なぜかぼくは先生からも目をつけられていて、
理不尽に怒られたりした。
昔なので殴られたりは当たり前、生活指導の先生には砂利の場所で一本背負いくらった事もあった(笑)
教頭に両親の前で、お前なんか我が校のゴミだー!と言われた事もあった。。
ゴミ=護美✨
おー、今思えば褒め言葉だった😂
中学三年では当然のように進路や受験があり、ぼくは担任にとある高校に運動部推薦してくれと頼んだら、
「お前なんか推薦できるか!!」
と言われめちゃめちゃムカついたぼくはそのクソ担任を見返す為に猛勉強して受かってやった。
今思えばぼくの奥底には反骨精神があったからこそ色々乗り越えれた氣がする🔥
そんなこんなで義務教育をなんとかやり過ごし、高校に入ったばかりの一年生の春に突然の原因不明の高熱が二週間程続き死線をさまよいました。
昔あった水銀の体温計を体に当てると一瞬にして42度を超え、あの赤いやつがボッコンボッコンと膨らみびっくりしたのを今でも覚えています。🌡️🌋
って、んな訳ない🤣笑
あ、熱はホント👆
そのまま入院し意識朦朧とした状態で横たわっている隣で医者と親が話している声がかすかに聞こえました。
「白血病の疑いがありましたがどうも違うようです。原因が全く分かりません…」
そんなやりとりをしているのをうっすらと覚えています。
入院生活の中では当然のように注射や投薬や点滴などの処置を受けてました。
そして意識がだいぶ戻ってきて身体を動かせるようになり、髪を櫛でとかすともの凄い抜け毛の量が…
ギョッとしたぼくはもう一度とかすとまたもや凄い抜け毛でとても怖くなりました。😱
日々抜けていく髪の毛と共に、これからの高校生活や将来に対して不安や恐怖がどんどん膨らんでいきました。
そしてその思春期真っ只中の若さでハゲだした事がぼくの心の闇に蓄積されていき鬱状態になっていきました。
鏡を見るたびに怖れやいら立ちが極まり全てをぶっ壊したくなりました…
退院し久しぶりに登校すると、ガリガリになった体とハゲて乏しくなった頭をバカにされたり、女子からも陰口を言われたりし、高校へも徐々に行きたくなくなりました。
登校する時は必死にハゲを隠した髪型を作って行っていました。
七三どころか九一にしていました。(笑)
今思えば後輩たちから怖がられていたのは、ただ氣味が悪かっただけかもしれません。😂
雨の日は毛量が50%OFFになるのでほぼ学校には行きませんでした。
よく自分で学校に電話をし、息子が熱で休みます、と言ってサボっていました。
ばれて親に怒られた事もしばしば。😅
母は主婦なので家にはいれないので、学校の近くにあったユニーというデパートでよく過ごしていました。
ユニーにある愛知県民のソウルフード「寿がきや」のラーメンが好きでした。
たしか当時260円くらいだったか、普通のラーメンを頼みカウンターに取りにいくと、頼んでもない肉入りラーメンが置いてあり
「トッピングしといたから食べな」
とおじさん。。
いつも真っ昼間から小さなフードコートの窓際に座り外を眺めていたぼくをチラチラ氣にしてくれていた寿がきやのおじさん。
そのおじさんの優しさがしみてしみて、、書いてる今も泣けてきた…😭
世界一美味しいラーメンだった💖🍜
ぼくは小さな頃から親戚の兄ちゃんや姉兄の影響で音楽が好きでした。
親戚の兄ちゃんはワルでロックが好きで、夜に駐車場でラジカセを流しツイストを踊っていた(笑)
昭和のいい風景だ😆
ぼくは子供ながらにかっこいいと思っていた。
その影響でぼくはロックンロールやロカビリーから音楽に入った。
音楽に興味がなければぼくの人生は全く違うものになっていたと思う。
死んでたかもしれない。
そしてそんな鬱になりかけのぼくでも高校で仲良くなった数少ない友達2人とバンドを組む事になった。
鬱状態と、それを発散したい思いとで葛藤しながらも音楽をやっていた。
ぼくはウッドベースでロカビリーバンドで文化祭でライブをやった時、何人かステージに上がって踊り出したらなんと盛り上がってきた演奏の途中で先生により幕を降ろされた。
生徒が氣持ちよく発表し表現している最中で強制終了された事に腹が立ったぼくは一人で幕から出てダカダカにウッドベース弾いたった♪
そしたら生徒中から拍手され、高校生活であった数少ない嬉しい事だった😆
高校生活では半分くらいしか登校してなかったので留年や卒業もレポートを何枚も出してギリギリでなんとか卒業できた。
卒業し自動販売機の会社に入社するがあまりの
過酷さで3ヶ月もたたないうちに辞めた。
その後はいわゆるカップルが入るホテルの清掃をやっていたが、そこではたくさんの霊現象を経験した。
やはり人の念が集まる場所は色々あるな〜と。
しかも自分が鬱状態だったので、よく悲しい霊と波長が合ってしまいよく見たりする事があった。
ぼくはどんな仕事も長くは続かなかった。
引き篭もり生活が長かった。
家では、"働かずもの食うべからず" という父親だったので、居心地が悪くてなるべく親と顔を合わせない生活だった。
なぜそんなに殻に閉じこもっているのか聞こうともせずに、ただ働け!とか、自衛隊はいれ!とか、精神病院入れ!とかしか言わない父親が大嫌いだった。
色々ありすぎて全ての事は書ききれませんが、それから31才までの人生は本当に苦しくて辛かった。
当然人それぞれに大変な事はたくさんあると思うけど、ぼくなりにネガティブ感情が極まった状態でした。
孤独 絶望 恐怖 怒り 嫉妬 妬み 恨み 自己憐憫 自責 自己不信 屈辱 恥 惨め 劣等感 虚無感 などなど。
自分の心の闇を誰にも言えずに長い事、孤独 絶望 自己嫌悪 自暴自棄など超ネガティブで生きていた折に、31才の頃に起きたとある事件がきっかけで、精神的に極まり、殺人し自殺しようとまで思い詰められました。
ですが死ぬ前に、なんでこんな人生なのか、自分の人生の意味を知りたくなり、地元にいた占い師に勇氣を出して電話をかけ、会いに行くことになりました。
つづく
