日本語のスーパー字幕がついた外国映画(アメリカ映画)が初めて日本で上映されたのが 1931年。 作品は「Morocco モロッコ (1930)」で、日本での封切り日は2月11日でした。
クイズ番組でも良く採用されるネタですが、「モロッコ」こそは、初めて日本語字幕が付されたトーキー作品だったのです。
アメリカ本国の、グローマンズ・チャイニーズ・シアター(1927年5月18日に開場。現 TCL Chinese Theatre)で モロッコのロードショウが行われた時の様子。
グローマンズ・チャイニーズ・シアターはオープン初期の頃から、劇場の前庭にあるセメントタイルにハリウッド・スター達の手形、足型、そしてサインなどが刻印されていることで
有名ですね。
映画「モロッコ」について、さらっとDVDのラベル風に紹介すると…
外人部隊に属するトム・ブラウン(ゲイリー・クーパー)は遊び人の女たらしとして有名でした。次々に付き合う女性を変えていたトムでしたが、ある日 駐在しているモロッコの酒場で、アミー・ジョリー(マレーネ・ディートリヒ)という名の歌手に出会い、これまでと違った惚れ方をしてしまいます。
アミ―も男を手玉に取る強者な女性だったのですが、次第にトムに心惹かれることになり、二人は恋に落ちることに。
しかし、セザール副官(ウルリヒ・ハウプト)が妻(イヴ・サザーン)とトムの関係を知ったことから懲罰の意味でトムはサハラの最前線に送られることになります。
別れを告げるためにアミーの前に現れたトムでしたが、金持ちのベシエール(アドルフ・マンジュー)がアミ―に求婚していることを知り、彼女の幸せのために…と、その場を後にします。
ベシエールと婚約することになったアミーでしたが、前線でトムが負傷したと聞くと、ベシエールにせがんで急いでトムが入院している病院に向かいます。
しかし、トムは怪我をしたふりをしていただけで、アミーはトムと再会するものの、トムは再び戦地に赴くことになっていました。
アミーは いったんはトムの部隊を見送ります。しかし、部隊に付き従って行く女たちの姿を見たアミーはベシエールに別れを告げて、自分もその女たちとともにトムの部隊を追いかけるのでした。
Directed by 監督
… Josef von Sternberg ジョセフ・フォン・スタンバーグ
Original (from the play "Amy Jolly" by) 舞台原作
… Benno Vigny ベノ・ヴィグニー
Writing Credits 脚本
… Jules Furthman ジュールス・ファースマン
Music by 音楽
… Karl Hajos カール・ハホス(uncredited)
Cinematography by 撮影
… Lee Garmes リー・ガームス
… Lucien Ballard ルシアン・バラルド(uncredited)
Editing by 編集
… Sam Winston サム・ウィンストン(uncredited)
Gary Cooper ゲイリー・クーパー
… Légionnaire Tom Brown 外人部隊兵士 トム・ブラウン
Marlene Dietrich マレーネ・ディートリッヒ
… Mademoiselle Amy Jolly アミ―・ジョリー嬢
Adolphe Menjou アドルフ・マンジュー
… Monsieur La Bessiere ラ・ベシエール氏
「モロッコ」の日本語スーパー字幕作成を担当されたのは、田村幸彦(たむらよしひこ)という人物でした。
田村幸彦氏は現在の東京工大の応用化学科出身で映画ジャーナリズム界に身を投じたというイカシタ男性で、「キネマ旬報」(戦後に出現する「キネマ旬報」の前身)の主筆でした。
昭和8年の「キネマ旬報8月号 田村幸彦編集」
英語も得意だったことから、当時のパラマウント映画会社日本代表のトム・D・カクレンの知遇を得て「モロッコ」の日本語スーパー字幕の仕事を委嘱されました。
昭和6年当時の日本ではまだ、映画がサイレントであろうが、トーキ であろうが、「弁士」とか「活弁」とか呼ばれた映画説明者が俳優の台詞を語り、その弁士の人気が映画の興行成績を左右していたような時代でした.
そんな時代に田村幸彦氏は挑戦したのです。
台詞を日本語に翻訳した田村幸彦氏が研究したのは、スーパーインポーズで日本語をプリントに焼き付ける方式で、彼は「縦書きで、1巻あたり30枚平均のタイトル原稿を用いる」というスタイルを編み出したのでした。
小説の翻訳とは違い、目で確認できる時間には制約があって、約5秒。1行あたりが10文字で2行まで…という風に、のちに田村氏の弟子というか、日本トップの字幕屋さんとなる清水俊二氏に引き継がれていく日本語字幕スーパーのスタイルはこうして生まれました。
田村幸彦氏の仕事によって「モロッコ」の日本での興行が大成功を収めたことはいうまでもありません。
執筆者への愛のムチを
頂けましたら幸甚です