傷
心が傷ついた時
目に見えないのに血も流れないのに
はっきりとわかる
はっきりと痛いってわかる
誰かにとっては些細な事でも
単純でちいさなわたしと子供たちにとっては
大きな進歩で大きな喜びで
終わりの会っていう1日15分を4ヵ月積み重ねて
頑張ったり頑張れなかったり
喜んだり怒ったり怒られたり笑ったり
毎日、今日わたしは何個?と聞きに来る子が日に日に増えて
会話が弾んんで楽しくなって
みんなの色んな顔を知れて
悩んで考えて出した答えをみんなに約束して
1人1人のこと考えながら作って
だけど個人だからと言われた。
連盟じゃない、団体じゃない。
わたしっていういちボランティアが
自分一人で決めた事。
説明の仕様がない
大人の世界に跳ね返される
誰も悪くない
わたしがいつだってのめり込み過ぎ
わたしがいつだって身勝手
わたしがいつだって無責任
無責任な愛情を身勝手に注ぐ
今をこどもたちと生きたいとおもったから
みんなごめん
先生は、先生じゃなくてごめん
やくそく破ってごめん
だいすきでいてくれてありがとう
わたしもだいすきだよ
先生としてじゃなくて
1人の人間として
みんながだいすきだよ
おめでとう
どれもこれも
想像の範囲でしか感じられなくて
それなのに苦しいなんてズルイやつだ
みんなと一緒が苦手なわたしは
別に好んで一人はぐれたわけじゃない
多くの中で見出せなかった希望を
消えてしまいそうに小さいわたしの自我を
失うことで初めて持つことが出来たのなら
それでよかったんだけど
横並びで、しっかり周りと歩幅をあわせて歩ける人になりたい
わたしは、大人ってのにはそういうことも含まれてると思う
だけど、誰とも比べられない場所がホントはとても残酷で
自分から手放したモノを再び欲しいと焦がれることが
どれだけ多くの後悔との戦いかを
知ってる人だって ちゃんといる
右を見て、左を見る
自分は遅れをとっていないか確かめる
同じくらい多く後ろを振り返る
追いつかれないように
追い抜かれないように
後ろばかり気になった
前をみたけど
どこにむかってるのかわかんなくて
ちゃんとたどり着きたい場所を自分は知っているのか
ただ置いていかれたくないだけなのか
全然わからず怖くなる
まわりは皆、同じ顔
右も左も後ろも 全部わたしと同じ奴だ
ああ、だれかと比べるから辛いんだってコースアウト
息を整えながら目的地を考えよう
誰かなんて、比べるモノは過去の自分しかいないのに
給水所にいるさえない奴らはまた自分と同じ顔でゾッとする
慌ててコースに戻るけど
さっきまでの景色とまるで違うから迷子になる
右を見て左をみた
誰もいなかった
後ろに昨日の自分がいた
誰も悪くなかった
義務
こんなに悩んで苦しんでも、ここにいるのは義務じゃない。わたしの意思だ。むかつく。自分がむかつく。何故いつまでも、遊びみたい。子供みたい。責任が怖いくせに責任のない自分がなさけない。苦しい。いつも自分のせいで苦しい。いつになっても自分をうまくなだめられない。
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無理
何故どちらでもいい選択をくだすとき、なんの意見もきいてもらえないのだろう。
何故、たくさんの人が悔やむ選択を、わざわざ受け入れなきゃいけないんだろう。
何のために、わたしたちがいるんだろう
ここより大切なものを持ってる人がここにのこって、ここを1番に思う人が去らなければならないの。
残されたものはどうしたらいいの。
どうにもできない愚痴だとわかっている。これからどうして行くか考えるしかないに決まってるし、もううしろ向いても何も帰らない。明日からもうわたしは現場で嘆かない。できるかわからないけど、やっていくしかない。
だけどほんとに、今日あの人がとった行動は腹立たしい以外の何物でもなくて、いつか仕方ないと理解出来たとしても、忘れないだろうし、それが許される世界なら、私達はどうなるのって本気で叫び出してしまいそうだ。
そして強くならなきゃいけない。
わたしはどんなに働いても、どんなに迷惑かけても、ただのボランティア。
わたしが、なりたい私をつくらなきゃいけない。
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