昨日は喜劇王チャーリー・チャッブリンの生誕133年となる誕生日(1889-4-16)。
若くして芸能史を塗り替えるほどの収入を得るようになった彼は、 1919年2月5日に大親友のダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻、そして大監督のD・W・グリフィスらとともに、ユナイテッド・アーティスツ社を設立しました。
しかし、私の「チャップリンの光と影」のコーナーでも紹介しているようにチャーリーは、1918年10月、30歳になる前に17歳の少女…とはいっても子役からハリウッドで生きている女優のミルドレッド・ハリスと結婚していました。
これは性交渉を持った後に彼女から「妊娠した」と嘘の報告をされたことから始まった不幸な結婚でした。結婚の翌年に本当に妊娠したミルドレッドが出産したのは奇形をもった男児で、誕生から3日後にチャーリーの人生最初の息子は亡くなってしまいます。
そんな中、チャーリーは「キッド」という作品の中で亡くなった彼の息子の代わりにも思えるほどの天才子役ジャッキー・クーガンと仕事をします。
しかし私生活では1920年の8月にミルドレッド・ハリスから離婚訴訟を起こされ、11月に離婚が成立しました。
映画「キッド」は翌年の初春に公開されるや大ヒットを記録。 その後チャーリーは5ヵ月をかけて「のらくら」という小品を製作したあとに、ヨーロッパ旅行をしようと思いたつのでした。
それは、離婚訴訟で病んだ神経の保養かたがた、十余年ぶりに故郷のロンドンへの里帰りを果たそうとするものでもあり、ついでにパリ、そしてベルリンまで足を延ばすことになります。
フランスではチャップリン映画が多く公開されており、映画の中でトランプ(浮浪者、放浪者)を演じる彼はシャルロと呼ばれて人気者でしたが、ドイツではフランス程にはチャップリン映画は公開されておらず、大人気というほどでもなかったようです。
さて、チャーリーは第一次世界大戦(1914年7月28日~1918年11月11日)後のヨーロッパ諸国を遍歴した此の旅において、ちょっとした手記を残しています。
何処で、何を観て、何を聞いて、何を食べて、どんな幻滅を感じたかといったことまで書かれていて、チャーリーの偽りのない心が記録されているので、ファンには文字化されたフイルムと呼ばれたりしています。
わが日本では 昭和五年に 中央公論社から 高瀬毅氏によって「フランス語版から日本語訳する」という形で「僕の旅」と題されて刊行されています。
私はン十年前に かなり傷んだ状態の書籍を古書店からたしか1万2千円くらいで買い求めましたが、今はその3分の一以下の値でも販売されているところがあるようですね。書籍の価格はどうでもイイんですけど、チャーリーへの注目度が薄まっているのは少し寂しいものですね。
執筆者への愛のムチを
頂けましたら幸甚です