私の姉は、車で10分もかからないところに住んでいます。
実家は田舎なのですが、実家から3時間かけたところに、我々の住んでいる
県都、県庁所在地があります。
人口は80万人くらいでしょうか。
田舎の実家には高校まで住んでいましたが、高校から大学に進む時、自宅
から離れて下宿生活をしました。
昔は下宿屋さんがあって、朝食と夕食だけ出してくれました。
アパートに一人暮らしして自炊する人もいましたが、親の心配もあり、女の子
だけの下宿屋さんにしました。
今の様なワンルームマンションも無かった時代です。
初めて銭湯に入ったのもこの時です。
田舎には普通にお風呂がありましたので、銭湯の経験がなかったのでした。
お風呂を洗ったりしなくてよいので、楽と言えば楽かもしれませんね。
大学1年生のころの下宿生活はそれなりに楽しかった思い出があります。
夜な夜な友達と出かけて遅くなったりしました。
しかし、携帯があるわけではないので、たまに親に電話すれば心配はされな
かったみたいです。
普通はとても真面目で通っていますし、田舎では夜遊びなんか出来なく、暗く
なって帰ってくると部活であっても父から叱られていました。
そんな生活から解放されて、楽しかったですね。
娘や職場の若い子たちに、「ダンパ」(ダンスパーティ)って知ってる?って聞
くと、誰も知りません。
説明すると「そんなことがあってたのですか?すごいですね。」とか言われ
ますし、「では、合ハイはわかる?」って聞くと「聞いたことがない何ですか?」
と決まって言われます。
「合同ハイキングで、○○大のラグビー部の人と、女の子をうちの大学から
見つけて、女の子がお弁当を作っていくので、男の子がバスと遊園地のお金
を出してくれて、くじ引きで男の子の隣がきまるのよ。楽しかった」って話すと、
「合ハイですか?すごいですね昔は。まじうける!」と言って、娘も職場の若い
子も笑いだしてしまいます。
今の時代の合コンの走りだと思うのですけどね。(笑うなんて失礼な!)
なので、「ダンパ」も、○○大学サッカー部主催のダンスパーティ券が回って
くるので、500円程度で買って、ダンパに行って、ジルバとかルンバとかブル
ースを踊っていました。
おしゃれして、壁にいて誘ってくれるのを待つのです。
踊れるようになると次々にお相手が出来ます。そして、気に入った人とず
っと踊り続けて、その後飲みに行ったりしていました。
若い時は楽しかったですよ。娘たちは合コンはあっても、ダンパはないよう
です。
ダンパでは生の学生バンドが演奏してました。主催者は資金集めですが、
手作り感があってとてもよかったです。
「合ハイもダンパも無いなんて寂しいね。いろいろ楽しみはあったよ。昔でも」
なんてことを話したりします。
こうして大学1年は、下宿しましたが、その後は姉が就職しましたので、二人
でアパートを借りて暮らしました。
3年間一緒に暮らしましたが、昨日姉とお出かけした時、昔の話に花が咲き
ました。
昔はお金がなかったので、お互いで洋服を貸したり借りたりしてましたし、姉
の給料が出るとお小遣いをもらっていました。
食事は私がよく作っていました。学生なので時間的に余裕もあったと思います。
あの頃は、いろいろ作りましたね。
若かったけど、料理は母が作っているのをいつも見ていましたので、巻きずし
を作ってみたり、電子レンジやオーブンはなかったので、オーブントースターで
ドリアやグラタンにも挑戦しました。
初めての姉のボーナスで、ブーツや服を買ってもらったり姉には甘えてばかり
でした。
最近姉も超忙しくなり、管理職にもなっていますので、土日出勤もしています。
私も忙しくなり、以前はよく会っていたのですが、今は会ったり遊びに来たり、
買い物をいっしょにすることも少なくなりました。
久しぶりに姉と一緒に買い物をして、夕食を食べ、ゆっくり話してきました。
二人で住んでいたことも話題になり、良く喧嘩をしたけど、楽しかったねって
お互い話しました。
両親も泊まりに来たりして、食事に行くこともありました。
本当に夢があって、幸せな時代でしたね。
私が大学を卒業して、都会に就職することが決まりました。
姉と二人で、一生懸命かたずけをしました。
そしてあわただしく引越しをしました。
それから1カ月して姉から手紙が届きました。今の様に携帯・メールもありま
せんので手紙が普通でしたね。
5枚の便せんに、沢山姉の思いがつづってありました。
二人で過ごした日々が楽しかったことと、とうとう離れ離れになったんだね。
ってことと、淋しいってことがつづられていました。
私も姉と離れて不安な気持ちになっていたので、涙が止まりませんでした。
姉の温かさが身にしみました。
3年間都会で暮らしましたが、やはりなじめず、大学時代を過ごした地に戻っ
てきました。
それからずっと姉とは、何かにつけ連絡し買い物をしたり旅行に言ったりし
ました。
産後うつの時も、夏休みをとってくれて一緒にそばについていてくれました。
そのころから、よく吐く子でミルクや絞った母乳を吐いていました。
それが怖くて怖くて、姉に飲ませてもらいました。
「小児科に勤務したことがあるから任せなさい」って感じで頼れる姉でした。
今でも、何かがあるとすぐに電話で相談します。そして、どんな時も私の
見方で守ってくれます。
仕事で眠くなることも、勿論薬を変えることもアドバイスがありますが、徹夜
続きの研修医も患者さんの説明に同席して、指導医が患者さんの「生きるか
死ぬかの現状」を伝えている時、居眠りする人もいるけど、「ああ、疲れてい
るんだな。」としか思わないそうです。
私が眠くなることを相談すると、よくこんな話をしてくれます。「何時間も寝て
いなくて、自分で説明するわけではなく、同席して、どんなふうに説明をする
のか学ぶんだけど。無理もないよ。医師不足で寝る時間も無いんだから。」
「あなたもあまり気にしなくてもいいんじゃないの。寝ない方法を考えて、しっ
かり睡眠をとりなさい。遅くまで起きてなくて、出来るだけ早く寝ること。それ
でも眠い時はうろうろして動いてきたら。仕事ばかり多くて、しかも、残業が
多すぎると責める。そんな職場、話にならないよ。お客様から文句を言われ
ても給料の内と割り切った方がいいよ。まともに考えると、またうつが悪化
するからね。」
そしてこうも言います。「自分の仕事をきちんとやっておけばいいよ。まずは
自分あっての人だから。人の事を気にしないで、もっと自分を大切にしないと。
自分が倒れたらかえって人に迷惑をかけるでしょう。」
いつもいつも私の味方で、頼りになる姉でとても大事な姉です。
そばにいてくれて本当に助かります。この場を借りてお礼を言いたいです。
「いつも、守ってくれてありがとう」って。
今日は長い長いお話になりましたが、どうしても書いておきたかったのです。
こんなつたないお話を、読んでくださってありがとうございます。
実家は田舎なのですが、実家から3時間かけたところに、我々の住んでいる
県都、県庁所在地があります。
人口は80万人くらいでしょうか。
田舎の実家には高校まで住んでいましたが、高校から大学に進む時、自宅
から離れて下宿生活をしました。
昔は下宿屋さんがあって、朝食と夕食だけ出してくれました。
アパートに一人暮らしして自炊する人もいましたが、親の心配もあり、女の子
だけの下宿屋さんにしました。
今の様なワンルームマンションも無かった時代です。
初めて銭湯に入ったのもこの時です。
田舎には普通にお風呂がありましたので、銭湯の経験がなかったのでした。
お風呂を洗ったりしなくてよいので、楽と言えば楽かもしれませんね。
大学1年生のころの下宿生活はそれなりに楽しかった思い出があります。
夜な夜な友達と出かけて遅くなったりしました。
しかし、携帯があるわけではないので、たまに親に電話すれば心配はされな
かったみたいです。
普通はとても真面目で通っていますし、田舎では夜遊びなんか出来なく、暗く
なって帰ってくると部活であっても父から叱られていました。
そんな生活から解放されて、楽しかったですね。
娘や職場の若い子たちに、「ダンパ」(ダンスパーティ)って知ってる?って聞
くと、誰も知りません。
説明すると「そんなことがあってたのですか?すごいですね。」とか言われ
ますし、「では、合ハイはわかる?」って聞くと「聞いたことがない何ですか?」
と決まって言われます。
「合同ハイキングで、○○大のラグビー部の人と、女の子をうちの大学から
見つけて、女の子がお弁当を作っていくので、男の子がバスと遊園地のお金
を出してくれて、くじ引きで男の子の隣がきまるのよ。楽しかった」って話すと、
「合ハイですか?すごいですね昔は。まじうける!」と言って、娘も職場の若い
子も笑いだしてしまいます。
今の時代の合コンの走りだと思うのですけどね。(笑うなんて失礼な!)
なので、「ダンパ」も、○○大学サッカー部主催のダンスパーティ券が回って
くるので、500円程度で買って、ダンパに行って、ジルバとかルンバとかブル
ースを踊っていました。
おしゃれして、壁にいて誘ってくれるのを待つのです。
踊れるようになると次々にお相手が出来ます。そして、気に入った人とず
っと踊り続けて、その後飲みに行ったりしていました。
若い時は楽しかったですよ。娘たちは合コンはあっても、ダンパはないよう
です。
ダンパでは生の学生バンドが演奏してました。主催者は資金集めですが、
手作り感があってとてもよかったです。
「合ハイもダンパも無いなんて寂しいね。いろいろ楽しみはあったよ。昔でも」
なんてことを話したりします。
こうして大学1年は、下宿しましたが、その後は姉が就職しましたので、二人
でアパートを借りて暮らしました。
3年間一緒に暮らしましたが、昨日姉とお出かけした時、昔の話に花が咲き
ました。
昔はお金がなかったので、お互いで洋服を貸したり借りたりしてましたし、姉
の給料が出るとお小遣いをもらっていました。
食事は私がよく作っていました。学生なので時間的に余裕もあったと思います。
あの頃は、いろいろ作りましたね。
若かったけど、料理は母が作っているのをいつも見ていましたので、巻きずし
を作ってみたり、電子レンジやオーブンはなかったので、オーブントースターで
ドリアやグラタンにも挑戦しました。
初めての姉のボーナスで、ブーツや服を買ってもらったり姉には甘えてばかり
でした。
最近姉も超忙しくなり、管理職にもなっていますので、土日出勤もしています。
私も忙しくなり、以前はよく会っていたのですが、今は会ったり遊びに来たり、
買い物をいっしょにすることも少なくなりました。
久しぶりに姉と一緒に買い物をして、夕食を食べ、ゆっくり話してきました。
二人で住んでいたことも話題になり、良く喧嘩をしたけど、楽しかったねって
お互い話しました。
両親も泊まりに来たりして、食事に行くこともありました。
本当に夢があって、幸せな時代でしたね。
私が大学を卒業して、都会に就職することが決まりました。
姉と二人で、一生懸命かたずけをしました。
そしてあわただしく引越しをしました。
それから1カ月して姉から手紙が届きました。今の様に携帯・メールもありま
せんので手紙が普通でしたね。
5枚の便せんに、沢山姉の思いがつづってありました。
二人で過ごした日々が楽しかったことと、とうとう離れ離れになったんだね。
ってことと、淋しいってことがつづられていました。
私も姉と離れて不安な気持ちになっていたので、涙が止まりませんでした。
姉の温かさが身にしみました。
3年間都会で暮らしましたが、やはりなじめず、大学時代を過ごした地に戻っ
てきました。
それからずっと姉とは、何かにつけ連絡し買い物をしたり旅行に言ったりし
ました。
産後うつの時も、夏休みをとってくれて一緒にそばについていてくれました。
そのころから、よく吐く子でミルクや絞った母乳を吐いていました。
それが怖くて怖くて、姉に飲ませてもらいました。
「小児科に勤務したことがあるから任せなさい」って感じで頼れる姉でした。
今でも、何かがあるとすぐに電話で相談します。そして、どんな時も私の
見方で守ってくれます。
仕事で眠くなることも、勿論薬を変えることもアドバイスがありますが、徹夜
続きの研修医も患者さんの説明に同席して、指導医が患者さんの「生きるか
死ぬかの現状」を伝えている時、居眠りする人もいるけど、「ああ、疲れてい
るんだな。」としか思わないそうです。
私が眠くなることを相談すると、よくこんな話をしてくれます。「何時間も寝て
いなくて、自分で説明するわけではなく、同席して、どんなふうに説明をする
のか学ぶんだけど。無理もないよ。医師不足で寝る時間も無いんだから。」
「あなたもあまり気にしなくてもいいんじゃないの。寝ない方法を考えて、しっ
かり睡眠をとりなさい。遅くまで起きてなくて、出来るだけ早く寝ること。それ
でも眠い時はうろうろして動いてきたら。仕事ばかり多くて、しかも、残業が
多すぎると責める。そんな職場、話にならないよ。お客様から文句を言われ
ても給料の内と割り切った方がいいよ。まともに考えると、またうつが悪化
するからね。」
そしてこうも言います。「自分の仕事をきちんとやっておけばいいよ。まずは
自分あっての人だから。人の事を気にしないで、もっと自分を大切にしないと。
自分が倒れたらかえって人に迷惑をかけるでしょう。」
いつもいつも私の味方で、頼りになる姉でとても大事な姉です。
そばにいてくれて本当に助かります。この場を借りてお礼を言いたいです。
「いつも、守ってくれてありがとう」って。
今日は長い長いお話になりましたが、どうしても書いておきたかったのです。
こんなつたないお話を、読んでくださってありがとうございます。