木津川合戦 (天正四年 1576年7月)
毛利軍 村上海賊が淡路島・岩屋城沖に現れ
対する織田軍 真鍋海賊 難波砂堆沖である。
淡路島北東 安宅船 関船 小早 大軍1000艘と毛利郡が停泊。
拙者の考えでは、近距離にみても33Km以上になるであろう。
安宅船から見えた距離 高さ16mとしても16Km程の
距離が限界でござろう。
高さ36m--22.72Km 視野距離
スカイツリー450m--80.31Km
350m--70.83Kmでござる。
淡路島東海上に、毛利村上水軍が現れたとしても
直ぐに織田真鍋海賊には
攻め寄せて来た毛利軍勢の船団を
発見できなかったはずであろう?
「村上海賊の娘」には、直ぐに発見されてしまったように
記述してあるのだが・・
小説故、そんなものか?
淡路島 岩屋城 不明だが400mであれば70Km程視界が効く。
四王山 標高410mと記してある。山頂・岩屋城からは
難波砂堆 木津川河口の真鍋海賊の船団は確認でき申した。
難波 織田方からはどうであったか?
勿論、1000艇もの大軍団 航路途中で発見されており
毛利村上水軍が攻め寄せる、兵糧運び入れる事は
察知されておる。
大阪 難波砂堆では無理であろうが
高台200mの場があれば、53Kmの視界があり
淡路島 明石海峡に再びやってくる
村上海賊の娘 村上 景 の
関船も見る事が可能であった?
大阪本願寺 門徒の法螺貝の音が
淡路島 岩屋に届いた旨が記されているが
それは無理というべきであろう。
中継地点があったか? 無理。
ほぼ史実に基づいて書かれているのではあるが・・
村上武吉 能島村上 真鍋海賊 小早川隆景 毛利元就等
上杉の織田攻めを待つ。
自家を護る為に待つ、寝返るのも戦の手法なのでござろう・・
フォトは、2022/07/17
ロードバイクで六甲山・明石海峡大橋
往復480Kmした時の写真です。また行きたいです。
明石--淡路島 明石海峡大橋3991mあります。
吊り橋桁間 ついこの前まで世界一でしたが
トルコのダーダネスル海峡でしたか?
そちらに僅かに抜かれてしまいました。
対岸はかすんでいますね。
エンジン動力などない時代、水夫兵の艱難辛苦
大変でござった。 ベン・ハーを思い出す。
しまなみ海道 10月 村上海賊ミュージアム 楽しみでござる。