この日のお散歩は関宿へ~
遠出は、母のクルマのナビが壊れてるのと私のスマホも壊れてるのと、自分が運転するには気力がないのと、母の運転で慣れていない場所行くのは怖すぎるのと(というか一人じゃ色々難しいようです)、寒さが半端ないのとで、全然できませんでした(-_-;)
母は京都とか行きたがってましたが、私も母のナビが機能しない大きな車で京都市内(交通量すごく多い)を道に迷いながら走るのを想像しただけでも、気乗りせず。。。(かえってストレス
になりそうで)
コロナ禍で気力が落ちてるせいかもしれませんが、無理してまで運転したくない
。
車が自分の車だったら問題なかったけど。
小さいし不具合箇所もゼロ
途中、道の駅的なスポット、
朝津味(あさづみ)でお買い物。
地元野菜や果実やキノコ、特産品など、品揃え豊富。
少しだけ外歩いてカンガルーさんと記念写真
街道から入ったところにあります。
石山観音は、標高160mの一つの石山に阿弥陀如来、地蔵菩薩、聖観音菩薩、西国三十三ヵ所観音等40体以上の仏像が半肉彫りに刻まれている磨崖仏(まがいぼとけ)群です。
それぞれの作風から鎌倉か室町時代~江戸時代に彫られたとされ、いくつかは県指定の有形文化財となってます。
ひとっこひとりいなかったです。
約1.5kmの巡拝のスポットでもありますが、全てを回る時間はなかったので、すぐ行けるところの仏像だけ拝んできました。
季節のよい時期に40余体の仏像巡り挑戦したいものです。
地蔵菩薩立像
(鎌倉時代か、室町時代初期までの作と言われてます)
江戸時代に流行した西国三十三箇所巡りの観音様
(江戸時代)
道路を隔てた川のほとりにも地蔵菩薩像があるので下まで降りていきました。
かなり急勾配だったけど、気を付けながら降りました。
こんな時のあみは四本足なので人間より上手です!
地蔵菩薩像2体
優しい表情のお地蔵様があみちゃんに『おいで』してるみたい。
スルーのあみ。。。。
わんこなので当然ですがwww
数年ほど前から毎年母が法語カレンダーをくれるのですが、法語が深くて、このカレンダーを通して毎月自分なりに仏教を考え学んでいます。
すんなり理解できない言葉もたくさんあり、難しいですが
地蔵菩薩や観音像をガン無視するあみの写真をみたら、ある法語をふと思い出しました。
拝まない者もおがまれている
拝まない時もおがまれている
初詣で神社仏閣を訪れ、自分以外の人の幸せや健康を祈ってるときにも
『このことだ!』とその法語を実感しました。
昨年の11月の法語カレンダーより
拝まない者は神や仏を拝まない人のこと、
そういう者も「おがまれている」というのは、信仰心がない者でも、「祝福されている、尊ばれている、祈りの対象になっている」という意味なのかな、と。
平仮名になってるので
「おがむ」に様々な意味をこめているように思いました。
少し解釈を広げると、
自分や身内だけでなく、常に世界平和や知らない誰かの幸せ、苦しんでいる人や動物のため祈っている人も大勢いて、そんな人々の祈りの中に自分もいるということでもあると思いました。
誰しも孤独な存在ではないんです。
更に、人間だけでなく神仏や天から祝福され、生かされている存在として一人一人が存在しているイメージも広がります。
法語カレンダーは、うちは高田本山(真宗高田派本山専修寺)で購入したものですが、真宗十派の寺院などで取り扱いあるようです。
今年のテーマは『宗祖親鸞聖人に偶う』で、片岡鶴太郎さんの絵になっています。
150円とお求めやすいお値段です。買いに行けない方はメルカリなどで送料込み300円台位でした
今月の法語は・・・
私を生かしておる力というものに帰っていく歩み それが仏道
です。
キリストについてのほうが詳しいくらいで。(学校がキリスト教系だったこともあり)
『祝福』(英語では''bless''、God bless youなど)という言葉はキリスト教ではよく出ててきて、私のボキャブラリー不足で仏教には合わない言葉かもしれませんが、
拝まない人間も拝んでいないときも、人は皆祝福されて今を生きている、
そう思うと、なんだか生きる力がじんわり沸いてきます。
一月はお七夜さん(親鸞聖人の報恩講、命日とされる新暦1月16日までの7日間の仏事)があります。私は行ったことないのですが。
毎年露店がでてとても賑わうようですが、今年は人もまばらだったそうです。
妹がお参りに行ったので、お土産のおたやん飴(お多福飴)
もらいました。
エアコンの下においてあったからか変形してますが
縁起物ですね
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