船頭さんの後悔日誌

船頭さんの後悔日誌

僕は、日々いろんなことを考へてゐます。その考へてゐる内容というのは、どちらかと言へば、世の中にとっておよそ役に立たぬものばかり。そんな日々の戯れを、パソコンの画面に向かひて、墨汁を含ませた筆で以て、大書してをります。

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レクサスという自動車がある。

拙僧は乗ったことがない。

今後、乗せてもらうことはあるかもしれぬが、

自分がそのオーナーになることは、

宝くじでも当たらぬ限り、あり得ない話である。

しかも拙僧は、宝くじは買わない主義である。

従って、その可能性は皆無と言ってよい。

 

理由は簡単である。

レクサスは高級車である。

高級車であるということは、拙僧には買えぬということだからだ。

しかしながらこのレクサス、

道路を走行していると、実によく走っている。

つまりそれだけよく売れているということであろう。

自動車の名前にもあまり詳しくない拙僧であるが、

特徴的なマークがついているので、一目でそれと判る。

 

最近、このレクサスのマークがついた車で、

いわゆる四駆タイプのものを見かけた。

聞けば、そういうものも販売しているのだという。

レクサスのイメージとしては、

どちらかといえば、高級セダンというものであったのが、

こういう四駆であったり、スポーティーなものも

そのヴァリエーションとしてあるのだそうだ。

 

ところで、ネット社会になる前と後では、

ものごとの広まり方に大きな違いがあることは、

読者諸氏とも周知のとおりである。

それまでごく一部の人たちだけが知っていたようなことが、

ネットを通じて、多くの人の知るところとなり、

マニアの文化が流布したのである。

オタク文化などがそれである。

 

オタク以外でも、

たとえば、そこらにいる青少年の会話でも、

「ドSだよね」とか、

「ドМだ」などと用いられているが、

この「ドS」「ドМ」という言葉、

無論SMという性的趣向の用語であるわけだが、

ごく一部の愛好家たちの中で育まれてきたそういう趣向が、

ネットの普及に伴って、多くの人々の知るところとなり、

ちょっとしたきつい言い方をしただけでも、

「ドS」ということになったりするわけである。

昔ながらのマニアの方々からすれば、

そんな素人に軽々しく使ってほしくない言葉であるようにも思えるのだが、

実際はどうなのであろうか。

 

このように、

(1)ごく一部の人が知っていたものが、

(2)多くの人が知るようになり、

(3)流行になっていき、

(4)素人がそれを真似したりという亜流が世に蔓延り、

(5)やがて廃れていく。

凡そ世の流行というものは、このような流れを辿るように思うのだが、

こうして考えてみると、つくづく世は無常であると思わずにはいられない。

 

レクサスは、今のところ高級車としてのステイタスを護りつつ、

多くのヴァリエーションを出そうとしている。

ステイタスを護れなくなるとすれば、

それはレクサスの軽トラが出た時ではないだろうか。

拙僧がお世話になってゐる自動車屋さん、
営業のK君はなかなかの好青年である。
出身が西日本ということもあり、
ボケに対するツッコミにも心得がある。
当地に於いては、たとえば拙僧が、
「あービックリした。灯油で乾杯するのかと思た」
などとボケてみても、
「大丈夫ですよ」
と優しく言われることが屡々あるが、
あれは本当にこたえる。
ある意味スベるより辛いかもしれない。
しかし、K君なら、
「そうそう、灯油で乾杯!って、燃えちゃうよ‼️」
程度のツッコミは返してくれるので、
拙僧としても、誠に心強い限りである。

そのK君から聞いた話なのであるが、
最近のお子たちに、
大人になったら乗りたい車
というアンケートを行った結果、
一位に輝いたのは、
トヨタのプリウスだったそうだ。

拙僧は、この話を聞いて、
なんとなく少しの悲しさと
なんとなく少しの寂しさをおぼえた。

申し上げておくが、
拙僧は決してプリウスを否定するものではない。
何度か乗せていただいたことがあるが、
とてもよくできた車だと思うし、
自分でも運転してみたいなとも思う。

しかし、しかしである。

拙僧の小学生時代、スーパーカーブームが席巻した。
フェラーリやランボルギーニなんていう名前を
多くの小学生が、知っていて、
お気に入りの車種のひとつやふたつあったものだ。
そしてそのスーパーカーに対する憧れの感情は、
大きくなったら乗りたい
という願望へと変換され、
そんな夢を抱きながら、みんな大きくなっていったものだ。
そして、成長するにつれ、
大人になるとは、ひとつずつ夢から醒めることだと
認識していったのである。

しかし、乗りたい車ナンバーワンがプリウスでは、
夢を諦めることなく、
比較的容易に実現できてしまうではないか。
果たしてそれでいいのであろうか。

船頭のカモノハシ程度の頭脳では、
それがいいことか悪いことかはわからない。
しかし、船頭の気持ちとしては、

せめてお子のうちくらいフェラーリに乗りたいと思ってもいいんぢゃないかと思う。
大人になって、本当にフェラーリに乗れる人は
ほんの一握りだ。
でもそれでいいんだ。
初めっから諦めちゃうよりずっといい。
そして、成長して現実を知って、
挫折して、諦めて、買える車に乗って、
このプロセスには、人間らしさがいっぱい詰まってゐるんだ。

拙僧は、過去の記事にもしたためたとおり、

漢詩が好きである。

しかしながら、今まで日本の詩は、

読むという行為で親しみはしたものの、

創作することはなかった。

ところで先日、

銚子丸という回転寿司屋に行き、

感銘をうけたので、

それを詩にしてみようと思い立った。

拙僧、人生初の詩作である。




銚子丸讃歌


銚子丸という回転寿司屋がある

南関東で展開するチェーン店である


銚子丸という回転寿司屋がある

少し高いが、ネタが良くて美味しい

 

銚子丸という回転寿司屋がある

店員が清潔で、見ていても気持ちがいい

 

銚子丸という回転寿司屋がある

休みの日は客でいっぱいだが、それだけの値打ちがある

 

銚子丸という回転寿司屋がある

銚子丸は、銚子にはない