広島 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分 | 日本と芸能事が大好きな Ameyuje のブログ

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米合衆国領土グアム島と仏領ポリネシアのタヒチ島とボラボラ島しか訪れた他国無し。比較対象が少ないのに「僕に一番合うのは日本」と思う。反日国に侮辱されても毅然とした態度をとらない現在の母国には「いやんなっちゃうな~」と立腹するけど、やっぱり日本が大好き。

 今日も広島では、「核兵器の全面禁止」を訴えるひとびとの式典が行われるのだろうか。

 理想を描く事は大切だと思う。 しかしその理想は21世紀の現実からは遥かに遠い。

 

 この地球上では、個人、家族、地域社会、国民の生命と財産を守るために「国家安全保障」を常に考えて備える必要がある。

 

 ※「国家安全保障」(national security): 日本国民が生存や独立などの価値あるものを、他からの脅威が及ばぬよう何らかの手段を講じることで安全な状態を保障すること。

 また、その目的のための体制・組織などを指す。国際関係における安全保障は主として他国からの防衛をその主眼とする。

 

 人類史上初めて原爆が広島市に投下された日から75年が経過した現在、 他からの脅威の代表的なものとして、隣国 朝鮮半島北と中華人民共和国の核兵器保有がある。

 

 中華人民共和国に至っては現在判っているだけで、日本や在日米軍、海上の米艦艇を攻撃できる地上配備型の短・中距離弾道ミサイルを約1900発保有している(オバマ米前政権で核・ミサイル防衛担当を務めたブラッド・ロバーツ元国防次官補代理の発言による)。 しかも核弾頭を搭載した短・中距離弾道ミサイル等が200発以上、日本に向けて配置されている。

 

 

 その現状を認知すれば、当たり前の話として  我が日本国は、75年前の広島市の先人たちの死と死の前の長い苦しみに酬いるために、速やかに「核抑止力を効果的に利用する方法」を国民皆で話し合わなければいけない と思う。

 

 そう思っていても 選挙に落選するのが怖い国会議員ばかりが巣食っている現在の日本国政界ではどうにもならないのが歯がゆい、口惜しい、哀しい。

 

 広島や長崎のひとびとの代表として、大東亜戦争の敗戦後に初代の公選広島市長となった浜井信三氏がいる。 浜井市長は 「当時の広島大学教授であり英文学者の雑賀忠義氏」 に依頼して、広島市平和公園の原爆慰霊碑文 「安らかに眠って下さい。あやまちは繰り返しませんから」 ということばを選び、私から言わせると日本人全体に頸木をはめてしまった。

 

 あやまちを犯したのは「アメリカ合衆国の軍部」だ。 日本国民、広島市民ではない。 誰が どう誤魔化しの言い訳をしようとも、「実験」を兼ねて、兵士ではない非武装の一般民間人を十数万人も殺害した。 この紛れもない「戦争犯罪」を犯したのは「アメリカ合衆国の軍部」だ。

 

 

 

 

 自らも焼かれ、あるいは目の前で家族や隣人が焼き殺され、瀕死で苦しむ姿を観た広島市のひとびとの怒りは、確かにこのような結果を招いた日本国そのものに向かう事もあるだろう。 しかし、私は昔観たテレビ放送で、実際に死の淵で苦しむ広島市民の多くから「たのむ、この仇を討ってくれ」という言葉を聞いたという日本人のおじいちゃんの談話があったのを記憶している。日本のテレビ放送はまだ正気が残っていたのだろう。

 

  私は、戦争中ならば、口惜しさをそう表す被爆者がいて当然だろうと思った。 

 「戦」の最中なのである。

 学生たちは動員されて軍需工場で兵隊さんの為に働いている最中なのである。

 

 敵が「想像を絶する絶滅兵器」を持って来襲し、即座に逃げ去った。 武士ならば絶対にしない「卑怯者」の振舞であり、その卑怯な手段で焼かれた自分の身体の痛みから「自分たちが悪いからこうなった」と思った広島市民は一人もいなかったと信じる。

 

 西村眞悟元衆議院議員、元小渕第2次改造内閣の防衛政務次官のように 真に日本国の子供たちの未来を心配するひとの言動を、「マスゴミがつくる世間」というものが叩き潰して抹殺する日本国のままならば、 私達や我々の子孫達は「武器や手段は違うかもしれない」が、中華人民共和国や北朝鮮民主主義人民共和国からの攻撃によって惨殺される可能性がある。 なぜ、そんなことが言えるのか? 現実にウイグル、チベットの人々が中華人民共和国によって虐待され、殺害されているからだ。 横田めぐみさんをはじめとする多くの日本人が、日本国内外で北朝鮮の工作員によって拉致されて何十年という人生を奪われ、或いは侵入のその場で殺害されている現実があるからだ。

 


 

 戦艦霧島や戦艦日向の艦長を務めた海軍少将・三村錦三郎のご子息で、広島県安芸郡江田島町(現江田島市)生まれの三村明という偉大な映画人がいらっしゃった。

 

 三村明氏は1919年(大正8年)に18歳で渡米、現地で勉学に励み、ハリウッドのキャメラマンという職業を得ることになる。※当時日本で入手した映画雑誌でMIMURAというその日本人名を知った淀川長治先生はファンレターを書いてアメリカに郵送したところ、 三村明氏から丁寧な筆書きの手紙にスターの写真が同封された返信が淀川長治先生のもとに届きました。 のちに、三村明氏は日本映画界で活躍し、黒澤明監督の「姿三四郎」のキャメラマンををはじめとして、日本映画界にも多大なる貢献をされています。 ハリウッドで活躍されていた頃の三村氏から届いた手紙と写真は淀川先生生涯の宝物だったそうです。

 

 原爆投下から8カ月後、広島出身の三村明氏は、1946年(昭和21年)に進駐軍の戦略爆撃調査団の要請を受け、原爆投下後の郷里広島の米軍映画撮影隊に日本人として唯一参加し、未曾有の惨状をカラーフィルムに収めている。三村氏はそこまで気づいたか不明だが 高価なカラーフィルムを使ったこの撮影は「原子爆弾破裂が、建造物や人体に及ぼした破壊力の測定記録」、つまり 白人国家相手では絶対実現不可能だった人類史上最初の実験結果である。 「神をも恐れぬ」仕業を広島の人々に行ったアメリカ人にとって、ハリウッド広しと言えどもハリー三村ほどに地獄を味わった被爆地での撮影に適したキャメラマンはいなかった事だろう。

 

 ハリー三村が撮影した記録映画は 部分的だがYoutube動画としてアップされている。 下はその ほんの一部のカットだ。 原爆投下から8か月を経てなお、広島の街は瓦礫で埋め尽くされていたことがわかる。 核兵器を持った国に相対した時、 核抑止力を持たない国は、いずれこのようになる。 いや、今の核兵器で攻撃されたならば、文字通り地上に建つものなど一切存在しないことだろう。

 

 北朝鮮で兄殺し、叔父殺しをした金正恩でさえ、現在の大国群が核兵器を保持している世界情勢の中で、朝鮮民主主義人民共和国の体制を保持し、自分が生き延びるためには「核兵器を持つ(核抑止力に頼る)しかない」という当たり前のことを考え、どれほど周囲の大国から恫喝されようが、国民が餓死しようが、虚仮の一念でついに核兵器開発を達成した。 核兵器は量ではない。 10対千でも 10の核兵器を持つ国は千の圧力に耐えうるのだ。

 

 歴史に「もし」は無いが、75年前の日本のどこかに核兵器が隠されて存在していると合衆国が信じていれば、こうも躊躇いなく日本国土に原子爆弾による攻撃を加えることはなかっただろう。 アメリカ合衆国を含めて世界には中華人民共和国、イギリス、フランス、ロシア連邦、インド、パキスタン、朝鮮民主主義人民共和国といった核兵器保有国がある。

 

 分かっているだけでも 中国と北朝鮮の2国が明らかに日本を敵国と見なしている。 髪の毛一本ほどの信頼も抱けない 「ならず者国家」が「最強の凶器」を持って、すぐ隣にある我が家(日本国)を虎視眈々と狙っている。 広島の皆さんに、この現実から目をそらさないで、私たちに今 何が必要かという事に気づいてほしい。 いや、もう気づいているだろうから、広島から「核抑止力の保持について日本国民全体で話し合って欲しい」と提案して頂きたい。 

 

 

 

 

 

大人達も 子供たちも がれきの中から再利用可能な瓦やタイルを探している

 

 

 

 書いても書いても 思いは尽きないし、 侵されゆく母国の姿に抱く焦燥感が消えない。 ハリー三村 こと 三村明氏は偉大な仕事を他にも残しており、彼についての優れたインターネット記事も多くの方々によって公開されている。 のちほど、それらも紹介したいと思う。

 

 


 

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