再度戻ってきた職場は、システムも変わっており大変でした。

以前のような雰囲気ではなくなっていたのです。

係の編成も変わり、スタッフもいろいろな職種がいて、人間
関係に苦しみました。

今で言う、境界型人格障害のようなタイプの人がいて、

自分の思い通りにならない人、自分にゴマスリをしない人、

自分の思っていた行動と違っていたら攻撃が始まります。

そして、「ぶっつぶしてやる」とまで言うのです。

一般のスタッフはビビッてしまいます。

同じようにひどい扱いを受けた被害者がたくさんいました。

しかし、上司は指導することができません。

指導すると上司にも噛み付いたり、恨んだりします。

初めてでした。スタッフにこんな人がいるなんて。

私のうつはますます悪くなりました。

薬の量は増えていきました。

しかし、産休後1ヶ月病欠を取って以来、あれから一度も
メンタル面の病気で病欠をとったことはありません。

悩みを聞いてくれる先輩もいたので、「3年我慢すると
どちらかが異動になるから。」と励ましてもらいました。

そうして本当に3年すると異動になりました。


以前経験した職場に再度異動となり戻ってきました。

5人いたスタッフが2人になり、あとは嘱託職員になっていました。

この頃から人員が削減されるようになって来ました。

スタッフは2人でも係員は10人くらいいました。

係りの編成も変わり、人間関係がとても難しい職場となって
いました。

仕事を始めて、17年くらい経過していました。

あっという間の17年です。

仕事で配置転換が何回もあり、そのたびに変わる環境に
精神状態は振り回されました。

やはり、うつという病気には、環境の変化に弱いようです。

異動するたびに精神状態は悪化し、慣れるまでに通院は
欠かせません。

この頃、「適応障害」という病気をよく耳にするようになりました。

うつに適応障害。

精神科から足は洗えません。

仕事を続ける限り、一生薬を飲まないといけないんだな
とあきらめました。
父が退院後、1ヶ月半で娘の高校受験がありました。

私が職場異動し、両親の病気などで精神的にも不安定で
あったため、娘の受験もとても心配しました。

やはり、志望校には入れませんでした。

残念で悔しくてたまりませんでした。

しかし、あわただしい慣れない職場の面白さも感じてきた頃に、

1年で、また職場が異動になったのです。

娘は私立高校に行くことが決まったので安心しました。

私立でも頑張って欲しいと思いました。
娘の高校受験があるのに、職場が異動になり、慣れないのに、

実家の母が病気をしました。

幸い、手術をすれば元気になりました。

しかし、安心するのもつかの間。今度は父が病気になりました。

足がしびれて歩けなくなったのです。

大学病院を受診し、入院し、原因を調べるのに1ヶ月かかりま
した。

悪性の疾患かもしれないと言われた時は、本当に涙が止まり
ませんでした。

結局、はっきり診断がつかないまま手術になりました。

12時間以上の手術になり、手術中病理組織を調べ、悪性で
はないことがわかったため、今度は複雑な手術となりました。

手術後1ヶ月入院し、父は落ち着き、歩けるようになりました。

私は、70歳にもなっていない父が癌にかかっているのかと
何度も涙を流し悲しみました。

精神的にも限界で、うつ状態がひどくなり眠れなくなりました。

しかし、父が退院していくと、私の状態も落ち着いていきました。







同じ職場で7年くらい過ごし、職場が異動になりました。

全くやったことがない職場でしたが、異動になる前の2年間、

塾の送り迎えもあったので、車の免許を取り運転してました。

運転に慣れるまで、時間がかかりました。

右折が怖く、車線変更もなかなかできませんでした。

なので、最初から決めた車線をずっと走っていました。

「恐怖の左折ドライバー」って私のこと?と思いました。

しかし、どうにか遠い塾にも運転していくことが出来るように
なり、少しずつ運転にも慣れてきました。

うつ病を抱えながら、薬で何とかおさえ、車の運転をする
なんて全く思えませんでした。

しかし、なれない職場に異動になった時は、車を変えました。

バックモニター付きにして、職場に何回も練習していきました。