コジ記転生 ① | 源英の諸行無常ブログ

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心身魂を整え本質で生きるサポートをしております。

生きづらさを感じている方、ハッピーに生きたい方、難病奇病等原因不明の事でお困りの方はお氣軽にお問い合わせ下さいませ。

こんにちは👺


みなもとや奥之院児島源英です


本日は6月15日で新月ですね✨


いよいよ本氣で自分を生きる!


そんな本氣のはじまりの新月だと感じています😊


自分を生きるとはなんぞや??


ぼくの考えでは、この宇宙での数え切れない転生を繰り返し、魂を磨きあげきて得た自分の才能や得意分野を発揮して、この大変革の時代の地球に貢献する事


または、本当にやりたい事をやる事、それが周りに良い影響を及ぼす事


そんな感じかと😆


知らんけど(笑) あ、言っちゃった😂



そしてぼくの才能を発揮する為にも、まずは自分の事を知っていただく必要があると思い、本日新月から連載スタートしようと思います!👏👏👏


うわー…プレッシャー😂😂


ある意味初のチャレンジ!!


タイトル何にしようかな〜と瞑想すると🧘


ぼくは仲の良い友達や古い知り合いからはコジくん、コジさん、コジちゃん、と呼ばれているので、



        コジ記転生🤣



     と降りてきました(笑)


  


   良かったら読んでくださいませ🤗





あ、ジーニーさんは関係ないけどぼくはいつか全身藍染めと金縁にしたいのでこの姿を目指してます(笑)






        はじまり     



「何で自分ばかりがこんな目に合うのか…」

「自分なんて生きていてもしょうがない…」

「何のために産まれてきたんだろう…」

「自分の人生などどうでもいい…」


ぼくは長年こんな思いで自暴自棄と自己嫌悪と絶望で31歳までを死んだように生きてきました。
 
自分の心の闇を誰にも話せずに自分だけで抱えて生きてきました。

何で自分はこんな人生なのか全く分かりませんでした。

そして31歳の頃に起きたとある事件がきっかけで絶望のドン底まで落ち、殺人と自殺まで思い詰め、藁をもすがる思いで占い師の元へと行きました。

それがきっかけとなりぼくの人生が180°変わったのです。


人生本当にいつ何があるか分かりません。

いつどこで誰に会い人生が急激に変わるかもしれません。

そう言えるのも自分自身がすっかり真逆に変わってしまったので言える事なのです。


ではこれからぼくの人生に何が起きて、どのようにして意識がガラッと変わったのかを話していこうと思います。

そして自暴自棄と鬱状態だったぼくが鬱を克服し、今や人様の悩みを聞き有料でヒーリングセッションなどをやらせて頂き、16年以上の臨床経験と半世紀の人生経験から得た智慧などをご縁ある皆様にお伝えできたらと思います。

そして自分自身の経験から得られた智慧や術が、過去のぼくの様に目には見えない事が原因で苦しみもがいている方の一筋の希望の光となれたら嬉しい限りです。
   


【コジ記転生】 

  〜生い立ち〜
    

昭和五十年、愛知県豊川市にある豊川稲荷の近くで四人姉弟の末っ子として産まれました。

父方の祖父母の家で一年程過ごし、隣町の豊橋市に両親が家を建て豊橋で育ちました。

豊橋は山も海もあり新幹線も停まりチンチン電車も走り、自然も街も程よく融合したとても良い街だと思います。

母に聞いた話によると、ぼくは赤ちゃんの頃に2度ほど高熱を出して死にそうになったらしいです。

そういった事は全然覚えてませんが、怖かった事で今でもはっきり覚えているのが、赤ちゃんの頃実家の二階に一人で寝かされている時に、赤ちゃんなりのイメージですが、地底の暗黒の異空間に吸い込まれそうになり恐怖で必死に泣きわめいていました。

赤ちゃんの頃よく使っていたキリンの模様のタオルケットも、ただ事ではない泣き声を聞いて母が来てくれて安心したのもいまだに覚えています。

ですので、赤ちゃんが泣いている原因はおむつの不快や空腹という肉体的なものだけではなく、目には見えない異次元の物事もあるという事を赤ちゃんの頃に体験してました。

とある幼少期の頃に家族でお墓参りにお寺に行くと明らかに昔の時代の人がいたり、家でプロ野球中継を見ている時には、あ、エラーする!と思うとエラーしたり、あ、ホームラン打つ!と思うと本当にホームラン打ったりと、あまりに当たるので怖くなった覚えもあります。

そんなちょっとした予知能力があったり、念力で扉が動く事が楽しくて遊んでいた事も覚えています。

ぼくは小さい頃からなぜか殺される恐怖にかられていました。

知らない大人の男の人が異様に怖かったのを覚えています。

夏休みや冬休みになると神様に、どうかこの休みが終わるまでは生きていられますように…

と神様にお願いしていました。

そう思うとまだ生きている…

神様お守りくださりありがとうございます🙏

今となっては分かる事ですが、こういった訳の分からない感情や警戒心が湧いてくる事も前世の体験からきている事が多いのです。

ぼくは子供の頃から自分はいったい誰なのか?

自分とは何なのか?

周りから自分の姿形や声はどの様に視え聞こえているのか、不思議でしょうがありませんでした。

ですが誰にもそんな事は聞けませんでした。

夜になると父親が持っていた双眼鏡で月を眺めるのが大好きでよく屋根の上で眺めていました。

特に満月を双眼鏡でボーっと眺めている時間が好きでした。

落ち込んでいる時に、「月に帰りたい…」と思った事もありました🌝


小学一年生のある日、習い始めた書道に行くのが嫌で行ったと嘘をついてずる休みした事がばれて有無も言わさずに父親にボコボコにされたのをきっかけに、両親に対して心を塞ぎました。

なぜ嘘までついて習い事に行かなかったのか、何も理由も言わさずに殴る蹴るされ、ぼくは床に倒れ泣きじゃくりながら丸まり頭を守り続けました。

母というのは子供を守ってくれる存在かと当たり前に思い込んでいたぼくは、逆に母親の指示で父親にボコボコにされた事に対してとてもショックでした。

大人になってから聞いた話ですが、上の兄妹もみんな順番にやられてきたらしいです。

今でも強烈に覚えている小さな頃の記憶です。

楽しかった記憶より、辛かった記憶の方が鮮明に覚えているものかもしれません。

そして小学校の三年生頃からクラスで謎の嫌がらせが頻繁に始まりました。

登校すると上靴は水がひたひたに溜まっていて、教室へ入ると机は全面のりでベタベタだったり、油性のマジックでバカとか死ねとか書いてあったりと、今思えば立派ないじめですね(笑)  

ですが最初からそんなにショックを受ける事もなく、淡々とサッサとこなしていました

といえども学校に行くのが嫌で嫌でしかたがない日もありますが、我々の時代は学校に行かないと怒られるので渋々行ってました。

どうしても嫌な時に熱が出たと仮病を使ってズル休みしようと、昔の水銀の体温計をお湯につけたら熱湯すぎてポロっと先っぽの水銀がとれて怒られたり…

リベンジしようと次はお湯じゃなく、こすって体温計を上げたら高熱になりすぎて母がびっくりして病院に連れて行かれ、全く健康体なのに注射を打たれて散々な目にもあいました🤣

※当時近所にあった町医者の「下平医院」によく連れて行かれました(笑)

なにかあると、「しもだいらさんいくでー!」

と連れて行かれました…

おじいちゃん先生は注射の時めちゃめちゃ手が震えていて恐怖しかありませんでした😱

そんな行きたくもなかった学校でしたが、一年生の頃のボコボコ事件で心を塞いだせいか、先生にも親にもクラスメイトなど誰にも言わずに悶々とした学校生活を送っていました。

犯人は誰か分かりませんでしたが、同性からの嫉妬や妬みだという事はなんとなく分かっていました。

というのも自分で言うのも何ですが、なぜかぼくはモテてたのです。

て自分でゆう(笑)

家の中では心を塞いでいましたが、学校では内気なわりにぼそっと人を笑かしたりするのが好きでした。

学級委員とか立候補など絶対にしないのにクラスの長に推薦されたりし級長もやりました。

小学校までは一年生の時に恐怖を植え付けられた親に対して、心の内で思っている事はとても言えませんでしたが、中学に上がり自我が芽生えてきたぼくは、超がつくほど真面目で決めつけや押し付けが強くて子供を厳しく制限しコントロールしようとする両親、特に母とは全く氣が合わずによく反発していました。

先に言っておきますが、自分自身が親になった今となっては、あの時は母なりの愛情あってこその子育てをしてくれていたんだなぁと、改めて感謝しています。

母の事を少し話すと、母が小学校四年生の時には両親が共に亡くなっており、姉弟三人で助け合って苦労して生きてきた母親だからこそ、理想の家庭像があったのかもしれません。

中学では姉の影響でバスケ部に入ったものの、ほぼ苦行でした😂

暴力監督のもと真夏に体育館の窓を閉め切り練習していました。

アホですわ本当に…

同学年はミニバス上がりで、ぼくは中学デビューで、その差歴然‼️

だったので補欠の補欠でした😂

何度も辞めようと思いましたが、部活を辞めるなんていうとまた親に呼び出され正座させられ問い詰められるので、その方が嫌で部活は修行のようにこなしていました(笑)

そんな義務教育が終わり地元の高校に入学してすぐの事でした…


つづく