「かしまし娘」の長女、正司歌江さん逝去の報がメディアに流れました
享年 94歳とのことで、誤解を恐れずに書けば、大往生の生涯だったと私は思います。
歌江さんは北海道出身で1929年(昭和4年)生まれでしたから、私の亡き母よりも5歳年上でした。
歌江さんは妹の照枝さん、そして花江さんたちと共に3人で音曲漫才ユニットの「かしまし娘」を結成し、1956年から本格的に活動を開始しました。
「かしまし娘」は、昭和30年代が始まるとともに、3人姉妹で流行歌から浪曲に至るまで息の合った演奏や歌を聴かせる音曲漫才によって、テレビ放送の隆盛とともに老若男女を問わず全国的にその存在を知られ、親しまれ、絶大なる人気を博しました。
しかし、「かしまし娘」のユニットになる前、天才漫才少女と評価されていた歌江さんは、まだヒロポンが麻薬取締法の対象になっていなかった頃の芸人仲間に混ざって、ご多分に漏れずに十代の終わりころにはヒロポン中毒患者になっていました(ミヤコ蝶々さんも重症の中毒患者になって療養所に収容されていたことがあります)。1951年以前の日本では、覚せい剤であるヒロポンの製造も販売も合法だったのですね。
歌江さんは若手の頃には伝説の女漫才師「ミスワカナ」に可愛がられた方でもありましたが、このヒロポン中毒患者になったために一度舞台を去って、3人姉妹で「かしまし娘」を結成する前までの十年ほどを芸者として働いていたこともありました。
関西人で、私と同じような昭和三十年代生まれの人間であれば絶対に知っているはずの
♪うちら陽気なかしまし娘~♪ で歌い出すテーマソングは音曲漫才の歴史に残ることでしょう。
今の若い方には知る人も少なく、私のすぐ下の年齢の方でも 多分想像するのが難しいかと思いますが、「かしまし娘」の全盛期には、後世のピンクレディーの活躍にも負けないほど、テレビ局からテレビ局へと寝る間もなく出演させられるほどの需要があったのです。
長女の歌江さんをリーダーに頂くかしまし娘は、まさに昭和の音曲漫才ジャンルに革命を起こした方々でした。私の中では ザ・芸人(尊称です) と呼べる方々でした。
私が子供の頃に 楽しい演芸を披露してくださった、故人のご冥福をこころよりお祈り申し上げます。
合掌。