絶対に目を開けてはいけないと

がんばっていました。

それなのに

体のどこかがかゆかったり…

汗をぬぐってしまったり…

咳をしてしまったり…

なんだかんだと体が動いてしまい

目を開けてしまうのです。

 

また、みんなの声も聞こえているので

無視しようとするのですが

つい反応してしまったり…

答えてしまったり…

 

また起きてしまったガーン

 

 

そして段々と気づく私…

私、とんでもない勘違いをしていた

かもしれない…

 

起きることが間違い!!

と、うっかり思い込んでいたけど…

 

もしかして…DASH!

 

 

 

 

もしかして…DASH!DASH!

 

 

 

 

 

もしかして…DASH!DASH!DASH!

 

 

 

 

 

 

死ぬことが

間違い??

 

 

笑い泣き 笑い泣き 笑い泣き

 

 

 

死んだフリをしようと

心に決めて約1日…

やっと気づきました。

 

 

私、まだ死なないな…

 

 

つづく

 

 

 

コスモス コスモス コスモス

結果的にこの時は

死なずに生き延びました…

でも不思議な夢のことなど

色々考えると

やはりこの前の

10月11・2・3日あたりで

死にかけていたのでは

ないかと思います。

 

それにしても

お騒がせ病人ですね…

 

みんなは死んだフリを

している私を見て

どう思っていたのでしょうか(笑)

 

 

 

今日も読んでいただき

ありがとうございます星

 

 

 

 

 

 

 

2019年10月

入院した時の話です。

この日も記憶がないことが多いため

後から聞いた話や何となくの記憶を

まとめています。

分かりにくいところがあると思いますが

ご了承ください。

 

 

10月3日

 

“せん妄”の状態で

自分でも現実と夢が

分からなくなり混乱している私。

 

私の中では

父に会うという心残りが

解消されたので

もう後は死ぬのみと思っていました。

 

やっとこれでゆっくりできる。

みんなともお別れだけど

会いたい人に会えてよかった。

先にあの世へ行くけど

見守ってるから安心してね。

ありがとう。

 

安らかな気持ちで旅立てると

思っていたのに…

なぜか、昨日と同じように

目覚めてしまします。

目覚めると両親がいたり

猫好きAさんがいたり

心配して来てくれた友人がいたり。

みんなに会えるのはうれしいのですが

父が来るまで待って、

父に会ったら

10月1日に死ぬことになっている

予定の私としては

何度も起きてしまうことが

腑に落ちません…。

起きるたびに

「今日は何日?」

「今は何時?」

などと日にちが気になって

仕方ありません…

 

おかしい、予定と違うびっくり

 

10月3日になってしまったけど

いいのだろうか?

夢の中で名札を落としてしまったせい?

このまま死ななかったらどうなってしまうの?

頭の中でいろいろな考えが

ぐるぐると回って来ます。

そして朦朧として

また夢の世界へ戻っていくのです。

 

ぐぅぐぅ  ぐぅぐぅ  ぐぅぐぅ

あの世への入り口で渡すように

言われていた名札を

落としてしまった私。

あの札がないから死ねないのだと

思い、必死に探しに行きました。

真っ暗闇(宇宙?)を

泳ぐように進んでいくと

いくつかの星が見えます。

ひとまず一つの星に降り立ちます。

 

そこには知っている人や景色が

あるのですが、何か違和感があります。

 

表現がしにくいのですが、

自分の家なんだけど

家具が微妙に違うとか、

友達の輪にいるんだけど

一人だけ違う人が紛れているとか…

間違い探しのような感じです。

違いに気づくと正しい星を求めて

また宇宙に飛び立って

次の星へ行くというようなことを

繰り返していました。

パラレルワールド??

に迷い込んだともいうのでしょうか…

なんとも不思議な世界でした。

 

とにかくいろいろな星へ

行くのですが名札は見つからず…。

 

疲れるとふと病室のベッドが見え

フワフワと体がベッドへ戻っていきます。

そして目を開けると…

ぐぅぐぅ  ぐぅぐぅ  ぐぅぐぅ

 

現実の世界へ。

近くにいる人に尋ねます。

ぼけー「今何日?何時?」

かに座「10月3日」

ショック「おかしい、3日になったらダメだ」

かに座「??」

おーっ!「10月1日より進んだらおかしなことになる」

かに座「???」

zzz「もう一回行ってくる。ぐぅぐぅ  ぐぅぐぅ

の繰り返しだったような気がします。

 

死を覚悟しているのに

その時が訪れない…

 

日にちが予定と違って

どんどん過ぎていく…

 

今ここにいる世界が

現実なのかも分からない…

 

予定外のことが起こり

私はかなり焦っていました。

 

とにかく予定通りに

進むよう何とかしなければ…

このままではいけない!!

 

と強く思っていました。

 

 

 

つづく

 

 

 

今日も読んでいただき

ありがとうございました!

 

 

 

 

2019年10月

入院した時のお話です。

記憶がなかったり

途切れ途切れだったりするので

話の内容が分かりにくい

かもしれませんがあしからず…

 

10月2日 18時ころ

 

父が病室に到着し、

無事に会うことができたようです。

*残念ながら私は全く記憶にありません

意識はもうろうとし、

痩せ細った足に頭はハゲ…。

まるで鶏ガラのようです…。

そんな娘の姿を見てしまった

父の衝撃は相当なものだった

ことでしょう…ガーン

 

父と感動の再会をし

別れを惜しんで

旅立っていく…

そんなシナリオを考えていた

私でなのすが

どうやらシナリオ通りに事は進まず…

なんせ記憶にないのだから

どうにもなりませんあせる

 

なんとなく父が来たことを

認識していて、

どのタイミングかは分かりませんが

重い目を開けて父の顔を見たような

記憶がうっすらとあります。

とても心配そうな顔に見えました。

泣きそうな顔をしているようにも見えました。

先立つ不孝をお許しください…

でも最後に会えて本当に良かった…

こんなことになってごめんね…

とまた夢の中へ。

 

ぐぅぐぅ  ぐぅぐぅ  ぐぅぐぅ

前日の夢では

10月1日に死ぬことは決まったものの

父が来るまでは猶予をもらえる

 入院しました⑭参照

この日の夢では

最期の迎え方の選択ができる

(1つだけまだ生きれるという選択肢がある)

 入院しました⑱参照

と話が少しややこしくなっています。

 

いろいろなことがありすぎて

よくわからなくなっている私。

父に会う目的も果たしたし

気持ちは「死」に向かって

進むのみ。

よくわからないけど

あの世へ行くためにと

前にもらった名札を持って

 入院しました⑪参照

もう一度あの世の入り口へと

向かいます。

 

そこで事件が起こるのです!

 

なんと私、その大事な名札を

落としてしまうのです!!

 

宇宙のような真っ暗な空間に

名札は落ちていきます。

それを追いかけるように

真っ暗な空間に落ちていく私。

何も見えない真っ暗闇で

もがいていた記憶があります。

ぐぅぐぅ  ぐぅぐぅ  ぐぅぐぅ

 

 

たまに苦しそうにしたり、

うなされたりしながら

病室に寝ている私。

それを見守ることしかできない両親。

 

両親は病院から

・会わせたい人がいたら呼んだ方がいい

・もしもの場合延命治療を希望するか

という話をされていたそうです。

 

この時の両親の気持ちを思うと

胸が苦しくなります…。

どんな思いで病室にいたのでしょう。

これまでもさんざん

心配をかけてきた娘ですが

今回は本当に辛い思いを

させてしまいました…。

そう思うと今のうちに

恩返しをしておかないといけませんね。

 

こうしてそれぞれの思いを抱え、

入院2日目の不安な夜は

過ぎていったのでした。

 

 

つづく

 

 

 

 

話がうまくまとめられず

すみません…。

思い出しながら書いていると

あれこれ浮かんできてしまって…ショック

 

今日もありがとうございました!

 

 

 

こんにちは!

 

昨日の流れで

これまでの主治医について

今日は紹介したいと思います。

 

 

話は2009年に遡ります。

右胸にしこりを見つけ

検査の結果、良性ではあるが

しこりが大きくなってきているため

手術をした方がいいかもしれないと

受診したクリニックの先生から言われました。

大きな病気やけがなどしたこともなく

病院とはあまり縁のない生活をしていた私は

よくわからず、クリニックの先生が

勧めてくれた2つの病院から選ぶことにしました。

1つ目は、日赤の大きな病院。

2つ目は、家の近くにあるK総合病院。

 

迷わず選んだのは、家の近くにある

K総合病院。

評判などは聞いたことなかったけれど、

自転車で10分、歩いても30分かからずに

通院することができます。

そもそも良性腫瘍なので

緊急性はあまりないことや

難しい手術ではないとのことだったので

深く考えずにあっさりと決めました。

その後K総合病院での検査で

がんであることが分かり

10年以上お世話になる病院だなんて

この時は1ミリも考えてもいませんでした。

結果的にK総合病院を

選んだことは正解でした!

Dr.や看護師さんにも恵まれ

家から近いのは

体調悪い時などにすぐに行けて

助かりました。

10月の救急車も同じ区内なので

すぐに搬送してもらえましたし。

 

 

そしてK病院で出会ったのが

私の最初の主治医となる

M先生セキセイインコ青です。

明るく気さくなおもしろい先生です。

(ちょっとしゃべり方がオネェっぽい)

丸顔、丸い目、ちょっと丸い体形と

丸で表現できる風貌です。

最初の手術から肺転移の手術、

ホルモン療法、

初めての抗がん剤治療など

7年お世話になりました。

手術も

セキセイインコ青「若いお嬢さんだからなるべく

傷跡残らないように…」

と気遣ってくれました。

術後の病室へも

セキセイインコ青「お嬢様、ご機嫌いかが??」

セキセイインコ青「ハーイ!マドモアゼル、

   痛みはないかしら??」

と様子を見に来てくれ

笑わせてくれました。

ホルモン療法で

ゾラデックスをお腹に注射するときも

 お腹への皮下注射で結構痛い…

毎回面白い話をして

気をそらせてくれました。

 

2017年に腫瘍マーカーが上昇し、

化学療法中心の治療となるため

同じ病院内の乳腺センターの

K先生オカメインコに主治医が変わることになりました。

余談ですが

このK病院、古い建物の一部を

改装してきれいな乳腺センターが

この少し前にできていたのです。

乳腺センターは、自動ドアで仕切られていて

待合室も明るくきれいで

雑誌などもたくさん置いてあります。

乳がんサロンなども開催していて

参加した時にきれいな待合室を

羨ましく思っていました!

M先生は乳腺も専門ではあるのですが

甲状腺の研究の方に力を入れられていて

外科の甲状腺として診察をされていたので

私はいつも病院入り口近くの混雑した

外科の待合で診察を待っていたので…

主治医が変わり、

晴れて乳腺センターの待合に

昇格です!!(笑)

そして肝心のK先生オカメインコですが、

グレイヘアで身体が大きく

絵本に出てくる森に住んでる

おじいさん(実際にはそんな歳ではない…)

ようなイメージを私は勝手に持っています。

穏やかで、低く響く声が素敵な先生です。

ケモ室の看護師さんとも

「K先生の声落ち着くよね」と

よく話していました。

なかなか下がらない

腫瘍マーカーの数値を見て

「うーん」と頭を抱えいろいろ調べてくれました。

また、なるべく仕事に支障が出ないように

治療をしたいという

私の思いを尊重してくれた

信頼できる先生です。

すごい数値まで上昇していた

腫瘍マーカーが急下降した

昨年6月に、あの素敵な声で

オカメインコ「数値が下がらなすぎて

 どうしようかと思っていたよ…

 ほんと、よかった~」

とポロっと本音を…。

それまで全然動じていない

素振りだったのにそんなことを

思っていたのかいと笑ってしまいました。

 

明るいM先生セキセイインコ青

ダンディーなK先生オカメインコ

対照的な2人の主治医ですが

この2人で本当に良かったと思っています。

 

患者も医者も人間同士だから

相性もあるとは思いますが、

患者にとっては命を預ける相手。

信頼できる人に出会いたいですよね。

深く考えず選んだ病院で

偶然出会えた主治医の先生。

運が良かったなと思っています。

 

 

最後に2人の主治医の

おもしろエピソードを紹介します。

それは

抗がん剤による脱毛のとらえ方

 

ダンディなグレイヘアでふさふさの

K先生オカメインコ

乳がんの抗がん剤はどうしても

脱毛の副作用があるからね…

でもやっぱり女性だから抵抗あるよね…

うん、脱毛の副作用が少ないものから

試してみよう!

髪の毛なくなるのは

やっぱり嫌だよね…

 

明るくおもしろく

あったまピカピカの

M先生セキセイインコ青

抗がん剤で髪が抜けるのは

一時的なことだから。

毛根が活動休止するから抜けるけれど

薬が終わればあなたの毛根は

また活動を始めて

伸びるから安心して!

僕はもう毛根が活動停止してるから

何をやっても伸びてこないけど

あなたは違うから!!

 

男性でも髪があるかないかで

やっぱり違うのか…。

なかなか奥が深い(笑)

 

ちなみに昨日のブログに書いた

現在の病院のH先生セキセイインコ黄

髪は上半分ピカッ、

下はきれいにカットされている

坊主頭です。

H先生セキセイインコ黄は抗がん剤の副作用の

脱毛についてどうお考えなのか

とても気になる…あせる(笑)

と、思っている私です。

 

 

今日も読んでいただき

ありがとうございました照れ

 

こんにちは!

いつもブログを見ていただき

ありがとうございます。

 

1月14日、病院へ行ってきました病院

 

年明けからお腹の調子が悪いのと、

背中が痛むことが

ちょこちょこあり

体調が万全ではない日が

続いていました。

 

正月疲れもあるかなと

思っていたのですが

スッキリしないので

今週金曜が病院予約でしたが

ちょっと早めて一昨日病院へ。

 

胸水がまた溜まっているのではないかと

予想していましたが

CT検査の結果、

肝臓が少し腫れているとのこと。

それが原因で背中やお腹の痛みに

なっているのではとの話でした。

心配していた胸水は溜まってはいますが

10月と量の変化はないとのこと。

お腹の不調も消化器系には

異常は見られないとのことでした。

便秘防止のため薬を飲んでいるので

量を調整して様子を見てみることに。

 

不調の原因がわかったことで

気持ち的にはだいぶスッキリしました。

 

一昨日の夕方から

昨日一日中ほぼ寝て過ごし

今日はかなり回復です照れ

 

 

 

 

話は少し変わって

他の方のブログにも

お邪魔させていただいていますが

Dr.との相性って難しいですね。

自分の命を預ける人だからこそ

信頼関係が大切なのに

なかなか難しいDr.が

けっこう多くいることを

知り驚きました。

これまで信頼できるDr.たちに

出逢えて、治療にあたってもらえている

私は運が良かったんだなと

感謝ですお願い

 

 

現在行っている病院は

実家から車で40分の

この地域ではかなり大きな

中核となる病院です。

11月に受診し、

まだ3回しかお会いしていない

乳腺外科のH先生セキセイインコ黄。(現主治医)

死にかけて実家に戻され

ひとまず経過観察で

抗がん剤をするなら

元の病院へ戻りたい、

つまりこの病院で積極的に

治療をする気はないという

わがままで失礼な患者(私)にも

嫌な顔せず真摯に対応して

くれるDr.です。

まだ数回しかお会いしていませんが

説明も丁寧で

ハッキリと言ってくれるので

分かりやすいです。

前の主治医は優しい感じで、

「肝臓と骨も転移、怪しいね。」

とハッキリと転移しているとは

言ってもらっていませんでした。

その言葉で転移していると

察してはいましたが…。

先月、現主治医H先生に

そのことを伝え、転移している

部位を改めて確認すると

「肺、肝臓、骨だね。」

と、CTの画像を見せて

この部分などと詳しく教えてくれました。

「今後命にかかわる可能性が

高いのが肝臓の進行で

黄疸などが出てくると良くない。」

ということも教えてくれました。

また一昨日もそうですが、

現状の説明をした後に

「様子を見るしか言えなくて

申し訳ないね。それでいいかな?」

などとこちらが納得するまで

きちんと話をしてくれます。

H先生セキセイインコ黄は、良いことも悪いことも

相手が納得するまで

きちんと向き合ってくれる

信頼できるDr.だなと思っています。

 

 

前の病院でお世話になっていた

Dr.についてもまた機会があれば

書きたいと思います!