父がなくなって1ヵ月後に入院して、甲状腺摘出術をうけ
ました。

幸い初期だと言うことでした。

主治医と話し合い、甲状腺の他のところにも良性腫瘍
が出来ていたので、その部分は切除してもらいました。

しかし、副甲状腺もあるので、一部だけ残して、亜全摘
しました。

術後は、首が突出した感じでした。

術後10日程度で退院しました。

これからはずっと、甲状腺ホルモンが作られないので
人工的に甲状腺ホルモン剤を一生内服しないといけません。

しかし、これですんで良かったと思いました。

放射線治療等を受けている人が同室にいました。

心の奥には「癌になってしまったんだ。再発はしていないのか?
転移していないのか?」不安は拭い去れませんでした。

いつかは、再発したらどうしよう。そんな思いがいつもつきまとい
ました。

しかし、考えても仕方がない。世の中の2人に1人は癌になる時代。

考えないで薬をきちんと飲み、病院で定期的にフォローしていけば
何かあったら対応できるだろうと考えました。

夏場の手術でしたので、3週間して復職しましたが、夏中スカーフ
をするか、タートルネックのTシャツを着ていました。

こうして、うつに甲状腺の薬と胃の薬(以前十二指腸潰瘍になった
ため)を常時内服することになりました。


父の膵臓癌で最期を迎えようとしていたとき、フォローして
いた甲状腺の良性腫瘍の検査結果がわかりました。

もう何年も良性腫瘍で2年に1回のフォローでよかったのですが
なぜかこのとき、何年も組織の検査をやっていないので検査を
しましょうと言われました。

検査結果は電話でよいとの事でした。

しかし、父の最期も近づいていたのでどうしようかと思いましたが、
電話で確認しました。

すると、先生がなかなか出ません。やっと先生の声が聞こえて
きました。結果を聞くと「悪い細胞が見つかりました。今度家族の
方と病院に来てください」とのことでした。

父の状態が悪いことをつげ、「結局、癌ということですか?」
と聞きました。

「そうですね。お父さん事が落ち着いたら来院してください。」との
ことでした。

私は目の前が真っ暗になりました。父の状態がこんな時に
どうして?と思いました。

姉と夫に連絡をしました。

父の状態は2~3日は大丈夫だから、一度病院受診をして
きたらと姉から言われました。

私は夜9時ごろ車に乗り、1時間半かけて自宅に戻りました。

そして次の日夫と受診しました。

医師から「甲状腺の癌です。手術が必要です。専門の外科を
紹介します」と言われました。

私は夫と話し合い、手術をすることにして、その日のうちに
出来る術前検査をうけました。胸部CTをとりました。

肺に転移していることがあるらしいのですが、私の場合は
初期でしたので、以上はありませんでした。

専門の外科のベッドが空き次第連絡をもらうことにしました。

最悪の精神状態で父の最期を迎えることになりましたが、
自分が癌になったことも、なんだか仕方がないという気持ちと
今後2人に1人は癌になるんだからと思いました。

きっと父が守ってくれると思いながら父を見送りました。

うつがひどくなるというより、これからどうなるんだろうと思い
ました。

こんな気分でやっていけるんだろうか?


父が入院して余命を聞いたので、職場に戻り休みを取り
ました。

最後は看護師である私も側にいたいと思ったのです。

父はしっかりした人で、お見舞いに来る人に声が出なく
なっても、頭を上げて御礼を言おうとします。

腹水が溜まってとても苦しい状態だったのに、礼儀は
全く忘れない父でした。

点滴に麻薬を入れていたので痛みはある程度耐えられ
たのでしょうか?

姉と交代で夜に付き添いをしました。

尿量も減り血圧もだんだんと下がってきてましたが、意識
はしっかりありました。

姉も現役のナースでしたので、今日は私も泊まると言って
お泊りの準備をしてきました。

「どうして、まだ血圧はそんなに下がっていないよ」

「うん。だけど今晩ぐらいだと思うから」とのことでした。

父の側で明るく振舞っていました。

すると、父の血圧が50に下がりました。

姉が「良く頑張ったね。もうがんばらなくていいよ」と父に
言いました。

それから1時間もしないうちに父の呼吸が止まりました。

心臓マッサージも何もしない最後でした。

「お父さん、お父さん」と声をかけると姉は「もういいよ」
「ゆっくりやすませよう」と言いました。

姉にはびっくりしました。さすがに臨床のナース。
尿量や血圧の下がり方から予測が出来たのでしょう。

看護師として、初めて、心臓マッサージもしない何も
しない最期。それが父だったなんて。

父の最期は家族に見守られました。

有難うお父さん。安らかに眠ってください。そして、
いつまでも私たち家族を見守ってください。

今も記事を書きながらも、思い出して、私の涙は止まりませ
んでした。


現在の仕事について慣れてきた頃、実家の父の病気の
知らせが来ました。

それは、末期の膵臓癌でした。

直ぐに実家に駆けつけ、父に話を聞くと「どうもない」と
言うのです。

最近太ってきて、おなかが出てきてズボンが入らなくなった
といいます。

MRIの検査や腫瘍マーカー、腹部エコーなどで診断がついて
いました。

余命1ヶ月との事でした。

それから1週間以内に入院し病院にお見舞いに行きました。

さすがの父も、「どうね」と聞いても返事がありません。

実家にいる時は、MRIの検査をしたけどたいして悪くないという
ような返事だったのですが、さすがに入院すると、自覚したの
でしょうか?

それから主治医の話を聞き、姉妹で治療について話し合い
をしました。

「もう何も治療はしなくていいことと、痛みは感じないようにして
ほしい」とお願いしました。

腹水が溜まって苦しそうな父の姿を見て、涙があふれました。



今回異動となった仕事は、以前から体験した事がないない
仕事でした。

看護師という経験を活かして、相談業務というカウンセリング
の仕事に異動したのです。

うつの薬は飲みながら、相談に対応したり、カウンセリングを
行い、本人に合う解決方法を一緒に考えていく仕事です。

精神的な疾患で苦しんでいる人やうつ病の人にも対応しました。

20年前私が産後うつになってから、うつと戦いそして共存しな
がら生きてきました。

その経験が今の仕事にはとても役に立っています。

「うつになった人や精神疾患の人の悩みや相談に対応する。
その他の病気や障害などについてもカウンセリングをする。」

私もうつを治療しながら、相談に対応していきました。